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今日の1枚:シューベルト《冬の旅》(デュボワ)

シューベルト:《冬の旅》全曲
NoMadMusic, NMM117
シリル・デュボワ(テノール)
アンヌ・ル・ボゼク(ピアノ)
録音:2021年1月

 クラシック音楽のファンという方々のうち、大多数の方は交響曲などの管弦楽作品かピアノ独奏曲をメインに聴いておられることと思います。このサイトでも、管弦楽曲やピアノ曲を採り上げた時の方が、室内楽作品を採り上げたときよりもはるかにアクセスの伸びがよいようです。ですが、今回は敢えて声楽曲、それも王道中の王道とも言うべきフランツ・シューベルトの《冬の旅》を採り上げます。
 私は大学の1,2年の時に第2外国語としてドイツ語を履修したものの、その後は復習を怠ったために、今ではさっぱり。ドイツ語の歌曲も聴いて意味が分かるという境地には程遠く、対訳を眺めて対応する文や単語が分かる、という程度です。ですので、ドイツ・リートについては、微に入り細をうがつように玩味する、ということはできません。けれどもリートを聴くことは嫌いじゃなくて、曲によっては一時期毎日のように熱心に聴いた、というものもあります。よく聴くきっかけとなったのはフーゴー・ヴォルフで、確か最初に聴いたのは80年代にリリースされたアンネ・ゾフィ・フォン・オッターのアルバムでした。これには強烈な印象を受けて、当時はヴォルフのアルバムをあれこれと集めたりもしましたし、90年にフランス留学したときには、出国直後にリリースされるとアナウンスされたドイツ・グラモフォンの「ヴォルフ歌曲全集」を、友人に頼んで買ってもらい、2年半後の帰国時に受け取った、なんてこともありました。なかでも気に入ったのは、第二次大戦前にフーゴー・ヴォルフ協会名義で出された大部のアルバム(これはレコードの歴史に関する本では必ず言及される、有名な企画ですね)で、英Pearlで出た復刻盤を買い、さらにEMIからのリリースも入手したくらいでした。
 シューベルトの《冬の旅》に触れたのは、そのずっと後、確か留学の終わり頃ですから92年ぐらいだったかと思います。最初に聴いたのは有名な、ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウがダニエル・バレンボイムと共演した録音。その後さまざまな音源を聴き、新譜にもけっこう手を出し、さらには奇妙な編曲版もあれこれと聴くなど、集めたディスクはかなりな数になります。(もちろん、《冬の旅》についての労作をものされた喜多尾道冬氏には遠く及ばないでしょうけれど。)おおよそのストーリーの展開は聞き知っていましたし、タイトルくらいは対訳ですぐに意味が察せられますから、最初の頃は歌詞などほとんど見ずに聴いていました。そうして旋律に耳が十分馴染んだ頃からあちこち少しずつ歌詞の対訳を読んでいく。(ドイツ・リートを聴くときの私の聴き方は基本そんな感じです。)ヴィルヘルム・ミュラーの詩による《冬の旅》は、失恋した若者が街を捨ててさすらいの旅に出るという、なかなかに陰鬱なテーマで暗い内容の曲が多いですけれども、その暗さにもグラデーションがあり、また描写的な音形が歌詞を敷衍するなど、意外に多彩で、かつとっかかりの多い曲集です。そのとっかかりのひとつひとつに立ち止まりながら、あちこちを聴きこんでいく。そうしているうちに曲集全体を通じて変容しつつ一貫して流れる心理の動きが耳に入ってくる。それは甘美に失恋を歌うのではなく、失恋を契機に社会とのつながりを失った若者の、厳しい内省の積み重ねなのかもしれません。その、甘くもの悲しいよりは厳しく内に向かう佇まいが、私にとっての《冬の旅》の魅力です。
 今回紹介するアルバムはフランスのテノール歌手、シリル・デュボワによる仏ノマド・ミュージックからの新譜です。デュボワは1985年生まれ、近年男声のみによるガブリエル・フォーレの歌曲全集を仏アパルテ・レーベルからリリースして注目を浴びた歌手ですが、フランス古典期の歌劇をはじめ、歌劇の分野での活動がこれまでの録音のメインだったと言っていいでしょう。フォーレの歌曲全集は伸びのよい美声もさることながら、ちょっと古風なrの発音をはじめとするフランス語のディクションや、比較的息の短いフレージングに色とりどりのニュアンスを与えていく巧みな歌い口が心地よく、すばらしい出来映えでした。
 では《冬の旅》はどうか? フランス人によるドイツ・リートということで、発音は端正ですけれどもドイツ語ネイティヴの歌手のような子音のかっちりとした強さは感じられず、むしろ母音の色合いの豊かさを前面に出した歌唱であることがまず見てとれます。しかし、ここで非常にユニークなのは、デュボワの歌い口です。おそらく彼の美声がもっとも活きる弱音を多用し、かつ意匠を凝らしたレガートとルバートで時にやや粘り気を感じさせつつ、旋律の繰り返しに、都度異なる色合いを施していく。力強い言葉は口をつくや、途端に力を失ったり、異なる方向へとベクトルを変えたりして、あちこちに飛散していく。音楽は有節歌曲らしい折り目正しさが曖昧となって、不定形に近い、刻々と変化する音の流れがそこから生まれてくる。内省に徹するにはやや美声に過ぎると感じる向きもあるでしょうし、またフォルテでの表現にいくぶんの物足りなさを覚える向きもあることでしょうが、少なくともこんなにユニークな《冬の旅》はちょっとない。「フランス人だから」ととらえることも可能でしょうが、例えば大先達ジェラール・スゼーやベルナール・クリュイセンの歌唱は、もっとずっとドイツ・リートらしい折り目正しさや佇まいの立派さに気を配っています。この独特な歌は、デュボワの個性とみなしてよいのでしょう。少なくとも私は、第1曲《おやすみ》を聴き始めた途端に、そのはかなげでありながら密度の濃い表現のとりことなり、最後までわくわくしながら聴き通してしまいました。
 伴奏は1905年製のベヒシュタインを弾くアンヌ・ル・ボゼク。その楽器のちょっとユニークな響き(かすかに不思議な共鳴が聴かれます)もよいのですが、柔軟な歌に対してむしろ頑なに歩みを進めて、全体によいテンションを張りめぐらせている点に好感が持てます。

(本文2458字)


Schubert, Winterreise (Dubois)

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