子ども達に会社を継がせないたったひとつの理由

フロイデ株式会社はもともと実父が創業した会社で、私は二代目になります。しかしフロイデはもともと輸入貿易会社で立ち上げ後、すぐに資本金を食いつぶして休眠状態となって10年以上経ってから、私がフリーランスエンジニアの時に当時のクライアントから『法人取引にして欲しい』と言われて名義借りし、そのままズルズルとお世話になり、結果的に名義狩りしました。なので「それは二代目ではなくて創業者ですよ」と言う人もいます。

個人的には創業者だろうが二代目だろうがどっちでも良いと思っています。私も相手や自分の気分次第で「起業しました」「二代目です」と言い方を変えます。
ただ、自分では自分を「起業家」と思っています。

私の実父も起業家でした。私が社会人になって家を出てからなので恩恵に預かってはいませんが、一時期はフロイデ含め4つの会社を持ち20億近い売上をあげパート含め200人近い従業員がいたそうです。逆に私が子どもの頃は、売上が5000万しかない時に1億以上騙し取られ、ずっと絵に描いたような貧乏生活を送っていました。小さい頃友達とお祭りに行きたいからお金頂戴というといきなり泣き出した母親からフルスイングで300円顔面めがけて投げつけられる…それくらいには貧乏でした。

実父が起業家の実家は、私が子どもの頃はいつもありとあらゆる事業の実験場でした。よくわからない機械のパーツが大量にあるのはデフォルトで、輸入貿易に力を入れていた時は死ぬほどダサいジーンズや死にかけた伊勢海老が大量に入ったビショビショになった段ボールなど、とにかくもういつも自分の想定外のものが自宅にありました。その度に実父は
「あれはダメやった!けどこれがうまくいったら旅行に行こう、服を買おう、◯◯をしよう」
と笑顔でいい、お祭りにいけない現実はかわらなかったものの、それは私の希望でした。

そんな実父が手掛けた様々なビジネスを、私は何一つ引き継いでいません。ただ「起業家」が持つ力を一つだけ引き継ぎました。それは
最悪な状況から希望を見出す力
です。

リーマンショックの時、フロイデは非常に資金繰り的にまずい状況になりました。その時実父は、資金繰りの支援でもなく有力者の紹介でもなく
「こういう不景気に2〜3回洗われたら経営者として成長するぞ、頑張れ」
という言葉をくれました。
そして色々ありはしたものの、結果的に私は業績によるレイオフを一人もせずに乗り切りました。あれが、私が起業家精神の一つを実父から引き継いだ瞬間でした。フロイデの代表取締役になったのもこの頃でした。

おかげで、普段はしょーもないことでクヨクヨする質なのですが、本当にやばい時には吹っ切ってガツっと目標をたててまっすぐ進めるようになりました。

また、私には弟が2人いますが、彼らは40過ぎた現在、起業家にはなっていません。彼らは「最悪な状況を回避する」生き方を今は選んでいます。2人とも私同様学歴もなく新卒カード切り損ねて社会に出ましたが、良い奥様と賢い子ども達とマイホームを獲得し、羨ましい限りです。そして彼らはもし最悪な状況になったら、きっと私より強い起業家精神を発動するでしょう。

今私が子どもに継がせたいのは起業家精神です。事業体そのものは私ではなく、今一生懸命会社を切り盛りしてくれている社員に引き渡すべきで、子ども達に引き渡すものではないと思っています。実父も債務超過寸前で社員ゼロの休眠会社だったフロイデこそ私に譲ったものの、本体の会社は社員に譲りました。その会社は来月解散するそうです。それが間違っていたとも正しいとも思いません。そういうもの、だと思っています。

私は、実父から起業家精神を引き継ぎました。私は、実父の娘でなければ、起業家にはなっていません。
「あの事業はダメやった!惜しかった!けどこれがうまくいったら旅行に行こう、服を買おう、◯◯をしよう!」
今起業してこんなことばかり社員に言っていたら、言ってることとやってることが違うとか期待値コントロールが云々とか間違いなく言われるでしょう。ですが、子どもの時にあばら家で親戚中からの借金で辛うじて継続している生活の中で私が父から得た「最悪な状況から希望を見出す力」は、中途半端な習い事で得た教養やサボりがちな塾で得たわずかな学力より、はるかに起業家としての私を支えてくれています。私にとっては我が子にはこの力を継がせることが最優先で、他を継がせる暇はありません。