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バーンスリーとインド古典音楽

数日前に、バーンスリーでインド古典音楽の演奏をさせてもらう機会があった。

バーンスリー(笛):私と、タブラ(太鼓):藤澤ばやんさん。

貴重な経験を、ここに言葉で残しておきたいと思って書き始めた。

インド古典音楽とその日の演目

その日は『Yaman』というラーガを演奏した。

インド古典音楽は、ラーガ(旋律の形式のようなもの)とターラ(リズム)にそって即興で演奏される音楽だ。私がやっているのは北インドのヒンドゥスターニーと呼ばれるもの。

ラーガは沢山あるけれど、即興で演奏するために一つのラーガを自分に浸透させるのには充分な練習時間が必要で、私は片手でも足りるくらいの種類のラーガしか練習したことがない。

『Yaman』は、その感情表現として、深く広い意味での"愛"を表すと教わった。実際に演奏していると心の繊細な部分に触れる感覚や、私が過去に体験した"愛"の様々な表情の感覚の記憶を思い起こすことができる。数少ない中でも大好きなラーガ。

その日の演奏予定時間は約45分。即興とは言え、全てを流れのままに演奏するのではなく、大まかな枠組みがある。

旋律を奏でる楽器のソロパート(アーラープ)と、旋律楽器と打楽器とのセッションパート(ガット)だ。

アーラープでは、低音から徐々に高音へとうつりながら、Yamanの音のルールにそってその世界を展開させてゆく。

ガットでは、旋律楽器と打楽器が順番にソロを回しながら、可能な限りテンポアップしてゆく。今回は、前半で7拍子(ルーパック)、後半で16拍子(ティーンタール)をやった。

その日に演奏すると決まったのは約1ヶ月半前。自分が主催するイベントの日の夜だったから、やるかどうか迷った。普通だったらぐったり疲れている筈で、体力も気力も残っていない時だ。でも色々とやるべき(やりたい)理由が重なっていたので、迷ったのは少しの時間で、結局やることに決めた。

わたしが大切にしたこと

その時から決めていたのは、不安要素を取り去るようにマインドを整えてゆき、頭の中にはシナリオを置かずにできる限り真っ白で座ること。

絶対に背伸びせず、もしも緊張せずうまくいけば、自分が一番楽しめるようなものにしたいということ。

録音も動画も写真も残さないと決めることによって、その瞬間に意識を向けること。そして、その時に体験したことへのとらえかたがその後自分の中でどのように変化してゆくかを感じてみようということ。

練習期間に感じたこと

最初はまだまだ余裕があったんだけど、しばらくすると、当日真っ白になるために、練習段階では構成をしっかり完成させる必要があると気づいた。

レッスンや自主練では、苦手なところを練習していった。「できた!」と思っても、ばやんさんとのセッション練習ではうまくいかない、の間を行ったり来たりした。

まるで、練習帳や暗記がスラスラ出来ても、応用問題になると途端に自信がなくなる小学生のようだ。

それでもちょっとずつ、噛み合う瞬間や、自然に気持ち良いメロディが出てくる瞬間がやってくるようになり、何事も練習・体験・積み重ねあるのみだなぁと実感した。

そのまま順調にはいかなかった。コロナ禍で個人的に色んな出来事が重なり、「もうこの先練習出来ない」と思うくらいのメンタル状態に陥った日があった。私、人前で泣くことはほとんどないんだけどあの時はどうしても涙がとめられなかった。

けれども...、その後には「災い転じて福となす」を体験することになった。抜けるきっかけがちゃんとやって来て、お陰でその後は、以前よりも集中して練習に取り組めることになる。

体が覚えて忘れないだろう「これ!」っていう感覚が掴めたり、決めていた目標(言葉で表現できない感覚的なもの)をクリアできたりと、順調に進んでいった。

ところが、更なるハードルが待ち受けていた。慎重に頭の整理をしながら乗り越えないといけない1週間になると予想してはいたものの、予想を上回る過密さに加え、ハプニングが重なり、迎えたイベント当日。朝起きた時の絶望的な「疲れ」。

