ガンジスで沐浴するような女 その四
こちらのつづき。その四です。
バラナシで、大の字になってわんわん泣く
沐浴を終え、ホテルに戻って入浴をした。非常に入念な入浴だ。
しかし、もはや水を飲んだのだから、いくら外側を洗っても意味がないような気もして、なんだか笑えてきた。体の内も外もガンジスまみれである。
一応、胃腸薬やら正露丸やら下痢止めやらは持ってきたのだが、実はこれまで、どこで何を食べてもほとんどお腹を壊したことがない。モロッコの屋台で手づかみで魚のフライを食べても、ケニアで土壺に入ったらくだ肉を食べてもなんともない。恥ずかしながら、人生毎日快腸だ。
唯一苦しんだのはエジプトでナイル川クルーズに行った時だ。酔っぱらっていて間違えてクルーズ船の水道水で歯を磨いたせいで、次の日は一歩も外に出られなかった。
今回はどうなるだろう。あのガンジスの水を飲んだのだから、さすがに大変なことになってしまうだろうか?赤痢に罹って帰れなくなったりしたらどうしよう。いや、それちょっと面白いじゃん。人生に箔がつくというものだ。ナイル川もガンジス川もメコン川もどんとこいだ。むしろ、ガンジス川のほうがセーヌ川やハドソン川やテムズ川よりきれいなんじゃないか?セーヌの水はちょっと飲みたくないよね。米朝師匠が「最近は道頓堀の水もきれいになりましたな。ちょっと前までは、汚すぎて大腸菌も死んだいうて。。」と言っていたな。
そんなことを考えながら、風呂あがりに大きなベッドに大の字になった。
そして、小さい声で、かあさん。かあさん。シェリ。と言ってみた。言ってみたら、昨日見たひまわりや、かあさんの声や、シェリのふわふわのしっぽなどがつぎつぎに思い出されて、わたしは天井を見たまま声を上げて泣いた。
うちのかあさんは最高に明るくて愉快な人だった。わたしはかあさんの話を聞いていつも笑い転げていた。朝寝坊で寝床でぐずぐずするわたしを愉快な歌と踊りで笑わせて起こしたり、考えられないドジを踏んだり、素敵な絵を描いたり、たくさんけんかもしたけど、わたしとかあさんは仲良しだった。
かあさんは、いつも、ひまわりみたいだった。
昨日、サールナートで熱い風に揺れていたたくさんのひまわりはかあさんだったような気がする。やっぱり、わたしはさみしくない。すぐそこにかあさんはいるんだ。
かあさん、わたしさっきガンジス川に浮かんできたよ。水も飲んじゃった。
きっとかあさんは笑うんだろうな。
そして、身支度を整えて、食堂にカリーを食べに行った。
(つづく)
THE TIMERSの「デイ・ドリーム・ビリーバー ~Day Dream Believer~」はわたしのかあさんへの気持ちとまるで同じだ。かあさんがいなくなってからは、泣かないで聴けたためしがない。