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今日の1枚:マーラー《復活》ロウヴァリ指揮

マーラー:交響曲第2番ハ短調『復活』
Signum, SIGCD760
サントゥ=マティアス・ロウヴァリ指揮フィルハーモニア管弦楽団、合唱団
マリ・エリクスモーエン(ソプラノ)
ジェニファー・ジョンストン(メゾ・ソプラノ)
 録音時期:2022年6月8日

 フィンランド出身の指揮者サントゥ=マティアス・ロウヴァリは、仏アルファ・レーベルで現在進行中のシベリウスの交響曲ツィクルスの録音が高い評価を得ています。現在37歳ということで、若手からそろそろ中堅と呼ばれる年齢へと入ろうかというところでしょうけれども、この人の音楽は何を聴いてもその若々しさ、瑞々しさに耳を奪われます。テンポをかなり動かしながら音楽を進めつつも、情緒的な粘りや大時代的な大仰さもなく、むしろさらさらとした流れのよさがある。その不思議な感触で心地よく音楽にひたらせてくれるのがこの人の個性だと思います。
 イェテボリ交響楽団を起用したアルファ・レーベルへのシベリウス録音の傍ら、ロウヴァリは英シグナムに、2021年より首席指揮者を務めるフィルハーモニア管とも興味深い録音を行っています。先日《ドン・ファン》や《アルプス交響曲》、《ツァラトゥストラはかく語りき》、《ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯》を収めたリヒャルト・シュトラウス管弦楽曲集が出たと思ったら、あっという間に新たなアルバムがリリースされました。今度はグスタフ・マーラーの交響曲第2番《復活》、昨年6月のライヴ録音です。
 マーラーの《復活》といえば第1楽章冒頭、いきなり登場する低弦の強奏で鬼面人を驚かす演奏も多いけれども、ロウヴァリは速めのテンポを採用して比較的あっさりと開始します。そのまま淡泊に、颯爽と駆け抜けるのかな、と思いきや、第1主題が入り、そこから派生したさまざまな旋律が次から次へとあらわれる経過部では、声部の入れ替わりやテンポの伸縮を巧みに用いて、意外にドラマ性に満ちたエピソードを築き上げていく。もちろんそれは、かつてクラウス・テンシュテットが聴かせたような濃厚なものではありませんが、旋律はよく歌われて、情感も十分に盛り込まれています。何より耳をそばだたせるのは、活きのよいリズムが全体を支配していて、粘ろうとも突っかけようとも、流れのよさが犠牲になることがない点です。
 その流れのよさは、第2楽章にもはっきりとあらわれます。リズムがシュアであることももちろんだけれども、同時に各声部がそれぞれに伸びやかな歌を歌って、自在なふるまいをみせる。それらが縒り合わされて生まれる、流麗で透明度の高い、どこにも硬さのない歌い口はロウヴァリという人の耳のよさを伝えてくれて感心させられます。
 同様にリズムに優れた第3楽章の後、第4楽章からロウヴァリはかなりユニークなアプローチをとっていきます。メゾ=ソプラノのジョンストンが歌い出す「おお、赤い小さな薔薇よ」に続く金管のコラールはあくまで柔らかく、軽く、さらりと流される。続く歌も、伴奏も、過度に深刻ぶることを避けて、民謡的な軽さや移ろいやすさをクローズアップしていく。第5楽章冒頭の管弦楽の咆哮とまったく次元の違うところで第4楽章が完結してしまうのですが、それだけにこのふたつの楽章のコントラストがより生きている気がします。
 第5楽章は、全曲と通じてもっとも成功した演奏と言えるのではないでしょうか。強奏は適度にコントロールされていて、力強くはあっても聴き手をアグレッシヴに攻めたてたりはしない。快適なテンポ感の中で各エピソードは明快な性格を与えられて並べられていく。そしてそれらの流れが、心地よい流動感に支えられて、少しも淀むところがない。行進曲調のエピソードにおいても、がなり立てて貧血気味になることなく、豊かな音楽を感じさせてくれる。すばらしいのは、全体を通じて弱奏においても、強奏においても、響きの透明度が高く保たれていることです。各レイヤーは適切な音量バランスを与えられて立体的な音響を構築しており、その重なり合いのさまが克明に聴きとれる。合唱が入って以降、クライマックスに至るまでの道程も、その透明感と、ある種の余裕というか、じっくり腰を落ち着けて音楽に取り組んでいる安定感があって、懐の深い演奏に仕上がっています。
 最後になりますが、ソプラノ独唱はマリ・エリクスモーエン。以前英シャンドス・レーベルから出ていたカントルーブの《オーヴェルニュの歌》抜粋があまりにすばらしくてその名を記憶していたのですが、ここでもわずかな出番ながら印象に残る声を披露していて聴きものです。
(本文1765字)


Rouvali conducts Mahler

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