藍﨑藍
大学生の設楽はアパートの大家・伊良部の頼みで、ある人物に手紙を渡すように頼まれる。訪れた先で設楽を待ちうけていたのは男の死体だった。友人の水瀬も事件に関わっていることを知り、設楽は頭を巡らせるが……。辿り着いた真実を前に、設楽は何を思うのか。
シャドウタウンに一人暮らす霧島は、少年・カイから失踪した母親を探してほしいと頼まれる。シャドウタウンやネオンシティで異変が起きていることに気がついた霧島は、友人・グエンの力を借り、現市長が建てた公立病院へ潜入する。そこでは恐るべき計画が進められていた。窮地に追い込まれた霧島が取った行動とは。ディストピア世界を駆け抜ける、バディ×ノワールサスペンス。
第1話 シャドウタウンの夜は重く濃い。排気ガスや腐臭が入り混じり、光の届かない夜の街に野良犬の遠吠えが響きわたる。ふらりとそこへ迷いこんだ人物を待ち受けるのが物乞いであれば、まだ幸運な方だ。身ぐるみを剥がされ明朝には死体となって道に転がることも珍しくない。 霧島はバラック小屋が立ち並ぶ通りを進んでいた。足を踏み出すたびに薄汚れたコートのすそが翻る。道路の端で死んだようにぼろ布にくるまっている男を一瞥し、今日もシャドウタウンを闊歩する。 寒風が吹きつける中、霧島は
第9話はこちら シャドウタウンの春は遅い。だがいずれ訪れる。寒さは和らぎ温かな日差しが氷を溶かし、雪解けの水たまりに青空が映る。 三田村の建てた病院が爆発してからというもの、この辺りの人通りはほとんどなかった。しかしその跡地には新町長主導の下、新しい病院が建てられた。新築の壁には「ネビュラタウン独立記念式典」と書かれた横断幕が掲げられている。病院の前の広場には、シャドウタウン改めネビュラタウンの住人だけでなく、ネオンシティの報道陣も多数詰めかけていた。活気に満ちあふれ
第8話はこちら 霧島と李は、医師や看護師たちが診察や処置を手早く進めていくのを黙って見ていた。部屋に三人だけが残されると、李はすぐさま口火を切った。 「十年経っても相変わらず口は悪いのね」 「性格は……おまえより、はるかにマシだ」「おい、無理するなよ」 当然傷が痛むのだろう。グエンは相当つらそうな表情を浮かべている。グエンに喋らせるのは得策ではないと考え、霧島は李に顔を向けた。 「グエンとはどこで知り合ったんだ」 すると李は意外そうに目を見開き、芝居かかったよ
第7話はこちら 武器になりうるものを全て取り上げられた霧島は、捜査員たちに銃口を向けられヘリコプターに乗りこんだ。北西部の山を越え、辿り着いたのは山中の小さな施設だった。この辺りはとても静かだ。シャドウタウンの危険な緊張もなく、ネオンシティ中心部の繁華街のような賑わいもない。機械の駆動する周期的な音だけが流れていた。 「この病院では人体実験なんてやっていないんだろうな」 緊急手術を受けたグエンは一命を取りとめ、今は酸素マスクをつけたまま昏々と眠っている。腕に繋がれた
第6話はこちら かつてシャドウタウンが都市機能を有していた頃、霧島は両親と弟とともに暮らしていた。決して裕福な家庭ではなかったが幸せだったと思う。いや、当時はその当たり前を幸せとは感じていなかった。退屈だったと言ってもいい。 だが戦争が始まると状況は一変した。父は出先でスパイと疑われて殺され、母と弟は空襲で焼け死んだ。運悪く生き残った霧島は、シャドウタウンでたった一人生きてきた。無力さを嘆き、孤独を抱え、怒りを抱きしめ、悲しみを殺して生きてきた。 だからこそ心の底
第5話はこちら 「次のニュースです。十一月二日にネオンシティ西部で起きた病院爆破事件について、捜査当局は犯人と思しき人物を全国に指名手配したことを発表しました」 霧島が端末上に映った自分の顔写真を複雑な気持ちで眺めていると、扉が開いてコーヒーの香りが漂ってきた。 「全国デビューした気分はどうだ」 グエンがどんとカップを置くと、コーヒーが少し跳ねて飛ぶ。礼を言って受け取り、かぐわしい香りと苦味をすすった。 「どうしようもないな。戸籍があるっていうのも考えものだ」
第4話はこちら 野木の部下らしき女と別れ、霧島はさらに下の階へ足を向けた。地下二階は一層セキュリティが厳しいようだが、野木の社員証をカードリーダーにかざすと簡単に扉が開く。 部屋のつくりは先ほど見ていた地下一階と大きくは違わない。ガラス張りの部屋に並ぶベッドと機械。多数のチューブが繋がり横たわる患者たち。しかし患者に繋がれた機械はより大きく、雰囲気は物々しい。寝かされている患者の状態が悪いことは容易に見てとれた。霧島がベッドを覗きこむと、苦悶の表情を浮かべていた男が恐
