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『素っ裸の自分を、すきになれますか?』

小杉湯に行きたい!と締めくくった先週。
今週こそは、とたのしみに予定を立てていました。
ところが。
滅多に熱を出さないのに、こういうときに限って…
ということで、未だ、小杉湯に行きたい!という思いを胸に、書いています。


対談のテーマが決まりました!

素っ裸の自分を、すきになれますか?
〜「いのち」の旅の途中、銭湯に集合!〜
                     写真家 幡野広志さん。
カトリック教会の司祭 大西勇史神父様。
小杉湯のCSO 菅原理之さん。
                     これまでの歩みも、今の職業や生活も、これから向かう先も、異なるかもしれない。
そんな3人に集まっていただいたのには、わけがあります。
                     生きる姿のかっこよさ。「いのち」そのものの美しさ。
                     自分の心で感じ、自分の頭で考え、自分の手で選び、自分の足で歩む。
でも決して独り善がりではなく、その時々の出会いを大切に生きているように感じます。
まるで、自分の「いのち」を生きる、という旅をしているかのように。
                     そんな旅路の途中で、小杉湯に3人集合してくださることになりました!
いつも裸で入る銭湯。銭湯という場の力も借りて、自分の「いのち」を生きることについて、伺ってみたいと思います。
                    ◯◯ができる。◯◯が上手。成績がよい。
そんな肩書きに安心したくなるものですが、生まれたときはみんな、素っ裸でだいじょうぶだったはず。
                     今回の対談では、幡野さん、大西神父、菅原さんの、一歩後ろを歩む世代にむけて、おしゃべりしていただこうと思っています。
                     きっと、一人ひとりの「いのち」の旅にヒントをくれるおしゃべりを繰り広げてくださるはず。
素っ裸の自分をすきになってみようかな、とたのしみな気持ちでお集まりください!


昨日は、営業前の小杉湯にお邪魔して、打ち合わせをしてきました。そこで、幡野さん、大西神父、菅原さんに、このテーマを読んでいただいていた時のこと。
幡野さんから、「目の前で自分が書いたものを読まれるの、恥ずかしくない?」と聞かれました。

自分の表現が、ひとの目にどううつるのか、ひとの心にどう響くのか。
そんな心配と緊張にまけないように、恥ずかしがってる場合じゃない!と自分を奮い立たせていたので、幡野さんからの質問にとても安心しました。
恥ずかしくても、いいのか、と。

でも実際のところは、恥ずかしさよりも、緊張というか、ちいさな怖れだったような気がします。
今は、これが等身大。そのまんま、いわば素っ裸のわたしをぶつけているので、これでダメならダメ。恥ずかしさを感じている余裕さえありません、というのが正直な気持ちです。

「前に自分が表現したものが、はずかしくなる時がくる。それは成長したってこと。」
この話の続きで、幡野さんか教えてくださったことです。
はずかしくてとても読めない!となる日をたのしみにしながら、はずかしくない今のうちに、このテーマについて書き留めておこうと思います。

素っ裸

「いつも裸で入る場所で、歌を歌ったり聴いたりすることによって、出演者と来場者の心が解放されたような一体感のあるイベントになりました」
(http://sentogurashi.com/project/event/)

これは、小杉湯で音楽イベントを開催した時の様子についてのコメント。これを読んだ時、なるほど〜と感動し、同時に、今回の対談にぴったりの場所だ!と思いました。

なにかができる。なにかを持っている。という肩書きは、一瞬だけ、安心させてくれます。
でも、生まれた瞬間は、みんな裸ん坊。そのひとが素敵であることのいちばんの理由は、なにも持っていなくても揺らがないなにか、であるはず。

容姿端麗。成績がいい。仕事ができる。やさしい。かっこいい。かわいい。そういう「いいこと」は、ほんとうにいいことだし、それを持っているなら自分がもらった贈り物だと思って、大切に使う方がよいと思います。むしろ、使っていかなくてはいけない。

でも、いちばん大切なことは、そのままの、素っ裸の、わたしが大切な存在であるということ。
わたしはこのことを忘れたくないし、忘れそうになったら、ぐっとこらえて思い出したいと思っています。


自分をすきになる

自分をすきになれますか?と書いていることに気づき、つまりわたしは、「なれない」と思っているのだろうかと自問自答しています。

自分のいやなところ、足りないところ、怠惰なところ。普段、ひとには隠していること。失敗したり、ひとを傷つけてしまった過去だって、自分は全部知っている。

ほら、すきになれないところばかり。
いいところを見つけようと自分を見つめると、はじめに目につくのは嫌なところだったりします。嫌なところは芋ずる式にどんどん思いつく。すきな部分だって、いいところだって、きっとあるはずなのに。

完璧なひとなんて、いない。
こうして落ち着いて考えていると、いやなところがあるから全部きらい、というのもおかしな気がしてきます。

素っ裸の自分と向き合い、どう折り合いをつけて生きていくのか。

なれますか?という疑問形に、なりたいという前向きな期待と希望、そして憧れの気持ちをこめて。

いのちの旅

今回対談していただく3人に共通して、旅するように生きているなと感じています。
きっと、旅が好きなんじゃないかな、とも。

ある職業に就くことが将来の夢だったとしても、その仕事についたところで人生は終わらない。
結婚するぞ!と目標にして結婚したとしても、そのあと生活は続いていく。

「いのち」は続いていくんだ。
そう思うと、ゴールも正解もない、旅のような道のりだなと思ったのです。
でも、何も見据えないで歩むには壮大すぎる旅。
社会に出てみて、この壮大さにすこし呆然としたりもします。
果てしなく広がるおもしろさは、裏を返せば、わからないことだらけの不安でもあるのだと実感しました。

どんな旅をしてきたのか。
分かれ道で、どんな選択をしたのか。
そして、これからの旅路に、なにかを見据えて歩いているのか。

「いのち」を生きる、この旅の先輩、しかも今たのしそうに旅している先輩の話が、わたしはとても楽しみです。



東京でも開催したい!と思い立ってから、企画をはじめて、今日まで。このことを考えなかった日はきっと1日もありませんでした。(お風呂の中でふと考えていたり…)

ほんとうに聞きたいことは、なにか。
わたしが聞きたいこと。そして、同世代の、当日お客様として集まってくださる方々が聞きたいこと。
集まったひとが、ほっとしたり、目の前に光が射したりする時間にしたい。
こんな思いで毎日少しずつ、ひとつひとつの言葉を拾うようにして、組み立てて眺め、やっぱり組み直しての繰り返し。
そうして出来上がったテーマです。


素っ裸の自分を、すきになれますか?
〜「いのち」の旅の途中、銭湯に集合!〜

ここまで読んでくださったみなさん、特に、3人の先輩を追いかける世代の皆さん、3月14日、ぜひ一緒に、小杉湯に集合しましょう!


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