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私がnoteを始めた訳。大切なものを大切にする為に…


皆さんこんにちは。彫刻家の佐野藍です。

突然ですがnoteを始めました。

「彫刻家」とだけ聞いてもピンとこない方も沢山いらっしゃると思いますので、まずは自己紹介を。

私は大理石という石を使って、塊から形を彫り出して彫刻を制作、発表、販売をしています。ドラゴンや幻獣、生き物を彫ることが大半です。

彫刻家だけでなく、芸術家はいろんな方法でみんな生きていて

●お仕事をされながら同時に制作発表をされている作家がいたり

●作品を制作販売しながら発表と制作、生活を循環させて生きている作家がいたり

●スポンサー協力を得て作品を発表されたり

●コンペ等のエントリーをしたり
レジデンスに参加したり。

最近では、

●クラウドファンディングを駆使して上手に資金繰りをして目標を達成している作家も多いですよね。
私の学生時代の同級生の映画監督、横川寛人君もその1人。素晴らしい仕組みと思います。
(と同時に私の性格では手を出せないハードルの高さを感じる。駆使できる人、心から尊敬…)

私の生き方は現状…

●作品を制作販売しながら発表と制作、生活を循環させて生きている作家

に当たります。

活動を共にしているのはギャラリー花影抄という文京区根津に店舗を構える小さなギャラリー。
2016年から、作品販売や発表をさせて頂いていて、私の作品の主な卸先のようなものです。
コロナ禍で今でこそ美術作品のオンライン販売が増えて来ていますが、このギャラリーではかなり前からオンライン販売にも力を入れていて私の活動を支えて下さっています。

私の一年のサイクルとして

●年のどこかで花影抄による企画個展を一回
●グループ展のご依頼があり、条件が合えばエントリー(だいたい年に2回)
●月に数点作品をオンライン販売

という感じです。作家としては展示発表が少ない方かもしれません。

※作品のビジュアルをご覧になりたい場合はインスタを↓
https://www.instagram.com/ai.sano_sculpture

※作家の発表告知や日常の呟きに興味のある方はTwitterを↓

https://twitter.com/Ai_shirokoumori

こういったスケジュールの中で、主にTwitterにて活動報告や告知、日々の呟きを投稿しています。
Twitterで作家アカウントの運用を始めたきっかけも、ギャラリーとの方針の中で、作家アカウントを持つメリットについてお話があり納得した上で作家としての告知アカウントとして始めました。

作家アカウントを持つ上で月日も経ち、だいぶ慣れてもきましたが、ちょっと最近思う事もあり突然ですが、noteを始めました。

自己紹介が長くなりましたが、ここからが本題。

元々私はHSP(ハイリー・センシティブ・パーソン)という気質を持って生まれて(こちらも自分の神経質な性格に悩み、昨年やっと自分がこの気質の持ち主だということにたまたま見つけた本を読み判明)本来Twitterというツールは自分には相当向いていない。

Twitterの特性上、不特定多数の呟きが流れてくるのだが、掻い摘んだふとした他者の呟きを自分の過去にあった苦しい経験からの自分だけの苦痛と繋げてしまいがちだ。それは他者との境界線を設けにくい自分の気質から起こってしまうもので、そのあたりに最近特に自己嫌悪に陥りやすくなっていた。
もちろんミュートなどの機能はしっかり使った上で、(しかしブロックは個人的にすることにかなり高いハードルを感じるので滅多なことではしない)それでも情報は見えてくる時もあり、心の置き所に疲れてしまったし、自分自身を守ろうとするほど、それが他者攻撃にもなり得てしまうのが辛い。

このような心理状態にとりわけスイッチが入ってしまったのも、振り返ればこのツイートがきっかけと思う。

女性作家が理不尽に被る心ない一般論とやらで、沢山の作家が傷ついているということが、反響の数で伺える。
ツリーを見れば、沢山の女性作家達が、辛い経験を口々に私のツイートに吊り下げていった。