第3話はこちら 霧島の背に汗が伝う。気配から察するに相手は三人、いや四人。ナイフを隠し持った霧島が正面から戦って制圧できない数ではないが、助けを呼ばれたり厳戒態勢にされたりするのは避けたかった。元来た扉は鍵がかかっている。スライド式扉のため、開いた扉の影に身を隠すことはできない。 やはり一瞬で制圧するしかなさそうだ。覚悟を決めた霧島は腰につけたホルダーからゆっくりとナイフを引き抜く。長く息を吐き出し腹に力を込め、ひと思いに扉を開く。 少し靄がかった部屋の中で、職員
第2話はこちら グエンのもとを訪れた二日後、霧島は咳きこみながら荒涼とした廃墟を歩いていた。当然ながら、咳きこむふりをしているだけである。 「病人みたいだろ?」 『とっととくたばれよ』 グエンの舌打ちと吐き捨てる声が、霧島の耳元から聞こえてくる。霧島の耳に入っているのは超小型の通信機で、距離や妨害電波にかかわらず通信可能な優れものだ。霧島の見た映像は目に入れたコンタクトレンズを通じ、リアルタイムでグエンのもとへ共有されている。 霧島の顔が赤いのは必要以上に衣服を
第1話はこちら 「仕事は選んだ方がいいぜ」 長身で筋骨隆々の霧島とは違い、グエンは華奢で小柄な男だ。彼は皮肉めいた笑みのまま首を振った。 「消えた母親探しを頼まれた。それを手伝ってほしい」 「賭けてもいい。十中八九騙されてるぜ。もしそうじゃないならなおのこと手を引くべきだ。どう見てもやばすぎる」 霧島は時おりグエンのもとを訪ねては仕事を手伝ってもらっている。グエンが相場よりもはるかに高い報酬に警戒するのはその経験からだろう。 だが、そう言われることは想定内だっ
第6話はこちら 肘が何か固い物に当たる感覚があり、設楽は重いまぶたをこじ開けた。すぐ目の前にテーブルの脚が迫っている。 昨晩、花火の後も伊良部と飲み続けた設楽は、そのまま伊良部の部屋で寝ていたらしい。ザルと言っても良いほど酒に強い伊良部とは違い、設楽はそれほど強くない。缶ビールとチューハイを一本ずつ、あとは水を飲んでいたはずだがその記憶も曖昧だ。尋常でなく速いペースの伊良部と一緒だったため飲み過ぎたらしい。吐き気がするほどではなかったが、頭はひどく痛む。 床に手を
第5話はこちら 大学付近のスーパーマーケットで買い出しをすませ、伊良部の部屋へと戻ったときには午後六時を回っていた。すでに交通規制が敷かれており、道幅いっぱいに人が広がって歩いている。 「遅かったね。待ちくたびれたよ」 キッチンをのぞくと伊良部は何やら料理をしているらしい。香ばしい匂いに、腹が空いていることを自覚させられる。腕まくりもせずにコンロの前で立ち、暑くはないのだろうか。 「いろいろあったんで」 「物騒なこともあるものだね」 仙道が死亡していたことは伊
第4話はこちら 設楽は水瀬をアパートまで送り届けるつもりだったが、水瀬はそれを笑って断った。 「本当はこれから用事があるんでしょう?」 水瀬は疲れた表情を浮かべていたが幾分落ち着いたらしい。水瀬と店の前で別れ、設楽は忌々しいほど眩しい太陽をにらみつけた。 空には雲一つ見えなかった。天候が崩れることもなく、今晩の花火大会はつつがなく行われるだろう。伊良部から言いつけられた買い出しのことを忘れたわけではなかったが、設楽には今日どうしても行きたい場所があった。それほど
第3話はこちら 水瀬百合の事情聴取はマンション内の別の共有スペースで行われたらしい。皮肉なほどに施設が充実したマンションだ。 水瀬は設楽と同じ大学に通っており、学部は違うが同学年だ。そして何の縁か、彼女もリバーサイドベイラの住人である。廊下ですれ違えば挨拶くらいはするものの、それ以外で関わることはほとんどない。 水瀬はその端麗な容姿で良くも悪くもとても目立つ。性別問わず誰かとともに行動している姿をほとんど見かけないため、その私生活は謎に包まれている。設楽が水瀬につ
第2話はこちら 高級なマンションには共有のラウンジスペースが存在する、ということを設楽は初めて知った。体を包みこむソファは柔らかすぎて居心地が悪い。ガラス張りの窓からは市街地が一望でき、雲一つない青空に遠く山の稜線が見える。光沢のある木製テーブルの脚は太く、重厚感を醸し出していた。部屋の端にはコーヒーマシンや自動販売機が置かれており、住人であれば自由に使用できるのだろう。重苦しい空気の中、設楽は手渡されたペットボトルの茶をあおった。 「君とまさかこんなところで再会するな
第1話 大学へ続く大通りから外れると、辺りは一気に暗くなる。この辺りは街灯が少なくとても静かだ。がさりと何かが動く音がして、水瀬百合は慌てて後ろを振り返った。街灯に照らし出されたのは一匹の黒猫だ。塀から飛び降りる際、木の枝に当たって葉が音を立てたらしい。水瀬は胸を撫で下ろしたが、じっとこちらを見つめる金色の目はどこか不気味だ。 盆地特有の湿った空気は肌に執拗にまとわりつく。汗でべたつく肌を不快に感じながら、水瀬は髪を耳にかけて人気のない細い道を進んでいく。 駅へ近づく