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クッキーの型抜きは何個あってもいい

自分を表現するということと、
自己主張と、
自分の考えを押し付けるということは
それぞれみんな違うと思っているよ、っていう話をします。

ふと思い出したことで、私が20代の時に勤めてた会社で、同僚がね妊娠が分かったと。
その時に、とある人が、男の子と女の子、どっちがいいのってみたいな話をしていて、
その子は「五体満足だったら女の子でも男の子でもどっちでもいいって思ってるの」
って、答えたんですよね。
で、そん時に、別の人が、「あいちゃん(私)の前で、よくそんなこと言うなぁ」
って言ったんですよ。
私何のことかよくわからなくって、「それどういうこと?」
って聞いたら、いやぁ…ってごにょごにょするので、場が変な感じになって。
その妊娠が分かったって教えてくれた人も、すごい、なんか、なんていうの?傷つけたらごめんね、みたいなことを言ったんですよね。
私1個も傷ついてなくて、えーっと思って。

後から聞いたら、なんであいちゃんの前でそんなこと言うのって言った人は、私は生まれつき障害を持って産まれたので、その私っていう存在を否定するようなことを言ってたやんっみたいなことを言うわけですよ。
だから私はそれちがうと思う!!!みたいなことを言ったけど、私、お母さんになる子に別の機会に言ったんですけど、私は別に何とも思ってないよって・・・なんていうかごく自然な感想やと思ったんですよ。健康だったらどっちでもいいよって。だからって、例えば障害があるってわかったとしてもそれはそれで受け入れるか受け入れへんかってことをまたその時考えたらいいだけのことやと思うし。

なんやろうな、私別にその自分が五体不満足や・・・誰かさんの本のタイトルじゃないけど、五体不満足やって思ったこともないし、そんな、そこをこじらせているわけでもないし、その子に対していやぁなんか失礼な!私の存在を否定するの?なんて思うこともないし、私のお母さんのことを否定してるの?なんて思うこともないし、っていうことなんですよ。

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っていうのを病院にいるとね、よくそんなことをっていうか、価値観がね、ひっくり返る出来事とかも起きるわけですよ。

今まで病院とは無縁の生活を何十年としていた人が急に大けがして入院することだってある。その時に初めて自分事となるんですよ。

それまでは自分と無縁のことでいいんですよねたぶん。そんなねぇ、いろんな人のいろんなケースのことを考えながらね、生きてたら自分が持たないですよ、って思いませんか?
あなたはそんな風に生きてますか?
私は生きてません。(笑)

私はもうほんとね、そうなんです。
まず自分が楽しむ。自分がどんな状況にあっても、その状況の自分を楽しむ。
そうしてると身近な人がだんだん一緒に楽しんでくれるようになる。ほんとに、私はここ2か月ぐらいで環境がコロコロころころ変わってますけど、そのたびごとに、あいちゃんだったらどこでもやっていけるよって言ってもらえているし、あいちゃんと一緒におったら楽しいわぁって言ってくれる人もいるし、そういう人たちと、出会って別れもあって・・・みたいなこともいろいろ経験しているんですけど、なんか、どういう世界で生きたいかって、自分で選んだらいいんじゃないのかって思っています。
私ツイッターもやっているんですけど、ツイッターでね、おはようツイートをするときに、「おはよう素敵世界🌏」って書いてるんですけど、それも2年くらいずっとやってるんですけど、この世界をステキにするのは自分やと思うんですよね。で、どういうのが自分にとっての「素敵世界」かってことも定期的にブラッシュアップしてる感じなんですよ。
目下私の中での「素敵世界」は、まず自分が楽しんでいる。で、それを見てまわりの人たちが助けてくれて、一緒に楽しんでくれて、なんか面白いことを一緒にできる。それが私の「素敵世界」です。それを押し付けるつもりはないし、そんなん全然ステキじゃないわって思う人もいていいし、そんなんステキじゃないわよって別に言ってくれても別に私は何とも思わへんし、そうなんですねぇって思うだけなんで。(笑)

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私40過ぎて、母親60過ぎて、ようやく気付いたことがあったんですよ。その押し付けっていう意味でね。私は母親が、私が障害があるってことでいろいろ思い悩んだりとかして、母親自身のパーソナリティーを押し殺して、なんかこう、やりたいこともやらず、私中心の生活を何十年としてくれていたんですけど、私は私で、母親と2人の世界からいろんな世界があるってことに気づいていって、母親がもっと自由にしたらいいのにって思っていたんですよ。もっと自由にしたら、自分の人生生きたらいいのにって思ってて、結構それでそういうことを言って、あんたようそんないろんな今まで人の世話になっていて自分だけ自由になろうとするんねんなって言われたんですけど、それは母親の考えですよ。

