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熊野のお祭り①

今回は熊野のお祭りをみていきます。

お綱掛け神事

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お綱掛け神事は年に2度の大祭で執り行われる神事です。
約170mもある大綱を、御神体の巨巌からご神木の松へと掛けます。
大綱は境内目の前の七里御浜(しちりみはま)から氏子たちの手で引き渡されます。

花の窟神社 - Hananoiwaya Shrine

『日本書紀』には次のように書かれています。

一書曰、伊弉冉尊、生火神時、被灼而神退去矣。故葬於紀伊国熊野之有馬村焉。土俗祭此神之魂者、花時亦以花祭。又用鼓吹幡旗、歌舞而祭矣。

出典元:日本神話・神社まとめHP「日本書紀(現代語訳・口語訳の全文)」〔https://nihonsinwa.com/〕

祭神の伊弉冉尊(いざなみのみこと)は、同じく祭神とされている軻遇突智尊(かぐつちのみこと)を生む際に受けた火傷で亡くなってしまいます。
その弔いのため花が供えられ、鼓・笛・幡旗を使って歌や舞を捧げられたといいます。
それを再現するかのように大綱には、花や扇子が括りつけられた3本の縄、三旒(みながれ)の幡(はた)が吊るされます。
また、秋の例大祭では神楽の奉納も行われます。

お燈祭(おとうまつり)

(祭)神倉神社

お燈祭は熊野速玉大社の摂社・神倉神社で行われます。
上り子(のぼりこ)と呼ばれる白装束の男たちが神倉神社のある神倉山から火の灯った松明を持って急な500段の石段を駆け下りるという非常に危険なお祭りです。
その様は「お燈祭は男の祭 山は火の滝 下り龍」と民謡でも唄われています。

本来は新年を迎えて火を更新するという意味があるお祭りのようです。
一説には、神武東征の折に迎え火をもって祭神の高倉下命(たかくらじのみこと)が神武天皇を熊野に迎えたことに由来するとされていますが、古くから行われている祭事ですのでよくわからないですね。

お燈祭の流れ

神事に臨む上り子たちは本番に向けて準備を行います。
まず精進潔斎から始まります。
本来は一週間前から白飯や豆腐などの白い食べ物以外の食事を絶ち、女性にも触れてはならないことになっています。
実際にはお祭り当日にのみ実践している人が多いようです。

朝、2月という寒空のなか王子ヶ浜で禊を行い身体を清めます。
上り子たちは上から下まで真っ白の装束を身にまとい、腰に荒縄を巻きます。
そして祈願や名前などを書いた松明片手に、阿須賀(あすか)神社・熊野速玉大社・妙心寺を順にお参りします(三社参り)。

夜になると遂に本番です。
538段の石段を登り神倉山に入山します。
上り子が集まりきる前に、神職と介錯(かいしゃく)と呼ばれる執行・警備役たちらにより山頂で神事が執り行われます。
迎火大松明に神事で用いられた斎火(いむび)が灯されると、介錯はそれ持って中腹の中之地蔵まで向かいます。
上り子たちの松明に火が灯されて、さあもうすぐクライマックスです。

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本殿に集まった2000人前後の上り子は、介錯たちの手で鳥居の内に一旦押し込められます。
そして扉が開かれると同時に、一斉に石段を駆け下りていきます
燃え盛る炎が次々と山上から麓へと流れていく様子はまさに下り龍です。

お祭りをともにした松明は自宅へと持ち帰り、新年の火を家に灯し一年の無病息災を願って終わりを迎えます。

南紀・熊野お祭りガイドHP「お燈まつり」
お燈祭についてより詳しく知ることができます。
動画ギャラリーも要チェック!

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