自分語りのすすめ
こんにちは。
今回のタイトルは
自分語りのすすめ
結構色々な場面で、「自分語りで申し訳ないけど」などの断りを入れながら、自分のことを話し出すシーンというのをよく見かける。
あれ、そんなに自分の話をする事って、悪い事だったっけ?
私はふと思って、ネットで検索してみた。
自分語り
すると
自分語り うざい
検索の一番頭には、うざい という言葉が付いてくる。
自分語りは、どうやらウザさの象徴らしい。
その後も興味があり、色々調べてみると、出てくる出てくる、、、
自分語りばかりする人を、カタラー と呼んだりもするようだ。
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話は少し変わるが、最近はここ数年前よりも
自分はADHDだから
とか
自分はHSPだから
などで始まるツイートや文章の表現をよく目にするようになった。
これらは従来恥ずべき事として、表になかなか出て来なかった事だが、私はとてもいい兆候だと思っている。
自分はこういう性質がある。自分はこの様な不安定なところがある ということを周りに知らせておくということは、この多様化していく世の中で、とても重要なことだと思うからだ。
これからの時代、今までの様ないわゆるステレオタイプな性別のあり方、暮らしのあり方、仕事のあり方、生活のあり方 に該当しない人がどんどん増えてくる。
我々彫刻家も(そもそも性別がなんであろうとも)そういう観点から言えば、NEWタイプな生き方をせざるを得ない事が多いはずだ。
そんな時に、役に立つのが自分語りの能力である。
結局人は会話の中で、傷つけたくないのに傷つけてしまったり、知らずのうちに悪気なくも人の人生を否定してしまいながら生きている。
新たな時代を生きる存在の私達は、その生活や行動、仕事そのものが、先を生きてきた方達への否定に写ってしまうことも多いと、今までの経験上感じている。
だとしたら、
自分のあり方はしっかり周りに伝えていた方がずっと周りに対して丁寧なのではないか
とすら思う。
私は自分がHSPな事も、バセドウ病な事もTwitterで公表している。最近でこそ母の死の事も公表したが、3年前の母の病気が発覚した頃から表には出さないにせよギャラリーサイドにはすべて伝えていた。
正直自身1人の手に追える範疇になく、理解をしていただいた上での仕事の組み方がとても大切だった。
心配をさせてしまったり、余計な気を使わせるから言わないほうがいい という意見があるのもわかる。
けれどもずっと1人で抱え込み、爆発して行動不能な状態になる方がよっぽど恐ろしいし、そういうことは起こってしまっては立て直しに相当時間がかかる。生活がかかった中、今足を止めるわけにはいかないし、周りにも結局何万倍も迷惑をかけることになったと思う。
人と共に仕事をしたり、お客様との交流のなかでもし問題が起こるとして、その問題の根底には、
コミュニケーションの怠慢、あるいは不全
があると思う。私も過去に経験がある。
その中で、双方のどちらかが黙ってしまうケースだったり、双方のどちらかのパワーバランスが大きすぎたりすると、割と簡単にコミュニケーション不全は起こる。
なので私の場合は一生懸命自分語りをする。
小娘のくせに
若手作家のくせに
駆け出しのくせに
生意気
そんな言葉は茶飯事でも、ひたすら自分を主張する。
従来当たり前とされる、年功序列からくる天秤のアンバランスを、なるべく天秤が水平になる様に、主張をする(その分仕事でも成果を出さなくてはいけない緊張感は当たり前に伴うのだが、、)
ギャラリーとも活動当初からは何回も何回も作家とギャラリーの領分の事で、話し合いを重ねてきた。ヒリヒリする場面もたくさんあった。
けれども結果、今となってはちゃんと話してくれる佐野さんだから、やれてるところあるよね と色々話せる仕事の間柄となった。
この作業さえできるところまでできれば、本来若手の青田買いとか、そんなもの皆無になるはずだ。若手だからとか駆け出しとかでなく、作家も1個人事業主。ギャラリーとは取引先、仕事仲間として、しっかりはっきりフラットに、常に天秤は水平に、を心がける(確かにそれは初めは本当に大変)事が、結果作家とギャラリーにとって非常に大切だと強く発信したい。
勿論声がでかいことにもリスクは沢山ある。
世の中、とりわけ美術の世界では、黙って仕事をしている人や、自己アピールができずにもいい作品を作る人の方が、素敵だよね、かっこいいよね という空気をピリピリ肌に感じる。
けれども、よっぽど自分のことをひたすら表現したり、言葉にしている方が、結果周りにとってはやりやすい。それが当たり前となる世の中が、未来にはほぼ確実に待っている。
(性格上どうしても自己アピールが難しい人がたくさんいるのも確か。だったらその魅力的な人たちを、周りがもっとサポートしてくれTwitterで言うだけじゃなくて。)
話を戻して、ネットの海では、自分語りばかりするひとから「被害にあった」人たちが、匿名という安心感の中コミュニティを作って安心安全にカタラー批判をしている。
私はそれをみて、
あ、この人たちも、話聞いてほしいんだなぁ
と、このコミュニティの不満の先が見えてきた。
自分が話を聞いてほしいから、カタラーが不快だし、ネットで愚痴ってしまうのだ。
誰だって、話したい事、聞いてほしいこと、ありますよね。カタラーの人って、私含めて話をするのが好きだから、本来はその気持ちだってよくわかるはずだし尊重したい、、
1人で気持ちよく喋り続けて申し訳ないです。本当に周りが見えなくなるくらい、永遠と喋ってしまう性なのです。カタラー代表としてお詫び申し上げます。。
先日、わたしの作品写真をずっと撮ってくれている縣ケンジくんとの撮影の日、スタジオに向かう車内の中で私はまたいつものごとく、運転しながら喋る喋る。
縣氏を信頼してるからこそ、話したい事が溢れて溢れて。
そしたらついに、縣氏
「アイちゃんいい加減僕の話も、聞いてよ」
と一言。
(またやってしまった。自分はこの癖のせいで、大切な人との別れ話にまでむいてしまった事もあるのに、なんも学んでない!)
はっとして、
「ごめんね、聞くよ」
と言って、縣氏のターン
彼の様に、匿名のコミュニティでなく
私の様なお調子者にしてくれた優しさが
わたしの様なカタラーを
悪者にせずに、1人の人間として引き戻してくれたのでした。
皆本質的には話す事で楽になりますし、もしも自分語りが不快に見えているのだとしたら、もしかしたら自分のコンディションも、我慢だらけになっているのではないでしょうか。
個人的には全部聞いていきたいくらいですが、、
自分を語ること=恥 にならずに、
たくさんの人が自分を話す、紹介する事が当たり前になってく世の中は、個人的には健康的なんじゃないかな という提案の話でした。
(勿論強要するわけではないです。私は勝手にこれからも、自分語りを続けます)
佐野藍
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