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ありがとうは誰のため

こう言っちゃなんだけど、
辻仁成さんの白昼夢のような文章は、
寝不足の昼休みにほとんど眠りながら
(あるいは寝落ち寸前で)
読むのにもってこいなんだと今日気付いた。


昨夜は練習中のアコースティックギターにのめりこみ過ぎて、夜更かししてしまった。

というのも最近、ついに上2人が自分で寝付けるようになり、お母さんあるある(だよね⁇)「添い寝しながら(やむなく)寝落ち」しなくても良くなって、途端に夜の自分だけのlovelyな時間が増えたのだ。オチビちゃん(と言っても小1だけども)はパパがトントンしに行ってくれる。

そんなわけで夜更かしが増え、
今日眠い。

昨夜の残り物弁当を平らげ
何気なくスマホいじっていたら、
素敵な日記にめぐりあった。

辻仁成さんのロマンチックで
自分とは別の世界に生きている人の、
愛にあふれた文章が好き。

と言いつつ、そんなに読んでないです。
ごめんなさい。
学生時代大好きだった冷静と情熱の間も江國香織さんバージョンしか読んでないような…

でもこの辻さんの日記シリーズを何本か読んだだけでも底知れず愛が深い人だということが
わかり、私まで温かくなる。
(今日、寒いしね。)

さて、タイトルのありがとうって、誰のために言うんだろうって。辻さんの日記を読む前に自分なりに考えてみたのです。

相手に感謝を表すって、
相手のためにいうの?
初めはそう思ったんだけど、
良く考えたら、私は
正直相手のために言ってることなんて少なくて、(これを大人は社交辞令というのか?)誰かに何かしてもらって、温かい気持ちになって、この嬉しさをどうやって表現したらいいんだろう…それは、その行為をしてくれた人とこの気持ちを共有するしかない!と。そんな風にありがとう、って言うことが多いことに気づいた。

要するに自分の溢れ出る感情を言葉にするしか落とし所がなく、「ありがとう」って言ってることに気づいた。

だから、結論を言えば、
「自分のために」言ってる。

かなり自己完結な、答えではあるけど、
そんな風に思うのです。

リンクに貼った文を読んでもらえたら分かりますが、結論に辿り着くまでの道は違えど、辻さんも。

「ありがとう」は、結果、自分にも言っている、と。

子どもたちには何気なく、
「ありがとう言ったの?」
と口に出してしまうけど、それがどういうことなのか、ゆっくり話してみる時間があってもいいのかも知れない。

こんなことをのんびり考える暇な立春の午後。

一応自称番頭なので、眠ってはいません笑
お仕事のお問い合わせはどしどしお願いします。

追記。サムネは、週末に行われた次女ピアノの発表会でいただいたお花たち💐今こそ言いたい、ありがとう。(先生へ、頑張った次女へ、ゲスト出演で頑張った長女へ、お花くださった方へ、関わってくれた全ての皆さんへ。素晴らしい会でした。幸せ。)

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