牛乳を飲みながら深夜に管を巻く

最初に言っておく。深夜テンションだ。

思考の推敲など全くもってしていない。きっと朝読むと後悔するのだろうが、私はきっとその後悔すら記録として楽しむだろうから問題ない。


私は最初スクールの紹介を受けていなかった。

人によってはそれによって数社で内定を決めている人もいたので、なぜそうしなかったのかと聞かれたこともある。

なぜ最初から使えるものを使わなかったのか、その理由をなんとなく語ってみる。


人には誰しも引け目のようなものがあるだろうが、私にとってその一つが新卒の時に就職活動しなかったということだ。

もともと定年までは教師として働かないだろうと思いながらも、就活を1度もする事はなく私は大学生活を終えた。周囲には試験勉強をしながら転職活動している人もいたが、なんとなく、本当になんとなく、私は何もしなかった。

教師の道を選んだと言えば聞こえがいいが、自分でもわかっている。私は将来について考えることを先延ばしにし、就職活動から逃げたのだ。目の前にある教員採用試験をかっこうの理由にした。

だって新卒の就活ってすごく気が乗らなかった。
(勝手なイメージだけど)学歴と謎の学チカ、コミュニケーション能力を測られる、自分を繕って綺麗事を言う、そんなイメージがあった。
一般的な職種は営業とか事務くらいしか知らなかったし、それが自分に向いている気もしなかった。

というのはただの言い訳で、この時に自分の将来について考えるという経験をしなかったことが私にとって胸のしこりのようなものとなっていたのだ。ちゃんと就活をして会社で働いている人間に対して、勝手に引け目のようなものを感じていた。


だからこそ、エンジニアとして未経験から就職活動するというのは過去を精算するチャンスだと思ったのだ。

市場に出たことのない私は、私にいくらの価値がつくのか知らない。

試されてみたかったというのもあるし、認められたかったというのもある。

私の何が評価されどういったところが強みなのか、就活をすれば見えてくるのではないかと思ったのだ。


結果としては、荒療治だったけども正解だった。

教師を辞め、山梨で住み込みで働き、東京に来た私は、大学4年生の私よりずっと「選択」してきていたし、それによって私の価値観はかなり影響を受けた。

言語化することは難しかったし、今でもその理由がしっくりきているかというと全くそんな事は無い。ある行動に対して、その理由を1つに絞るなんて事は到底できないのだから。

でも、自分の中で一貫した何かがあるということがわかった。そして、その価値観はある程度評価されうるものであるということがわかった。

かくして私は2ヶ月間の自分探しと言う名の就職活動を終えた。

その後も、どの会社に行くかはすごく悩んだ。あの1週間の葛藤を私はきっと忘れないし、それは今私がこの場に立つ理由でもある。


さて、最初に述べた「なぜスクールの紹介を最初受けなかったのか」という話に戻る。

大学時代に選択から逃げた私は、ここで紹介を受けたらまた逃げることになるのではないかと感じたのだ。これはすごい感覚的な話になるのだけど、紹介先のレベルが低いだとか、受けたら絶対に自分が受かると思っていたとか、そういった話ではない。
何もわからないながらも、とりあえず全力でもがいてみたかった。浮き輪をもらった状態で海に飛び込みたくなかった。

前提のない立場、他の人たちと同じ立場としてどのように比べられるのか、それを知りたかったというわがままでもある。


私の過去はこれである程度精算できたし、欲求も充分満たされた。

結局私はスクールの紹介を受けてその中の一社に行くことに決めたのだけど、何かの付加価値をもって実力以上の下駄を履く大切さも知った。それも込みで能力なのだと。

喉元過ぎれば熱さを忘れるというか、なんだかんだ終わってみれば良かったという感想しか出てこない。やはり、自分で選択するというのは大事なのだなと思った。

と、無理矢理結論づけたところで終わりにする。


ちなみに、この記事はMacの音声入力を使ってみた。
音声の識別はかなりしてくれるが、「あー」とか「うー」とか適当なことをしゃべれないので、ちゃんとした日本語を出力するために思考する時間も加味すると、結局キーボード入力する方が早いんじゃないかな。


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