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【妊活・不妊治療】40歳からの高齢妊活4/4『治療お休み後の自然妊娠』

第3期で自然周期の治療をコツコツと受けるも妊娠には至らず、凍結卵を使い切ったこともあり治療お休みを決意します。
そこからなんと驚きの妊娠→出産につながります。

第4期 不妊治療休止後、自然妊娠へ

不妊治療お休み、タイミングからの自然妊娠、妊婦としての自分
22年11月 タイミング→陰性
22年12月 タイミング→陽性
23年1月 胎嚢、心拍確認
23年6月 漢方終了
23年9月 不妊鍼灸終了
     第1子出産

初めて現れたきれいなふたつの山

治療をお休みしたからといって、妊活をやめたわけではありませんでした。むしろ、先生からの指示があるわけではないので、ガチガチの仮説を立てて自分たちのタイミングを設計しました。

基礎体温のグラフは、辞めずにつけ続けていきました。
すると、グラフが11月も12月もきれいな2層を描いたのです。

2か月連続で2層に分かれたグラフ


治療中は、投薬などの影響を受けて理想的な基礎体温の推移とは程遠いガッチャガチャのグラフになっていました。
それが、治療をお休みした翌月から理想的な推移になりました。(通院のストレスからの解放か?との説も。)
これは絶好の好条件が自分の身体に訪れている!と感じ、
『もしかしたら、うまくいくかも…?』
基礎体温の推移は自分の健康状態のバロメーターだということは、自然周期の治療中に痛感していましたので、なんとなくの予感のようなものを感じました。

3つの生理日予測アプリをフル活用し無理なく仲良し

先生からの指示がない分、ITの力を頼り、それまでもコツコツと使っていたアプリを引き続き活用し、「ルナルナ」「ルナルナ体温ノート」「ミチル」の3種の生理日予測アプリから仲良し日予測の傾向を教えてもらいました。
実際のタイミングについては、排卵日直前と前後3日程度の3回はもつようにしました。
自分たちで、という時もあれば、疲れていればシリンジを活用し、無理なく卵子と精子が出会えることをイメージして過ごしました。

初めて、手ごたえのある妊娠陽性

妊娠検査薬もフライングで生理予定日1週間前からわかるものを使用し、極力気持ちのダメージが少ないように心がけました。
11月はあえなく陰性でしたが、12月は年を超えて判定しなんと陽性。
しかも、検査薬の線が、まぁ太く濃く出て。初めて見ました。
1月に入り胎嚢、心拍が確認でき、近所の産婦人科に移り、母子手帳をもらうに至りました。そこまでの経過で1度も体温が下がることなく推移していたのも、心強い経過でした。

会社人生で最もリラックスした年末年始

年末年始は着床してるかも?どうかな?という期間に大晦日からお正月を過ごしました。出向から戻って久々に元の会社で迎えた年末でしたが、出向する以前の元の会社はスタッフ部門であっても儀礼的になんとなく大晦日まで出勤して、年末の挨拶してから休みに入る、というのがスタンダードでしたが、近年随分と働き方改革が進んでおり、年末のほどよいタイミングから休んで良さそうな雰囲気に変わっていました。
乗じて私も思い切って12月29日から休みをとり、例年だったら元日早朝から急いで向かっていた里帰りを前倒しにすることができました。12月30日から大晦日から夫の実家近くの温泉施設に小旅行し、大晦日は日中から夫の実家へ向かいのんびりと義父義母たちと過ごし、心から骨休めすることができました。たったこれだけのことも、サラリーマン人生で初めてのことで、そういうリラックスして過ごせたことも経過にとってよかったのではないかと思っています。

ほどよい何もない小旅行

生まれるまで安心はできない

妊活の最初の最初に妊娠陽性が出た時は、今思うと浮かれて妊婦様だと偉ぶり、その後流産のようなかなしいことになるなどとは予想だにしていませんでした。
そして、今回の妊娠は3年ごしの待望の妊娠で、しかも間では3度の流産も経験し、いくつもの困難もあり、当たり前のことではない、と強く感じていましたので、初回とは真逆で、”いつ体温が下がるか””いつ出血するか””いつ悪い方に転ぶか”など、常に心配で仕方なく、全く安心した日はありませんでした。
16週を迎える頃には落ち着きましたが、それでも、20週頃までは「流産」という言葉に怯え、30週頃以降は「死産」という言葉に怯え、それらも自分に起きてもおかしくない、すぐ隣にあることなのだ、と常に思っていました。
そんな不安を払拭してくれたのは、毎晩おなかの心拍を聴くことでした。3,000円くらいの機械を購入し、夫とおなかの中の子どもの心拍を聴いていました。130くらいで動く早めの心拍が、”あぁ、今日も動いている””今日も乗り越えてくれた”と毎日思わせてくれました。

夫婦で心音を聴くのが日課に

鍼灸、漢方は妊活の心の支え

妊娠が判明してからも、途中で止まってしまうことがないように、鍼灸と漢方は継続しました。半ばおまじないのような意味合いもあったと思います。

鍼灸は実に出産予定日の前日まで施術してもらっていました。妊娠が目的なのではなくて、健康な赤ちゃんを産み育てることが目的だと強く思っていたので、より赤ちゃんが健康でいられるために少しでもできることをしておきたいと思ったのです。おかげで3705gに育ちすぎてしまいましたが。笑
おなかから出てきた瞬間から大きな声でよく泣く本当に元気な子に育ってくれた、と効果を実感できました。

余談ですが、漢方などは毎晩翌日の分を煮出す必要があるのですが、まだ妊娠陽性の判明前の里帰りの際は粉のものを別途処方してもらい持参していました。早朝に起きだして『お義母さん、お湯ください』と言いながら黒い液体を飲む嫁に、義母は心からのエールを送ってくれました。出産したあとの第1声は「できるまでもいろいろ大変やったね。」だったので、いいおうちに嫁げたなぁと幸せに思ったものです。

職場には早めに告示を

職場では、少し早めにお知らせしました。
まず、上司には年明け早々の8週目くらいの段階で伝え、部署内にいつ言うかの相談を始めました。本来なら16週目以降の方が安定していくといわれていますが、ちょうど年度の変わり目が控えていたこともあり、2月末の12週目くらいの部署全員で次年度の計画を打合せする場で告示しました。チーム内には耳の不自由な方もいるので、少しだけ手話を交えてお伝えしました。
その時点での部下2名は非常に喜んでくれつつも不安そうだったので、その不安は一緒に対処法を考えながら、産休開始の7月末まで勤務しました。
部下が引き継ぐには値しない業務については、「産休に入ることもあるし後任が来ないので」という伝家の宝刀を使ってバンバン業務整理をしました。あんな機会は今後そうそうないことだと思います。笑

子を宿すのも生むのも人の身体

出産を経て思うのは、自分は大丈夫だろう、といくら強がっても、年齢には抗えないし、授かれるかどうかは自分の身体次第である、ということです。
不妊治療がいくら保険適用になったところで、治療が効く身体になっていなかったらどんな治療も意味はありません
特に自分たちのように、さまざまな治療を経た上で、タイミングで授かったようなケースを目の当たりにすると、医療の力になんとかしてもらうだけでなく、自分たちの身体の声に敏感になってあげることが、我が子を抱けることにつながるのではないかと思っています。治療と並行して、身体の力を上げることを続けて本当によかったと思います。

今後も不妊治療、出産、育児、などこれからも書いていきます。
何か感じたことありましたら、コメントお待ちしています。
読んでくださってありがとうございました。

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