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今日の1枚:《Take 3》(コパチンスカヤ、ビエリ、レシチェンコ)

《Take 3》
フランシス・プーランク[1899-1963]:《城への招待》FP.138より抜粋、ヴァイオリンとピアノのための《バガテル》ニ短調、クラリネット・ソナタFP.184
ポール・シェーンフィールド[1947-]:クラリネット、ヴァイオリン、ピアノのための三重奏曲
ベラ・バルトーク[1881-1945]:ヴァイオリンとピアノのための《ブルレスク》Op.8c-2、ヴァイオリン、クラリネット、ピアノのための《コントラスツ》Sz.111
シェルバン・ニキフォル[1954-]:クレズマー・ダンス
Alpha, ALPHA772
パトリツィア・コパチンスカヤ(ヴァイオリン)
レト・ビエリ(クラリネット)
ポリーナ・レシチェンコ(ピアノ)ほか
録音時期:2020年11月

 みんな大好きパトリツィア・コパチンスカヤの新譜です。アルファ・レーベルでの彼女の録音は、最初のアルバムが二重奏ものばかりを集めた《Take 2》でしたが、三重奏曲を中心とした当盤《Take 3》はその続編というべきでしょうか。そういえばクラリネットのレト・ビエリとはそちらのアルバムでも、またシェーンベルクの《月に憑かれたピエロ》でも共演していました。ピアノはコパチンスカヤが録音でしばしば共演しているポリーナ・レシチェンコです。
 ここではアルバムの構成がちょっとユニークです。シェーンフィールドの三重奏曲、プーランクのクラリネット・ソナタ、バルトークの《コントラスツ》の3曲をメインとして、その前奏及び間奏として、プーランクがジャン・アヌイの劇のために書いた《城への招待》の抜粋と、やはりプーランクとバルトークの小品が挿入されるというかたちになっているのです。しかも大トリはヴァイオリンのイリヤ・グリンゴルツ、ベースのルスラン・ルツィクが参加してのニキフォルの《クレズマー・ダンス》で、どこかの酒場の楽団よろしく熱狂と大騒ぎとによって締めくくられる。終わり方はコパチンスカヤならではですけれども、驚くのはプーランクへのこだわりです。彼女は以前にも彼のヴァイオリン・ソナタを録音していましたが、非西欧的なヴァイオリン音楽の遺産をクラシックの世界に持ち込んでユニークな立ち位置を築いた彼女が、洗練を極めて近代フランスの洒落っ気を一身に具現したかのようなプーランクのどこに惹かれ、自身のレパートリーのどこにその居場所を見つけたのでしょうか。
 プーランクについては、批評家のクロード・ロスタンが述べた「プーランクの中には修道僧とごろつきがいる」というフレーズがあまりに有名です。1950年にロスタンが述べたこの言葉は、特定の作品というよりも、それ以前も以後も含めて、おそらく彼の全作品を見渡したときにその意味の明らかになる言葉だろうと思います。一方では歌劇《カルメル修道会の対話》のような宗教的な作品を、もう一方ではバレエ《牝鹿》のような軽妙な作品を書く。また《ミサ曲》やいくつかのソナタのように古典的な形式感を備えた作品を作り上げる一方で、《城への招待》のように、さまざまな舞曲を集めた自在な劇音楽もこなしてしまう。曲によっては、古典的な端正さ・厳粛さと、モダンな卑俗さとがひとつの作品の中で入れ替わり立ち替わり出現して聴き手を驚かせることも、稀ではありません。
 コパチンスカヤが惹かれているのは、そうした側面かもしれません。非クラシカルな発音や奏法、エキセントリックな弾きぶりでときにスキャンダルな話題すら振りまく彼女ですが、そのヴァイオリンの非常に面白い点は、民俗音楽的な奏法を大きく採り入れるときでも、根底には非常にクラシカルで安定した音感があることです。彼女の卓越した音感は、自ら歌唱パートを担った《月に憑かれたピエロ》でのアンサンブルのよさ、音程のはまり具合に如実にあらわれていましたが、それはヴァイオリンを弾くときでも変わりません。どんなに派手なポルタメントを採り入れようとも、どんなに楽譜を弾き崩そうとも、彼女のヴァイオリンが発音の瞬間に音を外すことは滅多にありません。(もちろん録音では、いかようにも修正が可能でしょうが、その修正すら本人の耳次第です。)シェーンベルクの難解なヴァイオリン協奏曲をレパートリーにするくらいの演奏家ですから、並外れた技巧の持ち主であり、よい耳の持ち主であることは間違いないのですけれども、その「西欧的な」耳のよさは、たとえ民俗的な音楽を弾くときでも、常に彼女の奏法の根幹にある。彼女自身のそうした二面性が、言葉の語源的な意味で「クラシカル」と「ポピュラー」の二面性を音楽の根幹に潜ませたプーランクの音楽を彼女が愛する理由のように、私には思えます。
 さて、当盤のプログラム。そのテーマのひとつは明らかにユダヤ系の民俗音楽「クレズマー」です。シェーンフィールドの三重奏曲はいかにもユダヤ的な旋律に満ちていて、それをヴァイオリンとクラリネットという、クレズマーには定番のふたつの楽器の色彩がこれでもかと強調しまくっている。しかもこのふたつの楽器、ここではその音程の揺らし方も堂に入ったもので、その終楽章のノリのよい乱痴気騒ぎは、先ほど言及した大トリの《クレズマー・ダンス》へと繋がっていきます。つまり、プーランクの《城への招待》が額縁を作る一方で、クレズマー音楽がプログラムに対称性を与えるという、二重の構造がこのアルバムには仕掛けられているのです。
 それらにサンドされた中間の2曲も聴きものです。ビエリとレシチェンコの二重奏によるプーランクのクラリネット・ソナタは、実は当盤中で私がもっとも深い感銘を受けた演奏です。洒脱で色彩豊かな録音に事欠かないこの曲に置いて、ビエリは強弱のコントラストをメリハリよく織り込んでいく一方で、中間楽章では内へ内へと沈潜していく歌を息長く歌い上げていく。この曲からここまで深刻な、陰翳の濃い音楽を引き出した演奏は、ちょっと珍しいのではないかと思います。
 そして《コントラスツ》。冒頭からしてコパチンスカヤらしいちょっとお行儀の悪いピチカートに始まり、ビエリもわずかに前後のクレズマー音楽に引きずられたかのような、ヴィブラートの強い吹きぶりを披露して、なかなかに不思議な雰囲気を醸し出していきます。伝説的なジャズ・クラリネット奏者のベニー・グッドマンとの共演を想定したこの作品では、東欧の民俗音楽的な要素もジャズ的な要素も採り入れて、短い中に多彩な音楽が繰り広げられますが、三人はその多彩さを強調して、この曲を実に楽しく聴かせてくれます。なお、第3楽章では、ヴァイオリンが通常の調弦ではなしに特殊調弦を用いて演奏するように指定されています。楽章間で調弦をし直す場合もあれば、あらかじめ別調弦をした楽器を用意しておいてそちらに持ち替える場合もありますが、コパチンスカヤはひょっとして冒頭の開放弦の和音が連続するところで、弾きながら調弦を変えているのでしょうか?いくら耳がよいからといってそんな芸当が可能とは思えませんけれども、そう聞こえるように、楽譜に派手なポルタメントを施して聴き手をあっと言わせます。こうした遊び心も実によろしい。


Take 3 Kopatchinskaja

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