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今日の1枚:ブラームス、ヴァイオリン・ソナタ全3曲(諏訪内晶子)

ブラームス:
ヴァイオリン・ソナタ第1番ト長調作品78
ヴァイオリン・ソナタ第2番イ長調作品100
ヴァイオリン・ソナタ第3番ニ短調作品108
Decca, UCCD45029
諏訪内晶子(ヴァイオリン)
エフゲニ・ボジャノフ(ピアノ)
録音時期:2023年10月

Brahms Suwanai
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 ヨハネス・ブラームスのヴァイオリン・ソナタ全3曲は実に録音の多い作品です。それはもちろん、曲としてのクオリティが非常に高いうえに、3曲ともに個性がはっきりとしているために、録音に採り上げ易いということがあるでしょうし、また3曲併せて(あるいはそこにシューマンらとの共作ソナタのために書いたスケルツォを加えて)CD1枚分として非常に都合のよい長さになるということもあるでしょう。今年になってからに限っても、既に何点か注目盤がリリースされているのですけれども、今回は敢えて諏訪内晶子の録音1点にしぼって採り上げたいと思います。優れた演奏・録音が他になかった訳ではありませんが、このアルバムはあまりに特徴がはっきりしていて、他のアルバムと同列には論じがたいからです。
 その特徴とは何か。まず諏訪内のヴァイオリンについて言うならば、ここでは非常に攻めた、積極的で濃厚な表現が盛り込まれている。強弱の推移や対比が明瞭に刻み込まれていて、音楽が刻々と変化していくので、聴いていて一瞬たりとも気が抜けません。さまざまな速度のヴィブラートが使い分けられているのは当然のこととして、テンポもよく動いて、生々しいまでの息遣いが音に乗せられていくのを感じます。そのうえで、例えばごく短いポルタメントが意外なところであらわれたりとか、音が鳴らされた途端に音色と音量を変えて響き方が変わるとか、言ってみればちょっとお行儀のよろしくない弾きぶりもあちこちに出てくるんだけれども、それが全体として見事にはまっているのが面白くもあります。フレージングも言いきりの部分でちょっと聴き慣れないダイナミクスの結構がついてたりして、聴き手は弾き手の思うがままに翻弄される感じです。
 こうした個性的な弾きぶりは、古風と感じられるかもしれませんし、人によってはSP時代くらいまでさかのぼる往年の巨匠ヴァイオリニストを想起するかもしれません。でも諏訪内の場合、たっぷりとした音色を響かせてフレーズを多く、豊かに歌い上げるとか、聴きどころで立ち止まったり、ふらついたりして耳をそばだたせるとか、そうしたポーズとは一線を画しているように思います。表情のつけ方においてはアグレッシヴながら、歌謡的な主題を歌い出す時にはちょっと引いて丁寧に、穏やかに歌い始める、その控えめというか、音楽への献身ぶりがあちこちに顔を出す点が、そうした印象をもたらします。大きく豊かな、朗々と歌い上げてたっぷりと聴き手を酔わせるような、そうした演奏を求める向きにはアピールしないかもしれませんが、曲がり角ごとに新しい風景が広がるような驚きに満ちた演奏を聴きたい方にはぜひお勧めしたい1枚です。
 そして、もうひとつ忘れてはならないのはピアノ・パートを担うボジャノフの弾きぶりです。この演奏が成功した理由の大きな部分は彼のピアノがもたらしているのかもしれません。前述の通りテンポがひっきりなしに揺れ動く演奏ですが、その中でピアノがテンポ変化を仕掛け、ヴァイオリンがそれに応じるという場面があちこちにありますし、また時にちょっと個性的な語り口をみせたりもする。例えば、ソナタ第2番第2楽章は緩い箇所とワルツ風の速い3拍子とが交替して一種のロンドを成していますが、そのワルツ風の場面での凝ったリズムの感じ方には驚かされます。全体に、ヴァイオリンに対して遠慮することなくアイデアをぶつけていくピアノで、ふたりが主従をめぐって丁々発止を切り結ぶかのようなスリリングな対話も、この演奏の聴きどころであることは疑いありません。

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