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今日の1枚:ベートーヴェン、交響曲第4,5番(ノセダ)

ベートーヴェン:交響曲第4,5番
ジャナンドレア・ノセダ指揮ナショナル交響楽団
National Symphony Orchestra, NSO0009
録音:2022年1月10−22日(第4番)、2022年1月13,15,16日(第5番)

 合衆国ワシントンのケネディ・センターを本拠地とするナショナル交響楽団(日本ではしばしばワシントン・ナショナル交響楽団)の自主制作盤です。「盤」と書きましたがCDは見かけないのでデジタル・ファイルのみの販売だと思います。2017年より同響の音楽監督を務めるジャナンドレア・ノセダとはベートーヴェンの交響曲全曲録音を目指していて、既に第1,3番を収めたアルバムがリリースされており、これが第2弾となります。
 ミラノ生まれのジャナンドレア・ノセダは、以前ですと2002年から2011年まで首席指揮者を務めていたBBCフィルハーモニックとシャンドス・レーベルに数々の名録音を刻んでおり、また最近では首席客演指揮者を務めるロンドン交響楽団の自主レーベルLSOライヴでショスタコーヴィチの交響曲のツィクルスなどをリリースしていて、録音の世界では引っ張りだこの指揮者のひとりといっていいでしょう。   
 ノセダの音楽は管弦の対立を明確に彫琢する鮮やかな色彩感や活きのよいリズム感、勢いを大切にする熱狂や高揚の描き方に美点があって、ツボにはまるといい意味で聴き手を翻弄させてくれるところがあります。
 このアルバムに聴く交響曲第4番は、まさにそうした演奏です。終始一貫して速めのテンポを採り、低声部の弦やティンパニを強調して推進力のあるリズムを生みだす。息の短いフレージングを多用して、柔軟ではあっても粘りの少ない、ハキハキとした歌を旋律に通わせていく。その上で緩みなく一気呵成にクライマックスに向かって突き進む音楽は実にエキサイティングです。
 この作品でエキサイティングな演奏というと、例えばカルロス・クライバーとバイエルン国立管弦楽団を思い浮かべる向きも多いことでしょう。確かにここでノセダが聴かせる演奏は、その快刀乱麻ぶりにカルロス・クライバーを彷彿させるものがありますが、全体の印象は微妙に違う。カルロス・クライバーが前のめり気味に拍を打ち込み、聴き手にアグレッシヴに襲いかかるのに対して、ノセダは各部分での強弱のふくらみや減衰をきれいに描いて、快速の中にもいくぶんの余裕を感じさせます。またクライバーは古典派の音楽では情緒面を削ぎ落として構築美を前面に出す傾向があるけれども、例えば第2楽章あたりを聴くと、ノセダはベタつきはしないけれども旋律をよく歌っていて、もう少し中庸なところを目指しているのが感じられます。要するに、どこまでもストレートに突進するカルロス・クライバーに対して、ノセダの演奏は音楽のみせるさまざまな様相により目配りを効かせている、といったらいいでしょうか。
 筆者としては以上に述べた第4番の演奏に強い感銘を受けたのですけれども、交響曲第5番も颯爽としてたいへんな好演だと思います。第1楽章からして、ノセダのリズム感のよさが遺憾なく発揮されていて、あの有名な「運命の動機」が間合いよく積み重ねられていくさまには快感すら覚えます。その一方で、ホルンを中心に管楽器の色彩がよく前面に押し出されていて、ドラマチックであると同時に適切な範囲でカラフルさを感じさせるあたり、ノセダの面目躍如と言えることでしょう。しかも音響の組み立てが強靱なベースラインの上に成り立っていて、上っ面の流麗さに流れたりしないために、ゲルマン的な演奏スタイルと一線を画しながらも、それほどの違和感を感じさせないのもありがたいところです。
 中間の第2、3楽章も、フルトヴェングラーあたりがかつて聴かせたような深沈たる趣とは無縁ながら、音の立ち上がりの潔さ、活き活きとして渾々と湧き出てくる歌心は目を見張るばかり。終楽章はノセダらしいきらびやかさをいくぶん抑制しつつ始まるあたり、冒頭から盛り上がりすぎてジリ貧になることを避けているようです。その中で旋律の歌い口には張りがあり、そこにやがてトロンボーンやティンパニの勇壮な響きが乗っかっていくときには、大きな高揚を描き出す。そのあたりの持っていき方も上手くはまっています。
 ノセダのベートーヴェン、実は第1弾の交響曲第1,3番を収めたアルバムは一聴あまりピンと来なくて、そのままにしてしまっていたのですが、録音時期はこの第2弾とほぼ同じ頃なのでした。そんなに演奏に差があるのかなあ。認識をあらためるべく、いまいちど腰を落ち着けて聴き直してみようと思っています。
(本文1878字)

Beethoven symphonies 4 & 5

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