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はじめまして、AIです。

「これからAIの時代がやってきます。」という文字を読むと、一瞬自分のことかと思ってドキッとしてしまうAIです。


あらためまして、高橋あいです。


今回、「そうだ、ノートを始めよう!」と思い、

次に「何から書いていけばいいのだろう?」とほかの方が書かれたnoteの文章を読んで、「こんなにすごい文章が書けない・・・」と気持ちが後ろ向きになり・・・


「いや、このままでは永遠に始めることができない!!」

「とりあえず今頭の中にあることをそのまま書いていこう!」

と頭の中を切り替えて今、パソコンに向かってこの文章を打っています。


パソコンに向き合ってからも、

「はじめてだから自己紹介をすべきなのか?」

「そもそも、読んでくださる方が本当にいらっしゃるのかしら?」

などと次から次へと疑問が浮かんできて、もう、何がなんだかわからない。


「とりあえず、書こう!!」


もう、頭の中の思考をアウトプットする、その一心でキーボードをたたいています。


「じゃあ、そんなに大変なら始めなきゃいいじゃない。」という声があるかもしれません。


ごもっともだと思います。


でも、

「やっぱりアウトプットしないと伝わらないし、うまく書けなくてもいいからとりあえずやろうよ!」


ともう一人の私が熱く語っていて、その熱い想いを受けてキーボードを叩いている、という。


じゃあ、

「なぜ、そんな思いをしてまで今アウトプットしているのか?」と言われると、私の心の中の奥底でずっと伝えたい想いがあって・・・


それは、

「人生は短いし、人生の最期にモノを持っていくことはできない。だからこそ、限られた時間を、不要なモノではなく、大好きなコトや本当にやりたいコトに使って「いろいろあったけど楽しい人生だったー!!」と笑って終われる人生を生きたい!!」

という想い。


この想いが強すぎて、めんどくさがりで優柔不断で後ろ向きの私がいるにもかかわらず、自分の想いをどうにかして伝えたい!という熱い気持ちから今書いています。



そもそも、私は、子供の頃から「幸せってなんだろう?」「どうやったら幸せになれるのだろう?」などと考えるのが好きな子供でした。


また

「まじめに頑張ったら幸せになれる!」

「お金さえあれば幸せになれる!」

「いい学校に入って、いい会社になって、素敵な人と結婚して、家を買って・・・」

といった親や先生、世間の言うことをそのまま疑いもせず信じていて

そうやって頑張っていけばきっとその先に幸せがあるハズ!と思って生きていました。


けれども、世の中には、どんなに頑張ってもムリなことがいっぱいあって


例えば、

どんなに頑張っても、運動会のリレーの選手には選ばれない

どんなに頑張っても、身長が伸びない

どんなに頑張っても、記憶力が伸びない

どんなに頑張っても、部活をしながら東大合格とかできない

どんなに頑張っても、美人になれない

などなど


もう、自分のできない部分ばかりに目が行って、劣等感の塊で、自分のことを好きになれなくて、本当に

足の速い人や、背の高い人、記憶力のいい人、スポーツ万能で成績優秀な人、きれいな人を見ると、本当に落ち込んで、次の人生は、背が高くて美人でスポーツ万能で頭がいい人で生まれたいなあと思っていました。


それでも、いろんなことができない自分だからこそもっと頑張ってもっと努力を積み重ねたらきっとすごい人になって人生が変わるハズだ!と思い行動する自分もいて、自分にいろいろ言い聞かせながら日々過ごしていました。


だから、周りが遊んでいる間も、TOEICや会計の勉強をしたり、未経験の仕事も派遣から頑張って正社員になったりと、幸せになるためにまじめに頑張るが基本。


その結果、「英語を使った仕事がしたい!」という子供の頃からの夢も、海外出張に行ったり、憧れの外資で働いたりなど、ちゃんと叶えることができました。


しかし、大好きだった英語の仕事をして、夢を叶えて幸せだったはずなのに、40代後半になって、肩こり、頭痛、めまい、全身の痛みなどの体調不良が続くようになります。


そんな数年が続き、退職。


今まで経験したことのないような症状や痛みをどうにかしようと、会社のそばの病院から、同僚に紹介された病院、大学病院など、ありとあらゆる病院に行って検査を繰り返し、処方された薬を飲んでいました。


どんどん薬が強くなり、かなり強い薬を飲んで少し動けるようになるも、副作用で、さらに症状が悪化。


痛みが続く中、薬で一時的に検査結果で正常になったことから、「もうこれ以上治療することはできません」と言われ、もう病院で治療してもらえないことにショックを受け、重い足を引きずり手ぶらで家に帰る。


