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今日の1枚:レスピーギ「ローマ三部作」トレヴィーノ指揮RAI国立響

レスピーギ:
交響詩『ローマの噴水』(1916)
交響詩『ローマの祭り』(1928)
交響詩『ローマの松』(1924)
Ondine, ODE1425
ロバート・トレヴィーノ指揮RAI国立交響楽団
録音時期:2022年11月24-26日

 RAI(イタリア放送協会)国立交響楽団は1994年に設立された団体です。一見歴史の浅い団体ですが、それ以前RAIはローマ、ミラノ、トリノ、ナポリにそれぞれ別のオーケストラを置いていたのを、リストラの上統合して新たな団体として再出発させたのでした。ローマやミラノ、トリノにあったオーケストラについてはいくつかの録音を聴くことができますが、優れた腕前を持つ団体とは言い難く、こうした大がかりなリストラもむべなるかなと、新団体発足当時は思ったものでした。
 合衆国出身のロバート・トレヴィーノはマルメ交響楽団とのベートーヴェン交響曲全集やバスク交響楽団とのラヴェル管弦楽曲集が好評を得て、一気に知名度を上げました。その彼は現在RAI響の首席客演指揮者を務めているそうで(現首席指揮者はアンドレ・オロスコ=エストラーダ)、その縁での録音ということでしょう。そして当盤は、ちょっと予想だにしなかった、ユニーク極まりない演奏を繰り広げていて、私はすっかり気に入ってしまいました。
 オットリーノ・レスピーギによるローマ三部作の録音というと、近年ではジョン・ウィルソン指揮シンフォニア・オヴ・ロンドン(Chandos)を筆頭に、オーケストラの名技性を前面に押し出して細部をシャープに彫琢し、かつ楽器間の遠近を丁寧に描き分けて作品の描写性・標題性を際立たせた演奏が高い評価を得ています。しかしここでのトレヴィーノとRAI響との演奏は、それらとはずいぶんと違う。
 RAI響はヨーロッパの名門オーケストラや、それこそシンフォニア・オヴ・ロンドンのような近年注目を浴びているヴィルトゥオーゾ・オーケストラのような、水際だった名技性をひけらかすような楽団ではありません。もちろん、かつてのトリノRAIやミラノRAIのようなボロボロのアンサンブルを聴かせる訳ではないけれども、切れ味のよいアンサンブルでリズムをシャープに浮き上がらせていくといったことはしない。というか、これはイタリアのオーケストラにままあることのようですが、付点リズムは甘め(つまり短い音符をやや長めにとる)で、その分シャープさには不足します。また《ローマの祭り》第1曲「チルチェンセス」あたりを聴くと、闘技場に引きずり出されるキリスト教徒たちの聖歌と猛獣の雄叫びとを鮮やかに対比させる、といった描写性への配慮も薄く、聖歌は大きく歌い上げられ、対する猛獣はいくぶん腰の引けがちなうなり声を上げる、という風に聞こえます。ローマ三部作は周知のように各曲がそれぞれ四つのテーマを挙げてローマの歴史・情景を語る音楽ですが、そうしたテーマに深く沈潜していくタイプの演奏を期待すると大いにはぐらかされます。
 その代わり、ここにはイタリアのオペラを思わせるような、豊かであふれんばかりの歌があります。弦楽器を中心に、歌謡的な旋律はたっぷりと歌い上げられて、遠慮のなさというか、歌に対する強烈な自負が、カラフルな管弦楽法を突き抜けて聞こえてくる。レスピーギが思い描いていたサウンド・イメージがこのようなものであったとしたら、私たち聴き手はちょっと認識をあらためないといけないかもしれません。
 付け足しになってしまいますが、各楽器の独奏はどれも見事なものです。やはり歌にあふれると同時に、明確な音色を持っている。それらを軸に据えた合奏は、内声部の端々にユニークな色彩を感じさせたり、テンポ・ルバートを多用して独特の間合いを作ったりと、個性豊かなものとなっています。これらのうちどれだけが指揮者トレヴィーノの要求で、どれだけがオーケストラの個性なのか。私などはオーケストラが好き放題にやっているように聴いてしまうのですけれども、もちろんそれは一種の願望に引きずられた偏見でしょう。

(本文1547字)


Respighi, the Roman Trilogy, Trevino

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