私は今のこの国の現状を

「事象に対する摩擦すらも回避してきてしまったことによる、痛みへの想像力の欠落」

と捉えている。

ここ最近の芸能関係の仕事をする人たちへの誹謗中傷もそれによる現象だと思っている。

私はこのツイートをした時、本気で

私自身にこのような事を言う人には、正面から「丁寧に」そう言う事を言われたら嫌だ と伝え、それを事あるごとにして行けばいずれこう言う世界は終わると信じていた。

言われっぱなしだから相手も調子に乗って、「か弱い女性作家はサンドバックにしていいし、どうせ女は守ってもらえていざとなったら結婚し、守られながら楽しく彫刻をすればいい」という思考しか持てないのだ。と

あえて摩擦を起こすことで、私より下の世代にこのようなことが起こる確率も減らせると思った。
摩擦に慣れてる私ならそれで世の中を変えて行ける、自分がやらなきゃ、と思った。

けれどもそれからもこのことについてはいつも考えていた。

私はこの言葉を放った人を言いまかせたいわけでも無い。

もっと言えば、この事象は私にこの言葉を放った本人の苦痛を物語っていた。

自由に見える私(や大きく女性作家)

今まで生きてきて、苦労と責任に追われた男性、家長としての身動きが効かない自分

そのコントラストで、つい言葉が出てしまったのだと思う。要は、私に向けた罵声というより、自分自身の身の上の愚痴なのではないかと。なのだとしたら、その相手の苦痛だって見逃せない。

そんなことが茶飯事的にある今の日本はだいぶ病んでいる。

もっと各々がいろんなしがらみやなくてもいい苦労から解放されれば、私たちもそのような幻想によりサンドバッグになる事もなくなるのではないか。

と今はそちらをより信じるようになった。

言うのは簡単で実際にはとても難しいことだというのはよくわかっている。実際今までこの国全体がよしとしてきた価値観が、そう簡単に変わるわけもない。

それに耐えて、生きてきた人たちもいる中で。

けれども私たちも難しい「今」を生きている。

黙ったままでも何も始まらない。

ただ、Twitterでそれをしようとしても、綴れる文字は限られるし、突発的に言葉を発してしまう自分にはやはり危険行為。結局自分が疲弊して、自己防衛だとしても他人を直接攻撃にする形になりそれにも嫌悪し、制作に支障が出るんじゃ意味がない。

私自身、苦労話やしなくてもいい身の上話をひけらかしたいわけでもない、ただ、そう言った苦労や大変さを提示しなければ、作家としての土俵にすら立たせてもらえないような錯覚に陥るほど、女性作家である自分に対して、浴びる言葉があまりにも無責任で、平気で心を支える杖を蹴飛ばされた気持ちに沢山させられてきた。私にも沢山の守らなきゃ行けないものがある。沢山守られてるのも事実だけど、沢山頑張らなければ手からこぼれ落ちてしまうものを必死に守ってきたのだ。

まだまだ、女性作家の立場は本当に弱い。

私も純粋に、「自分は幸せ者」と言いたい。
支えてくれる沢山の方にとってもその方が素敵に決まってる。実際私は、本当に幸せ者だと思っています。

けれどもそんな綺麗事、まだまだ手放しで言える状況ではないのです。


というわけでnoteを始めるに至りました。

Twitterも、もう少し負の感情を抑えて、本来の作家の活動をクリーンにお伝えする場として使えるように、住み分けていきたいと思います。私を純粋に応援して下さる方々の為にも。

勿論、自分が受けてきた理不尽な言葉も行動も、無かったことにすることはしません。
そう言う事を主張するのも悪いこととは思っていません。(Twitterではもう少し控えたいという事)

これからの時代、バーチャルな領域が増えれば増えるほど、その中には血の流れた人間がいて、切りつけたら血が流れる事を意識しなくてはならない。何をされたら痛いのか、それはこれからを生きる作家として適切に伝えて行けたらと思うし、教えていただきたいとも思ってます。

トピックを具体的な自分の体験をもとに立てて、記事にして行けたらと思います。


Twitterからだと、記事を読むに至るワンクッションが非常にいいなと思ってます^_^

そんなわけで、noteでの佐野藍も、どうぞよろしくお願いします。

佐野藍

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