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道徳の価値

小学校一年生、道徳の授業を参観した。
公共物は大切にしよう、という趣旨の教材を読み、子どもたちは、ルールは守らなければならない、と答えた。

途中、これまでに、ルールを守れなかったこと、あったかな?と問いかけると、何人かの子どもたちは、懺悔的な口調で「こういうことをしてしまったことがある。」と述べた。

道徳で扱う価値規範が、私たちの社会にとって重要であるにもかかわらず、道徳の授業は妙な難しさがある。この場合、どんな授業をしたらよかったのだろうか。

ルールを守らなければならない、と言うことは簡単だ。ルールを破ってしまったことは悪で、ルールを守ることは善だ。善と悪の二元論を提示されれば、ルールを守るべきだという善き判断を示すに決まっている。

でも、子どもたちに考えさせたいのは、悪いと分かっていても、ルールを破ってしまうことがあるというような、善と悪の間で揺れ動く心が誰にでもあるということだ。

何かに夢中になってしまったり、弱い心が出てしまったり、誰かに対して嫌な感情を持ってしまったりすると、頭では善き行いをすべきだと分かっていても、ルールを破ったり、嫌な言動をしてしまったりしてしまう。

何で、そんな振る舞いをしてしまったんだろうね。そういうこともあるよね。では、どうしたらよかったんだろうね。ルールを破ると、自分や、別の誰かが困ってしまうことを想像できたらいいよね。そういうことを深く考えて、その成果を日常生活に反映していく。

そんな道徳の授業なら、もう少し「役に立つ」のかもしれない。

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