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きのうの1枚:バッハ《ゴールドベルク変奏曲》(濱田あや)

ヨハン・セバスチャン・バッハ:ゴールドベルク変奏曲
Evidence Classics, EVCD098
濱田あや(チェンバロ、リュッカース、1624年)
録音:2023年4月22−25日

 国内での発売は2023年10月のことであり、すでに新譜ではないですし、ほかに雑誌などでのレビューもあったことと思いますが、この1週間ほどずっとこのアルバムを聴いていて、文章を残しておかないことには次のディスクに取りかかれないので、心覚え程度のことを書き留めておきます。
 先日、フランス発の配信サービスQobuz(「コバズ」:ほぼ1年ほど前から日本でのサービス開始がアナウンスされていましたが、先日その延期が正式に通知されました)が「2023年コバズ・ベスト、クラシカル部門」と題して数点のアルバムを表彰しました。その中でかのヴィキングル・オラフソンが弾いた《ゴールドベルク変奏曲》と並んで栄に浴したのが、同じ曲を収録したこのアルバムでした。寡聞にしてそれまでこのアルバムの存在を知らなかったのですけれども、このニュースを知って購入し、たいへん気に入った次第です。
 濱田あやは兵庫県出身、ジュリアード音楽院で学んだ後、レ・ザール・フロリサンをはじめとするいくつかの団体でチェンバロ奏者を務めたほか、数多くの演奏家たちと共演してきました。現在はニューヨーク在住とのことです。
 最初に言っておきますが、この《ゴールドベルク変奏曲》は、鬼面人を驚かすような趣向を盛り込んだものではありません。でも、ここには聴き手を惹きつけて止まないものがある。まず感心するのは低声部の扱いです。この変奏曲は、ご存じの方も多いと思いますが、冒頭に置かれた「アリア」の低音の動きが主題であって、それを30通りに変奏していくものです。ですから、低声部の動きが明確に聞こえてこないと変奏曲としての体を成さないのですけれども、ここでの濱田の演奏はそこが非常によく練られていて、低声部の動きは常に明確であり、しかも活き活きとしたリズムと表情が与えられている。音量変化の不自由なチェンバロの演奏で「表情」と言う言葉を用いるのは適切でないと思われる向きもあることでしょうが、全体のバランスの中での低音の活かし方、その描き出すラインのわずかな揺らぎといったものが、機械的にならない温もりのある表情を感じさせるのは疑いのないところです。
 そして、その低音の動きにも感じられることですけれども、拍節の伸縮の自在さ、自然さにも目を見張るものがあります。バッハの書き込んだ装飾音を拍の伸び縮みに関連付けて、装飾音の立て込んでいるところではルバートのように拍が伸びる、という弾き方は、かのグスタフ・レオンハルト以来古楽演奏においてひとつのスタイルとして確立されたものですけれども、ここでの濱田の演奏は、そうしたスタイルを自然な音の動きとして消化した上で、シークエンスの終わりを示すリタルダンドなどのテンポ・ルバートと渾然一体化させて、拍節の伸び縮みに豊かなニュアンスを乗せていく。それがちっとも人工的な匂いを感じさせないで、泉から刻々と水が湧き出すかのように次の音楽を導き出していくさまが、非常に心地よく感じられます。
 そして最後に、上述のようによく手の入った、考え抜かれた演奏の全体を通じて響いてくるのは、その気品の高さです。速いパッセージも技巧の誇示にはしらず、余裕のある、それでいて誇張のないテンポ設定を一貫させており、それが楽器のもつ美しい発音と相まって、薫るような雰囲気を醸していく。聴き進むにつれ、また聴き返すにつれ、その魅力が聴き手の心に沁みわたってくる、そんな演奏と言っていいのではないでしょうか。
 なお、自身のサイトにアップされた動画で解説していますが、ここで濱田は、2段鍵盤のための変奏では反復時に右手と左手の鍵盤を交替させているそうです。華やかさと温かさが同居して豊かな響きを醸す鍵盤と、歯切れのよい明快な発音とともに、はっきりとした倍音が聴きとれる高声部に個性のある鍵盤と、その音色の交替もこの演奏を聴く楽しみのひとつです。

(本文1598字)


Hamada Aya

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