丸一日、心の栄養になるような良い時間を過ごしたものの、演奏前には気力も体力も何も残されてなかった。

インド古典音楽の演奏にチャレンジしてみた感触

それでも迎えた、その瞬間。

私は希望通り、本当に真っ白な状態でそこに座ることが出来た。頭ではこれから何をするかほとんど思い出せなかった。でも、バーンスリーを構えたら、きっと出てくるだろうと思った。

その日、私の前にいて、演奏を聴いてくれた人たちは、ほとんどが馴染みのある大好きな顔ぶれだった。隣には、ばやんさんがいる。安心感に包まれながらも、今までバーンスリーを吹いたどの瞬間よりも、気力も体力もなかったのに、ここから今までやったことのない初めてのチャレンジ。

まるで、赤ランプがついたバッテリー残量から大仕事を始めるみたいな、昨年の夏にしたように7メートルの橋の上から初めて川に飛び込むような、初めて行く国で想像もつかない味の料理を食べる一口目のような、そんな感じがした。

演奏を終えてみて、断片的に覚えているのは、優しく見守ってくれている人たちの顔や、時間オーバーしちゃうなぁって感じた時計の針、うまくリズムに乗れなくてばやんさんを見た時になんかホッとして笑ってしまった瞬間、Tihaiが出てこなくてミスってしまったところ、最後テンポアップし過ぎて、まるで奈良の若草山を走りおりながらスピードがつき過ぎて、脚の回転がついていかず、無事に止まるまで泣くに泣けなかった小学生の頃の私のような気持ち、終わった後に予定の45分をオーバーして1時間経っていることに焦りながらも喋りが止まらない自分、などなど...。

演奏はそんなに楽しむ余裕がなかったし、終始必死だった。だけど私は、数日経ってようやく疲れがとれて冷静に感じることのできる今、「とても満足じゃ...」と言い切れる。

「今までバーンスリーを吹いたどの瞬間よりも、気力も体力もなかったのに、今までで一番大きなチャレンジをすることが出来て、それを見守ってくれる人たちがいたことに気づけたから」だ。

聴いてくださった方々への感謝

不思議なことに、私にとっては全くグダグダの演奏だと思うのに、「感動した」と言ってくれた人が何人もいた。

とは言え、その日はみんなのイベントだったから、ばやんさんと初めての私のインド古典の演奏を聴くつもりで来てくれた人ばかりじゃない。だから、あの長時間の私の格闘に付き合ってくださったことに本当に感謝しています。ありがとうございました。

写真や動画を記念にとってあげようと心の準備をしてくれていた方には、私のこだわりのためにお断りしちゃってごめんなさい。

ばやんさんへの感謝

練習期間、疲れている時も、忙しい時も、気を遣わせないように、いつも優しく丁寧に接してくださってありがとうございました。本当に楽しく学び多く刺激的な時間でした。

しかも当日は私のリクエストを聞いて、インドの服じゃなく、Tシャツにハットという出で立ちでタブラをたたいてくださってありがとうございました。

大好きなばやんさん。とても感謝してます。どうかこれからもよろしくお願いします。

師匠のgumiさんへの感謝

ここで初めてgumiさんが登場することになりましたが、私は約5年前にgumiさんからバーンスリーを教わり始めました。長い道のりで色んなことを感じました。ちなみに、今年それを歌にしました。良かったら聴いてください。

この道をゆけば
https://youtu.be/rE9TRFI2aSk

当日、演奏直後にお祝いの花束をプレゼントしてもらいました。全く余裕がなくて驚ききることも喜びきることも出来なかったけど、とてもとても嬉しかったです。

この記事をここまで読んでくださった方は既にわかると思うけれど、私は本当にマイペースで、当たり前のことを当たり前に実行する素直さがありません。

気持ちが乗らないと、うまく課題に取り組めなかったりもします。それでもこれまで楽しく続けて来られたのは、間違いなくgumiさんのお陰なのです。

だから私は、バーンスリーやインド古典音楽を通じて、全てのことに応用できるような、自分と世界のつながりを感じながら生きている実感を味わう「核」のようなものを育てることが出来ています。

いつもありがとうございます。感謝を込めて...。これからもよろしくお願いします。

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