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青色写真

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青っぽく撮った写真をまとめました。
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#日記

本当のこと

本当に向き合うべきことから 目を背け続けていると 似たような問題が 何度も、何度も 起きてくる。 本当のことを見る、ということは すごく怖いことかもしれないけれど 実際に見てみたら 「なんだ。こんなにちっぽけなことだったんだ」 って思うくらいの 小さな小さなことかもしれなくて 恐れるほどのことではなかったのだ、と 気付くことができたなら 自由で広がりのある世界への入り口が 見つかり始めるような気がする。

ここから先へ

2週間くらい前に、「今いるところには、この人が連れてきてくれたけど、ここから先へは他の人があなたを連れていきます」と言われる夢を見た。 誰に言われたのかはわからなくて、声だけが聞こえた夢だった。 「寝ている時に見る夢には、何か意味があるんじゃないか」と考えるのが好きなので、考えている。 「今いるところ」とは、「この人」とは、「他の人」とは……? 「ここから先」に連れていってくれるというのは、今までとは違う状態に移り変わっていくということかな。 何かが切りかわるタイミングと

生まれてきた目的

この前の満月の日に、「私の生きづらさの正体って、何なんだろうなー」ってぼんやりと考えていて、 そうしたら、学生の頃に同級生から言われた言葉を思い出した。 「なんか、あいちゃんって、どのカテゴリーにもあてはまらないよね。あいちゃんは、“あいちゃん”だよね」。 どこにいてもしっくりくる感じがしなくて、それなりに、傷付いてきたけれど。 ある意味では、私はいつも、“私”を生きていたのかもしれないな。 そうして、無意識のうちに、生まれてきた目的みたいなものを生きようとしていたのかも

どんな世界を生きていくのか

怖いことや不安なことを考えてばかりいると、脅威に対して怯え続ける日々をこれからも過ごさなければならないみたいな気持ちになってくるけれど、 逆に、良くなっているところや明るいところに注目してみたら、きっとこれからも良くなっていくんだろうし、明るくなっていくんだろうなって思えてくるから、 これからどんな世界を創り、どんな世界を生きていくのかっていうのは、自分自身がどういうもの・ことに注目するのかによって決まっていくような、そんな気がする。

感覚を守ること。

10代の頃に感じていたことは、35歳になった今でも「信頼できるな」って思う。 あの頃は、それを誰とも共有することができなかったし、「みんなと同じ方向に行かなきゃ」という気持ちも完全には捨てきれなくて、だんだん感覚が壊れていっちゃったけど。 それなら、今の私は、自分でそれを大切にしていこうと思う。 自分が感じていることを、自分で殺さないようにしよう、と思う。 10代の頃は、そういう知恵(知恵というほどのものでもないけれど)が湧いてこなくて、生きている実感みたいなものがだんだ

流れを信じること。

抽象的なことばかり考えていても、あんまり役に立たないかもしれないけれど。 その人の人生にとっての重要な出会いや出来事というのは、焦らなくても、力まなくても、“その時”が来たら自然と起こるようになっているのかもしれないなって、なんとなくそんなふうに感じる。 だから。 そういった人生の流れみたいなものを、信じていたいなって思う。

単純

暖かくなってきて、過ごしやすくなってきたら、なんだかそれだけで「いいことありそう」みたいな気持ちになってきた。 我ながら、すごく単純。 でも、「それでいいか」と思ってる。 あらゆることは、もっと単純に選択しても良かったんだろうな、と思う。 “単純さ”を許せるようになったら、また少し生きやすくなった感じ。

心の平穏

自分の心が穏やかでないと、自分の周りに平和な世界を創ることは難しいなと感じる。 そういう意味では、平和というものは、個人的な規模でも、恐らくそれよりも大きな規模でも、1人ひとりの心の平穏から始まるものなんだろうなという気がする。 祈りの力が、空気のように現実の世界に広がって、世界を穏やかにしていくといいなと思う。

何か、新しいことを。

過去に受けた占いのことを、↓の記事でちょっとだけ書いたけれど。 その鑑定結果(私がどんな人物なのかが書かれている)を、改めて読み返してみたら、 ・楽観的で快活 ・話すことで人を楽しくさせる ・芸術や文学に関心がある ・束縛を嫌い自由を愛する ・分析、探求、考えることを楽しむ ・静かな時間が必要で、独りでいることを好む ・好みがはっきりしている ・哲学、心理学に興味を持つ ・時間をかけてゆっくり変化していく ・平凡でありふれた毎日は退屈に感じがち ・縁の下の力持ち 等々、

もし、幻想だとしたら。

もし、恐れがただの幻想だとしたら。 どんなふうに過ごそう。 どこへ向かおう。 何をしよう。 何を手放そう。 自分がどうしたいのか、わからなくなった時は。 「恐れは幻想」ということにしてみると、ちょっと何か見えてくるかも。

流れを感じながら。

いつも「ここではないどこか」のことを考えて、まるで「私は宇宙人」みたいな気持ちで生きてきたけど。 外の世界を見ていたら「これまでの固定観念を手放して、新しいものをつくっていこう」みたいな、あらゆる人たちがちゃんと尊重されていくような、希望を感じる流れがちゃんとある。 いい流れが存在していることを感じながら、今日も心地よく過ごすことを選ぶ。

ちゃんと聞いてくれている。

願いを放ち、 閃きを受け取り、 それをもとに行動することで、 願いが叶う。 すごくシンプルな流れだけど、 この流れが、実現しやすくなっているような気がする。 願いごとを聞いてくれている存在が、 目には見えなくても、ちゃんといてくれるんだなと感じる。 ちゃんと聞いてくれているんだな、と思う。

物語からの解放。

「こうしなければいけない」って思うこと、いろいろあるけれど。 「こうしなければいけない」ことなんて、本当はそんなになくて。 ただ「こうしなければいけない」と思い込んで、その小さくて狭い物語の中に入り込んでしまい、閉じ込められてしまっていただけのこと。 今後ますます「こうしなければいけない」は幻想であったと気付いていくことになるだろうし、その小さくて狭い物語から解放されていく流れが加速していくんだろうなと思う。

さがしもの

「“さがしもの”が見つからない」という感覚が、心のなかにずっとあったことを思い出した。 最近は、そんなこと、ほとんど意識することもなくなっていたけれど。 もうすぐ終わるけど、水星が逆行中だから? なんだか、思い出してしまって。 もしかしたら、その“さがしもの”は、 「外に探しに行くものではなく、既に近くにある」とか、「既に自分の内にある」。 或いは、 「見つからないのなら、自分でつくるしかない」 みたいなことが、答えに近いのかな。 というのが、 今の私が、