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偏愛の1曲:ヤナーチェク《カプリッチョ》

レオシュ・ヤナーチェク:左手と管楽のための《カプリッチョ》
EMI Classics, CMS2376062
ミハイル・ルーディ(ピアノ)
チャールズ・マッケラス指揮パリ・オペラ座管のメンバー
録音:1995年6月


janacek compilation EMI
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 好きな作曲家をひとり挙げるならば誰?という質問に対しては答えようがないけれども、「こういう作曲家になりたかった、という人をひとり」ならば、私の場合迷うことなく答えはレオシュ・ヤナーチェクです。ヤナーチェクの音楽を初めて聴いたのは80年代初頭の大学生の頃、ちょうどチャールズ・マッケラス指揮ウィーン・フィルによる《シンフォニエッタ》と《タラス・ブーリバ》の録音が出て、「ウィーン・フィルがこういう音楽もやるのか」と話題になった頃でした。(じっさいにはその以前からこのコンビによる歌劇の録音が始まっていたのですけれども、そちらは当時好事家向きというイメージだったと思います。)ほどなくしてブルノ国立フィルハーモニー管弦楽団がフランティシェク・イーレクと共に来日して京都で《タラス・ブーリバ》を採り上げましたし、またその少し後にはスメタナ四重奏団の日本公演でも弦楽四重奏曲のどちらかを演奏したのを大阪まで聴きに行った記憶があるので、実演で聴く機会にも早くから比較的恵まれていたかもしれません。ディスクではマリオス・パパドプーロスがピアノ・ソナタを弾き、またみずからロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団を弾き振りした《カプリッチョ》が英ハイペリオンにあって、このディスクに触れたことが私の人生のひとつの転機となった、ということは以前にどこかで書きました。
 ヤナーチェクの魅力って何だろう?と、実はひと月以上もこの原稿を書きあぐねていました。ひとことでは形容しがたいのは確かだし、かといって言葉を数多く費やせば書けるというものでもない。それは私自身の言葉の拙さという問題を別として、ヤナーチェクの音楽に言葉以前の、未分化の感情や本能といったものに深く関わる部分が大きいからのように思います。彼はけっして小器用な作曲家ではなくて、短い動機を執拗に反復し、その積み重ねからやがて何かが滲み出てくる、あるいは噴出してくるのを待つ、という姿勢を自分のスタイルとしています。そうしたスタイルの末に彼の音楽が映し出すのは、喜怒哀楽といった文化・文明によって洗練された感情や、言葉で説明可能な心理ではなくて、それらの底で渦巻いている心の動きです。それは言葉にならないからといって微弱なものではなく、微かな揺らぎから身体からほとばしるほどの激しいものまで、さまざまな強度をとる。ときには非常に性的なものでもあるし、生命の根源に関わるようなものでもある。かのフロイトが述べたところの「欲動」という言葉が、たぶんいちばん近いかもしれませんが、その「欲動」を直接手の触れるかたち、耳に聞こえるかたちにしてみせたのがヤナーチェクの音楽ではないか、と、とりあえずは考えています。
 そのヤナーチェクから個人的に思い入れのある1曲を選ぶとなると、これは文句なく《カプリッチョ》です。この曲の存在を知ったのは、たしかヤナーチェクの何かの日本盤CDのライナーノーツで、そこでは収録されていないにもかかわらず長々とこの曲を紹介していたのです。フルート(ピッコロ持ち替え)がひとり、あとは金管のみのアンサンブルを従えた、左手のみのピアノによる協奏的・室内楽的作品である《カプリッチョ》は、戦争によって右手の機能を失ったひとりのピアニストの委嘱によって生まれました。依頼を受けたヤナーチェクはその場では色よい返事はしなかったものの、左手のみによるピアノ演奏の可能性やサウンド構築について熟考し、ピアニストには内緒で筆を進めて、さあ完成という段階で初めて彼に曲の存在を明かしたと言います。片手ゆえに音量にハンデのあるピアノのために合奏の編成を絞ったことで、全体は室内楽的な規模になりました。金管楽器群の響きがもたらす、威力と風通しのよさを共に実現した合奏と、涼やかな音色でアクセントを加えるフルートがピアノに絡み、その中で舞曲的な動きもあれば、ある種神秘的な瞑想もある、ユーモアもあるし、ドラマチックな展開もある。わずか20分ほどの曲ですが、内容は濃厚で、聞き終わった後に一編の小説を読んだかのような充実感があります。
 《カプリッチョ》は特殊な編成のわりには録音に恵まれた曲で、ルドルフ・フィルクスニーを始めチェコ出身のピアニストの多くが録音を成していますし、西側のピアニストによる録音にも事欠きません。私が好んで聴くのはチャールズ・マッケラスがパリ・オペラ座管のメンバーと共演して、ミハイル・ルーディが独奏をとったものです。ヤナーチェクに定評のあるマッケラスにしては比較的知られていない録音であるのは、《カプリッチョ》にせよ併録の、ピアノと器楽アンサンブルのための《コンチェルティーノ》にせよ、聴き手がちょっと首を傾げそうな、思い切りドライな音の録り方のせいかもしれません。奥行きのあまり感じられない録音に難癖を付けるのは簡単ですけれども、その分ピアノと合奏の絡みが粉飾なく再現されているとも言えますし、なによりルーディのピアノがいい。左手のみによるピアノ独奏は、演奏者によっては合奏とのバランスがとれずに、弱さや力不足を感じさせることが多いですし、また技巧的にもたいへんなのでちゃんと弾けてるとは言いがたい演奏もときにある、そんな楽譜を前にして、十全な技巧と、なにより左手一本であることを感じさせない力強いタッチを惜しげもなく披露して、合奏と堂々と張り合っているのが、ここでは何よりの美点です。(ルーディはその最盛期に、リサイタルと協奏曲とをどちらも一度ずつ聴いたことがあるのですが、後者、ラフマニノフの協奏曲第2番では、その轟音に度肝を抜かれたものでした。)加えてウェットにならず、かつ熱いものを内に秘めた彼のスタイルと音楽との相性もいい。ルーディにはピアノ・ソナタ他ヤナーチェクの独奏曲を収めたアルバムも別にあって、センスの光る好盤でした。そこで見せたヤナーチェクへの適性が、ここでも遺憾なく発揮されていると言っていいでしょう。

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