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今日の1枚:シューマン、ヴァイオリン・ソナタ第2,3番ほか(グランジョン)

「黄昏の歌」
シューマン:ヴァイオリン・ソナタ第2番ニ短調 Op.121
ディートリヒ:F.A.E.ソナタよりアレグロ
ブラームス:F.A.E.ソナタよりスケルツォ
シューマン:ヴァイオリン・ソナタ第3番イ短調 WoO.27
クララ・シューマン:3つのロマンス Op.22
Paraty, PTY2322097
アリアーヌ・グランジョン(ヴァイオリン)
ローラン・カバソ(ピアノ)
録音時期:2021年11月

 ロベルト・シューマンについては、実は苦手な曲が少なからずあります。4曲の交響曲についても、それぞれにすばらしいとは思うけれども個人的に好んで聴き返したいと思うのは第4番くらい。ピアノ独奏曲については、有名どころで好きと言えるのはおそらく《クライスレリアーナ》くらいで、その他の大作よりは《森の情景》や《暁の歌》、あるいは遺作の《天使の主題による変奏曲》といったあたりの方が性に合う、という感じで、一般的に名曲とされるものとは縁が薄いようです。室内楽作品については——そもそもシューマンの室内楽作品って、ピアノ五重奏曲、ピアノ四重奏曲あたりを除けばほとんど知名度に恵まれない作品ばかりですが——《三つのロマンス》作品94や《幻想小品集》作品73、それとヴァイオリン・ソナタ第2番作品121が、私の好む(偏愛する)作品となります。ヴァイオリン・ソナタ第2番については、往年のフランスの名手クリスチャン・フェラスによる録音で作品を聞き知って以来、飽きることなく聞き続けている、と言っていいかもしれません。力強く、熱量の高い音楽でありながら押しつけがましいところがなく、豊かな歌と同時に強い緊張感が全体に張り巡らされて弛緩するところもない。高い熱を帯びた第1楽章も魅力的ですし、何よりコラール《深き淵より》に基づく変奏曲である第3楽章の、シューマンらしいリズム・パターンをあれこれと挿みながら内向していく音楽の無類の深みは、シューマンのほかの作品にはなかなかみられないもののように思います。
 「黄昏の歌」と題された当盤は、1853年に書かれたソナタ第2番と、共作曲である《F・A・Eソナタ》のためにヨハネス・ブラームスとアルベルト・ディートリヒが書いた楽章、そのソナタからそれら2楽章を自らの書き下ろしと差し替えたヴァイオリン・ソナタ第3番、そしてやはり同年の作曲になるクララ・シューマンによる《三つのロマンス》作品22を収めています。ヴァイオリンのアリアーヌ・グランジョンは私にとって初めて聞く名前でしたが、以前にエヴィデンス・レーベルから出ていたマウリシオ・カーゲルの《風の薔薇》全8曲の録音に、アンサンブル・アレフの一員として参加していました。ピアノはローラン・カバソ。私にとってはたいへん懐かしい名前です。今世紀に入ってからは室内楽作品の録音が多いようですが、1990年前後に繊細な感受性を披露したシューマンの作品集をリリースして、たいへんに好評を得たことがありました。いちどだけステージでの演奏を聴いたことがあって、そのときは彼の軽い音と比較的小さい音量もあって、幅広いレパートリーを手がけるタイプではなさそうだと感じた覚えがあるのですが、その後ソロとしての活動が、例えば同じ頃に世に出たフィリップ・カサールやジャン=エフレム・バヴーゼと比べてはかばかしくないのは、そうしたことが理由としてあったのかもしれません。
 当盤への私の関心はまずソナタの第2番ということになりますが、これはちょっとユニークな演奏でした。この楽譜はシューマンらしくたくさんの強弱の変化が書き込まれていて、多くの演奏はそれを丁寧に拾い上げ、神経の細やかな、ともすると神経質に過ぎる演奏を繰り広げるものですけれども、ここでのグランジョンのヴァイオリンはそうした強弱のおびただしい変化をそのままに追いかけることはなくて、楽器をよく鳴らした響きをベースに、いくらか鷹揚に弾き進めます。といっても無神経であるとか、雑であるとかいうことではなく、旋律の抑揚には控えめながら効果的なルバートが施されますし、ピアノとの対話も間合いよく、適切なバランスとともに展開されます。その結果としてここに立ちあらわれるのは、繊細ではあっても病的でなく、むしろ生への活力にあふれる音楽です。特に聴きものなのは第3楽章の変奏曲で、第2変奏でいきなりテンポを上げて間合いを詰め、「活き活きと」とある指示をよく活かした後、第3変奏の高揚を自然に導き出し、第4変奏以下はたっぷりとした詩情を通わせつつ情に溺れず、さり気なく締めくくるという演出が見事にはまっています。
 ソナタ第3番はブックレットの記載されたふたりの言葉を要約すれば、技術的な難しさに加えて、変転し続ける、不器用といってもいいような気分の変化が難解で、なかなか演奏されない曲です。「しかしその欠点こそが人を感動させる」と述べるふたりは、ここでも細かい強弱の指示に足許をすくわれることなく、むしろ堂々と進めていく。そのことでとらえどころのないこの曲に、ある種の骨太さを与えることに成功したように思います。その後でアルバムを締めくくるクララ・シューマンの《ロマンス》は、むしろ繊細を面に出したヴァイオリンの弾きぶりが好対照で、これも聴きものでした。
 カバソのピアノについてもひと言触れないといけません。ここでの彼は若い頃の、瑞々しくはあっても線の細さも感じさせたピアノとはひと味違います。美しいタッチはそのままに、グランジョンの恰幅のよいヴァイオリンに、時に流麗に、時に力強く対峙するそのピアノは、彼の成熟ぶりを確実に伝えてくれています。

(全角2119字)


Schumann : Granjon & Cabasso

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