わたしの歴史を聞いてくれますか?

生まれは千葉県。佐倉市だったそう。そこそこ年の離れた姉と兄がおります。末っ子です。
生まれてすぐ宮城へ。幼稚園上がる前に上海へ。そして小学校上がる前に帰国して父の実家がある三重県桑名市へ引っ越し、それからずっと桑名で育ちました。

普通に地元の小学校と中学校通って、ちょっと受験勉強頑張って高校は進学校へ進み、でもゲーム三昧の日々を送って見事に落ちこぼれ、大学は滑り止めのところへぎりっぎりで入り込み、でも留年はせず楽しく充実した4年間を過ごしました。

就活も苦戦して。入社した会社に決まったのは4年生の10月。ちょうど今くらいの時期だ。
周りもだいたい内定もらってて。父親はずっと単身赴任だったから母親が姉兄のときから更新されてない就活の価値観を押しつけてきて。
まぁなんとか一般事務職正社員で、社会人生活をスタートさせました。

漆黒ではなかったけどまぁまぁブラックな会社で。濃いグレー的な(笑)名古屋らしい閉鎖的な会社でしたね。しっかり独身のお局様がいるテンプレートな地元企業でした。

仕事に慣れてきたら、徐々に同じグループの女性の先輩(40歳くらい)の尻拭いが多くなって。なんで私20も年上の人の尻拭いしてるの?ってなって。会社辞めますって所長に言ったんです。

そしたらもともと名古屋の所長だった東京営業所の所長から電話がかかってきて。「辞めるくらいなら東京おいで!」って言ってくださって。もう辞めると決めていたつもりだったけど本当に熱心に説得してくださって。地元の駅のベンチで泣きながら電話したことが鮮明に思い出されます。

もともと会社やめたら東京に出ようと思っていたから、せっかく所長がわざわざ個人携帯にまで電話して誘ってくださったのだからもう少しこの会社で頑張ってみようと思って。一般職から総合職への職群転換+転勤というその会社史上初めての辞令となりました。歴史を刻んできてやったぜ!

まぁでもね、いろいろあって、やっぱり閉鎖的な会社だなーなんて感じて。適応障害も起こして心療内科にお世話になり。所長にはすごく申し訳なかったけど2年働いた後結局退職して。いったん自由になってみようと思って、派遣社員で仕事を探し、派遣の事務職で働くことになりました。
これが平日OL週末メイドの始まりです。

続きはまた今度。

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