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自分のことのように喜んでくれる人たち

これを書いているのは、

2024.7.31

今日は、
3度目の胚移植の結果が出る日。


1回目、2回目はする気にすらならなかった
フライング検査を
今回はなぜか絶対にしよう!!
と言う気になっていて
7/27の朝からはじめた。


何度この検査薬と睨めっこしただろう。

その度
検査の終わりを告げるラインだけを見て
がっかりして打ちひしがれたことだろう。


何か予感がしたのか
今回は7/27の朝からフライング検査をすることにした。


メーカーは2種類で行い、
徐々にラインは濃くなっていった。

市販の検査薬でも
ほぼ正確だけど
病院の判定日までは油断はできない。

なので夫と
今回は期待できるかも。

というところで気持ちをセーブした。


そして今日7/31
いよいよ血液検査で結果がわかる。



陽性だった。


ちゃんと妊娠していた。


まだ実感がない。


新たな命が
わたしの中にいる。


そして、家族や
近しい友人、不妊治療の相談をのってもらってた人たち

に、報告した。

まだまだ、
妊娠したとはいえ
胎嚢も見えない妊娠4週目🤰
ある程度経ってから伝えようか迷ったが 
みんな移植の日を知っているので
両親、姉妹、義両親、義姉家族、
叔母。

体外受精の先輩2人。

友人4人。

住んでいる町のお世話になっている2人。


誰もが
びっくりして そしてとても喜んでくれた。


長年の体外受精の先輩である
担当美容師さんに
連絡すると
電話の向こうで
わたしより先に号泣していた笑

思わず釣られ泣きした笑


叫に近い号泣と喜びは
心から祈っていてくれたんだなぁと改めて実感した。

これを書いてる今日は、
この投稿は投稿しない。


これを皆さんに
見てもらう頃には安定期か産まれている頃だと思う。


予定日は4/9


春だ。

安定期に入るのはきっと秋。


大々的な発表は
いつがいいのだろうと今は思っている。


いろんな人が
この妊娠を喜んでくれている。

それが嬉しい。


今月いっぱいは安静に。

医師からも
運動、動き回ることは絶対にしないこと 
と念を押された。


なので、
8月もシフトに入っていたのだが
フライング検査の時点で
いつもより減らしてもらっていた。


が、ドクターストップもでたので
仕事は全てなしにしてもらった。


上司は快く変更を受け入れてくれ 

絶対に無理しないように、重いものも持たないように。
大事なことだから。

といってくれた。


前にも書いたが
わたしが正社員を辞めたのは
妊活が主な理由。

34歳の春に過労で入院した。
その時におもった。

高年齢出産の年齢になるし
本腰を入れて治療しないといけないと。

33歳で結婚し、長年勤めていたアパレルの会社を
通勤ができないため、退職。


すぐに転職して、半年ほど働いた時だった。
高熱と激しい腹痛で入院となった。


退職の話し合いの時には
夫と激しい言い合いになった。

それは、あって良かった言い合いだったと今では思う。

喧嘩ではない。
話し合い。
それがヒートアップした。


しっかりとお互いを理解して話し合いは終了家族にも伝え、わたしは半年間専業主婦となる。


そして夫の転勤や家のリフォームのため
この街にやってきたのだ。

この街にきて知り合いもコミュニティもないわたしは、パートに出ることにした。


この記事を更新する頃には
この街からはおそらく去った後だと思う。


不妊治療を始めたのは33の冬。
まずは、さまざまな検査からはじまった。

そして、タイミング法が始まったのは
専業主婦になったタイミング。
人工授精を一回して引っ越しのため転院。

転院した先で2回ほど人工授精をした後に
ステップアップすることを決め

今のクリニックに通院し出した。
36歳の春だった。

最初から体外受精に移ったわけではない。

2回ほどここでも
人工授精をして、わたしの体の状態を確認し、
秋から体外受精となった。

採卵は2度経験した
胚移植は3回。

3回目の前に
子宮内膜ポリープの手術と
子宮内膜増殖症の発見。

そこから内膜をきれいにするため 生理を起こして内膜を剥がす作業を何ヶ月か行い。

2024.7.22
3回目の胚移植。
二つの卵を戻した。


そして、妊娠判定をもらった。


この子がどうなっていくかはわからないが、
とにかく安静にして
すくすく育って欲しいと思う。

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