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チャーリーとチョコレート工場から考える「アノミー」


 社会学の用語「アノミー」について考えた際に、映画「チャーリーとチョコレート工場」(2005)を思い出した。

 まず、アノミーとは、と調べると、「個人または集団相互の関係を規制していた社会的規範が弛緩または崩壊したときに生ずる混沌状態」と出てくる。これは社会学者のデュルケームが名付けた概念である。社会秩序が乱れ、無規制状態になることで、個人の行動に影響を与えるという考えである。これらはデュルケームの「自殺論」に出てくる概念であり、本来は社会の無秩序からくる人々の不安感や満たされない欲求から犯罪を起こしたり、自殺をしてしまうというアノミー的自殺として紹介される。

 この概念を私は家族に着目して考えてみた。その例として使うのが「チャーリーとチョコレート工場」だ。世界的有名なチョコレート工場を見学できる金のチケットが世界中に5枚だけ配られ、その”限定”という特別感に食いついた4人の子どもたちと、偶然手に入れた貧乏なチャーリー。チャーリー以外の子どもは、自分の求めるものはなんでも手に入れなければ気が済まないという共通点を持っている。この4人の子どもたちのもうひとつ共通点は、親が子どもを過度に甘やかしている点だ。というより、身勝手でわがままな原因がこれだと言ってもよいだろう。4人の子どもの親は、子ども以上に無礼で、身勝手だ。子どもたちは親からの許可が下りたから、自分もルールを破る、お願いすれば許してくれるから、わがままを言う。このように親子間での主従関係が形成されているのがわかる。
 そこから私は、親が子どもへのしつけを怠ることは、家庭内でのルールがない状態、つまりアノミー状態だと言えるのではないかと思った。このような状況に陥った子どもは、自分の望むことを叶えてくれる親に対する敬う気持ちよりも、あの4人の子供たちのような傲慢さが目立つようになると思った。かといって、家庭内の規制を強めすぎるのも良くない。かえって反抗的になったり、抜け道を探し出すような狡猾さを身に着けてしまうため、なにごとも加減が重要である。子どもにとって、親は国であり、法律なのだ。


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