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今日の1枚:ジョージ・アンタイル、ヴァイオリン・ソナタ全集(ヤン・ティエンワ)

ジョージ・アンタイル:

  1. ヴァイオリン・ソナタ第1番(1923)

  2. ヴァイオリン・ソナタ第2番(1923)

  3. ヴァイオリン・ソナタ第3番(1924)

  4. ヴァイオリン・ソナタ第4番(1947-1948)
    Naxos, 8559937
    ヤン・ティエンワ(ヴァイオリン)
    ニコラス・リンマー(ピアノ、ドラムス)
    録音時期:2021年10月14-17日

 ジョージ・アンタイル(1900ー1959)は、多くの人にとって未知の作曲家でしょうし、20世紀の音楽史で名前のみ見知っているという程度の人も多いことでしょう。なかには代表作とも言うべき《バレエ・メカニーク》(1926)なら聴いたことがあるとか、人気のヴァイオリン奏者パトリシア・コパチンスカヤが先日リリースした好盤「ジョージ・アンタイルの見た世界」に収録されたヴァイオリン・ソナタ第1番を聴いた、といった方もおいでかと思います。自らを「悪童」と呼んだアメリカ出身のイコノクラスト、アンタイルの、上述の第1番を含むヴァイオリン・ソナタ全曲を収めたのが当盤です。4曲のうち第3番までは、憧れの先達であったイゴール・ストラヴィンスキーの勧めで留学先のベルリンを離れてパリに移り住んだ1920年代前半、《バレエ・メカニーク》とほぼ同時期に書かれています。
 ソナタ第1番は4楽章形式。「ソナタ」と言っても第1楽章がソナタ形式で書かれている訳ではなく、オスティナート的な動きを基本とするベースラインの上に断片的な素材を積み重ねるというエピソードが次々に立ちあらわれる構成になっています。その後ヴァイオリンのハーモニクス奏法を多用していかがわしげなオリエンタリズムをでっち上げる第2楽章、一転して響きの重心をぐっと下げる第3楽章「葬送」、第1楽章の素材を引用しつつストラヴィンスキーばりのバーバリズムを披露する終楽章と、さまざまな奏法や音色を惜しげもなく振りまきつつ進む音楽は実にユニークで、楽しく聴くことができます。
 第2番は単一楽章構成で、ジャズ風のリズムや流行歌をあれこれと引用しながら、ときに第1番より辛辣に、ときに歌謡的にと、振り幅の大きい音楽を繰り広げるのが魅力的です。ちょっとチャールズ・アイヴスを思わせるコラージュ風のこの作品を、第1番よりも好ましいと思う向きもあるかもしれません。なおこの曲では最後にピアノが楽器を太鼓に持ち替えてヴァイオリンを伴奏して終わります。そのへんの人を食った演出も悪くない。
 やはり単一楽章からなる第3番は、比べるとぐっと保守的というか、辛辣でアグレッシヴな面は大きく後退して、より歌謡性が前面に出てくる。ストラヴィンスキー風のリズムの面白さはあるものの、ベタに感傷的な節が時に顔を出すあたり、アンタイルという人の複雑さが垣間見えると言うべきかもしれません。
 アンタイルは20年代末にパリを離れてドイツに移り、ナチスの台頭を受けて合衆国に戻ります。その頃より作風は次第に保守化したとされ、第2次大戦後に書かれたソナタ第4番にも、そのありようはしっかりと刻印されています。新古典主義風なスタイルはむしろ30年代のパリに接近しているというべきか。少々機嫌の悪いプーランクとでも言えば、この曲の雰囲気を察してもらえるかもしれません。3楽章構成の作品は良くまとまってはいるけれども、意外性やいかがわしさといったアンタイルの魅力が薄まっているのは否めません。
 当盤のヴァイオリンはヤン・ティエンワ。ナクソスに幅広いレパートリーを録音していることで、かえって色眼鏡で見られているというか、話題になりにくいヴァイオリニストですけれども、安定した技巧に加えて抜群に美しい音色の持ち主で、ヴァイオリンを愛するリスナーであれば、その全録音を集めてみても後悔しないのではなかろうかという実力派です。ソナタ第1番には前述の通りコパチンスカヤの好盤がありましたが、脇目も振らずにストレートに切り込んでいくそちらに対し、ヤン・ティエンワはもう少し余裕をもって、美しい音色をさまざまに変化させつつ音楽にふくらみを持たせていきます。瞬発力よりも目配りのよさを優先した演奏と言えるでしょうか。私個人としてはコパチンスカヤのエキセントリックな弾きぶりにも惹かれつつも、彫りの深い表現を聴かせるヤン・ティエンワに軍配を上げたいところです。

(本文1616字)


Antheil Violin Sonatas

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