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モラトリアムと性欲

大学生のモラトリアムがなくなるのかもしれない、とふと思った。
それは大学生だけじゃなくて、色んな世代でモラトリアム自体を許さない、そんな風潮があるように感じてしまう。

 エリクソンが定説したように心理的モラトリアムとは青年期の自分探しの期間のことである。誰しもが"自分探し"といって、色んなことにチャレンジしたり色んなところにいったりして"本来あるべき自分の姿と位置"を探そうとする。その行動の根底には「自分にはもっと輝ける場所がある」「自分に合うもっと楽しい仕事がある」という気持ちがある。実際自分探しを短期間したところで、"本来あるべき自分"を見つける確率は五分五分、それよりも少ないかもしれない。そうすると人は自分探しをすること自体が無駄に思えて、自分の中にある「自分にはもっと輝ける場所がある」という気持ちをなかったことにして、日々の生活や仕事に戻っていくのだ。
ここ最近、自分探しをやめた人々は自己分析というものにシフトしていっている。種類は様々だが大抵が数十問の質問に答えていき、自分の特性を丸裸にするというもので、ガンジス川に自分探しに行かなくても確実に自分の持っている特性を知れる魔法道具なのだ。就活を控えた大学生は自分と対話することよりも自己分析の結果画面と向き合って、その先の未来を描いていく。

しかしそれも一つの生き残るための術である。
日本の情勢は芳しくなく、確実に職を得るために学生の就活時期は年々早まってきており、就活解禁なんてルールは実際誰も守っていない。3月からスタートしたほうが馬鹿だと思われる世界である。そんな彼らにはのらりくらり大学生の期間をめいっぱい使って将来を考える、自分を探す時間なんてないのだ。「大学生は人生の夏休み」なんて過去の言葉なのだ。それはきっと大学生に限った話ではなく、どんな世代にも共通することで、誰もがみんな今の現状を守ることが優先し、冒険するエネルギーが湧いてこないのだろう。どんな世代においても今の日本には"モラトリアム"をポジティブに捉える余裕もなければ、"モラトリアム"を許す余裕もないのだ。

そんな状況は性欲にも影響してくる。
食欲・睡眠欲・性欲が三大欲求というのは生活の中でそこまでバランスが取れた形で存在しないのは誰もが経験して分かることだろう。人間の生命維持に不可欠な食や睡眠と違って、性欲からくるセックスや自慰行為はしなくても生きていける。逼迫した生活の中で優先順位をつけるとするならば、性欲の順位が下がるのは必然だろう。「仕事を終わらせないといけない」「仕事で成果を出さないと」など仕事や生活に関する悩みや感情が頭の中を占めれば占めるほど、セックスや自慰行為に必要となるエロへの感情や欲が湧き立つ余力はなくなってくる。セックスはある意味、自身の生活にある程度の余裕がないとできない行為に変わっているのかもしれない。

加えて性欲に関連した話で、現場や面接でスタッフさんから「今の大学生はやりまくりなの?合コンとかヤリサーとか!」という趣旨の質問をよくされるが、実際の大学生はそれほど活動的ではない気がする。SNSの発達やLINEの普及で、以前よりも誰と誰がセックスしたかが仲間内で広がってしまう恐れもある上に、その場の性欲よりもサークルという大学生にとって必要なコミニティー内の関係性を壊したくない心理の方が働くことが理由であろう。また先ほど触れた就活の不安も重なり、"そんなことしている場合じゃない"という状況に陥りやすいのも原因の一つだろう。

要するに性欲はその人自身の状況だけでなく、社会状況とも関連して変動するものなのだ。”性欲が発生しない人”という割合は今後も増えてくるのかもしれない。だからこそ、私たちのAVはユーザーに夢を与え続けないといけない。エロに費やす余裕があまりないからこそ、ユーザーの性欲に直結するエロが凝縮された作品を届けなければいけないのだと思う。


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あとがき

この間とある週刊誌のインタビューで盛り上がった話をnoteにまとめてみた。
最後に触れたユーザーの性欲に直結するエロには問題点も見え隠れしていると感じてる、その話はまた今度まとめてみるね。

不定期更新でごめんね。





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