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だからね、お互いにね、こうのほうが楽なのにっていう基準とかしあわせとか、幸福度とか価値観とか違うのに、自分のスケールを相手に当てはめようとしていたんですよ。
お節介のし合いをしていたわけですよ。
私は母親に対して、もっと自分のやりたいことをやりたいって言ったらいいしやったら助けてくれるねんから、そしたらいいやんかって思ってたし言ってたし。
母親はもっとつつましくっていうか自分を殺して周りに合わせて、和(わ)を大切にして、そしたら手伝おうか、助けようかっていう人が現れて、そういう人が自分の味方になってくれるのにあんたは我が強いと。自分のことしか言わへん、自分のことしか考えてへん、と。私のことなんか何にも考えてない。それと真逆の生き方したほうが、助けてもらえるのに、あんたはあほや!っていうわけですよ。

どっちもこれ客観的にみたら分かると思うんですけど、どっちも自分の中のスケールを相手に当てはめようとしていて、おせっかいのし合いをしているわけですよ。絶対私が思ってる幸せのほうが幸せ!って。そんなんも人それぞれなんですよね。
っていうことに私何年か前に気づきまして。まぁ好きに生きたらええやんかと。好きに生きれるしなっていうところ。
だからね。何事も楽しく自分が何事も、どんな出来事も楽しんでたら周りの人が楽しんでくれて、周りの人とも一緒に楽しめて、そういうのが「私の素敵世界」っていったんですけど、ほんとにとらえ方ひとつで楽しくなれるし、不足ばっかり見ていったらないないないないって、なるけどそこ見なかったらいっぱいある、いろいろあるって思うし、私はそういう風に生きていますよっていう表明?それを、ああおもしろそうって思ったら取り入れるところは取り入れてくれたらいいし、そんなン間違ってるわって思ったら、まぁそれはそれでいいんじゃないですか?って感じなんですよね。

だから結局ね、楽観的になりなさいっていうわけじゃないけど、どんなことも楽しんだらいいんじゃないですか?そして楽しめるように、物事を見たら、見ることができるよってことですよ。一つの事象に対していろんな角度から見たらいいんじゃないの?っていうか、いろんな角度から見ることができますよっていう感じかな。だからほんと親子であってもこういう風に、物のとらえ方とか言い方とか、幸せの基準とか違いますからね。人それぞれ基準があるわけですよ。それをしんどいと思ったら変えるも良し。変え方のヒントは本なり動画なりSNSなり、何なりとあるのでね、みんながそれぞれ好き勝手に発信してますから。私もこうやって好き勝手発信してますから。人のあたまん中覗くんやったら、そういう発信されたものを読んでいく、見ていく、聞いていく。っていうのもいいかもしれません。っていう話。やりたかったらやったらいいし、やらんでもいいし、それはほんと、一案です。こんなこともあるよっていう一案でしかないので。

コーチングのセッションやってると、よくではないか・・・ぐるぐるしてる感じの方に対して、やってもやらんでもいいし、聞くだけ聞いてもいいっていうことで、なんか私が思ったことを言ってもいい?ってこういうのもあるよっとか、こういうのはどうかなって、許可取ってからご提案させてもらうこともあるんですが、私が言ったからやりなさいよっていうことはしないし、それを聞いてだったら私こうしたいですっていう人もいるし、お相手のことなので。もちろん全部のセッションにそう言うことはないので、そこは良いんですけど、押しつけは、普段からしないです。こう思ってるんですよっていう発信しかしないので、そんな感じですね。

まぁ五体満足の話からえらい話になりましたが、人のとらえ方っておもしろいなっていう感じですかね。っていうことでね、あんだけギスギスというか・・・いやギスギスしますよねぇ。自分の器をもっていって母親に当てはめようとして、母親は母親で母親自身の器もってきて私をそこに当てはめようとして、いやいやいやいやって言うね。(笑)

人それぞれクッキーの型の大きさも違うんですよね。それも自分が持ってる型をずっと握りしめておかなあかんかって言ったらそういうこともなくってどんな型に変えてもいいしどんな大きさに変えてもいいし、そこさえも自由っていう風に思います。

私病気になって手術して、体の自由がある程度今制限されていますけど感情とか思考の部分はとっても自由なのでそこはもう誰にも制限されない。

そこを多分制限するとしたら自分なんですよ。
怒りたいときに我慢しちゃうとか、こんな風な考え方しちゃだめだとか、制限してるのは自分なんですよ。目に見えないことに関して。だからそこは心は自由に前に師匠が手術前に伝えてくれた言葉で、大切にしたいなって思って言う言葉なんですけど、顔で笑えなくても心が笑ってる状態を保ってくださいって言ってくださったんです。

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相変わらず私の話ってね、取り留めないんですよねぇ。また誰かお友達とか大好きなコーチとか、インタビュー形式で対談したりとか雑談みたいな感じでお話したりとか考えたりしているんで、そういうことを実現させたいなって、思っています。そうするとある程度もうちょっとこう取っ散らからないかな、道筋つけてと思ったりしています。

今日はタイトルをつけるとしたら、クッキーの型、ですね

じゃ、また次のノートでお会いしましょう。

美穂さん、今回も書き起こしありがとう!

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