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「廊下に立たせること」で得られるものは何か

怒涛の4月が過ぎ去りました。
安定しない天候に戸惑いながらも、我が小学1年生の息子も少しずつ新生活に慣れつつあります。
それでもまだ、朝ごはんは飲み込めないし、靴を履きながら苦しそうに息をしています。頑張る背中を見て、心の中で「がんばれ」と応援する日々なのです。

なぜ息子はハッピーな気分で毎朝起きれないのか。それには理由がありました。

息子が入学して間もなく、隣のクラスの先生の"行い"について噂が流れはじめました。

  • 3回ミスしたら廊下に立つ

  • 理解した内容を説明できなければ"困ったちゃん"と言われる

  • 先生は敬う対象だから「先生がいらっしゃいました!」と言い、教室に迎える

など。

小学校はまだ新しいため、昔と違いオープン教室。隣が何をしているのか、などがすぐ分かってしまうのです。

自分のクラスは平和でも、隣で苦しんでいるお友達がいるーーーそれが、息子が毎朝元気のない理由でした。

「廊下に立たせる」ことで得られるものは何でしょうか。約束を守る子?言うことを聞く子?大人を敬える子?

表面上はそうかもしれませんが、きっと違うと思います。

幼稚園や保育園でのびのび育ってきた子どもたちの純粋、無垢な気持ちは、どんどん崩れていくように感じるのです。

そんなのでは教育はできない?
と、言われるかもしれません。
でもそれは違います。そんなことをしなくても、何が正しくて、何が間違っているのか、問題は何か、どう改善できるのか、などを考える力は養えるはずです。

人との関わりについては、いまは企業でも、カルチャーを重要視したり、ひとりひとり、100人100色の人生を尊重できるような教育制度を人事部が尽力したりと力を入れているところも多く見受けられます。そしてそれは何よりも子供たちが過ごす現場、学校に必要なのではないでしょうか。

いまは令和の時代。
押しつけて罰を与えるのではなく、生徒のありのままを見つけ出し、尊重し高めていく教育をぜひにと希望してやみません。

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