もう、何を信じて、何をすれば病気を治すことができるかわからない。

あたりまえにできていたことができない。

あんなに軽いスーパーのビニール袋1枚を持つのにも両腕に激痛が走り、

呼吸をしたいのに、カラダが緊張して息が吸えない、吐けない。

全身の痛みで、夜寝ることもできず、昼椅子に座っていることもつらい。


訳もなく涙が出てきて、ベッドの上にティッシュの山ができて


「もう、このまま人生が終わってしまう・・・」という弱気な思いと

「このまま死ぬなんて絶対イヤだ!!」という強い思い。


「定年まで頑張って仕事をして、その後は、大好きな海外旅行に行ったり、のんびりと友達とランチを楽しんだり、豊かな老後を過ごすはずだったのに、これじゃ私の人生、一体何だったのだろう・・・」

「どうして、私だけこんな目にあうのだろう?」

「ただ、まじめに頑張ってきただけなのに・・・」

という思いが頭の中をグルグル。


人生に絶望するというのはこんな感じなのかなと思いながらも

ひっきりなしに流れてくる涙をティッシュで拭くことに忙しく

ベッドの上にできたティッシュの山を眺めながら自分の人生に絶望する日々を過ごしていました。


そして、どれぐらい泣いたかわからないぐらいの毎日を過ごして、カラダ中から「もうこれ以上もう涙が出てこない!」というぐらい泣いたぐらいの頃、ある思いがフワッと頭の中に湧いてきました。


それは、


「これまでの人生って、これって本当に私が望んでいた人生だったのかな?」

という思い。


「私は、本当はどんな人生を望んでいたのだろう?」

「まじめに頑張って勉強して仕事をしてきたけれど、これって本当に私自身が望んでいたこと?」

「あれ?子供の頃からずっと、母親から、100点を取ることがあたりまえ、いい学校に入って、いい会社に入って、ちゃんとまじめに頑張っていたら幸せになれると言われてきたけれど、これって、全部母親が望んでいたことであって本当の私はこんなの望んでいない!!!」


「私は、もっと違う、何かうまく言えないけれど、もっと笑って、楽しい人生をただ生きたいと願っていた!」


「そもそも、競争とか苦手だし、頑張って1番になる!とかより、みんなが楽しそうにしているのが好きだった!」


「そう言えば、高校の文化祭で、カフェの準備をしてバウンドケーキを作ったり、食券を作ったり、みんなで一緒に目標に向かって頑張っている時の方がめちゃくちゃ楽しかったなぁ~」


といったことが次から次へと浮かんできました。


頭の中にあった余計なモノが涙とともに外に出てきて

ようやく、その奥に合った自分の本当の気持ちが出てきたような感覚でした。


そして、あることに気づきます。


それは、

「これまで、私はずっと、母親の望む人生を生きてきた。」

ということでした。


これに気づいてから、私は、今まで漠然としてモヤモヤしていたいろんなことが腑に落ちました。


海外で仕事をすることが多かった父が久しぶりに帰国して

「お母さんと私はよく似ているね、まるで瓜二つだ、ほぼ一緒、相似だねー。」

と母と私を見てよく言っていたこと。


そのころの私は、母と似ているということがうれしくて、「私と母は考え方も言葉遣いも似ているんだ、うれしいなぁ~。」などとのんきに考えていました。

しかし、それは、父が家にいることが少なく、生まれた時から、母の言うことが絶対で、それに逆らうことなど1ミリもできなかったからで、もう、全てにおいて母親が喜ぶ選択をしないとそこでは生きていけなかった、という背景があったこと。

また、自分が本当にやりたいコトを母に行って却下されたり、欲しモノがあっても素直に買って欲しいと言えなかったり、友達と遊ぶことを禁じられたりと、母の目を気にしながらずっと毎日過ごしていた、ということを思い出したのです。

また、大人になって、実家から離れてずいぶん経つのに、何か選択する時に、「こういうことをやったら悲しむかな。」などと親の顔がちらついたり、自分の人生なのに、ずっと親からエネルギーを奪われているような感じがしていることに気づいたのです。


これって、本当にすごいことで、よく、「親はドリームキラーだから気をつけたほうがいい。」と言われたりしますが、これは、一緒に住んでなくても、距離とかにも関係ありません。


さらには、親がなくなっているのに、親からエネルギーを奪われている人もいます。


もちろん、親が子供のことを心配して、いつまでも子供のことを思う気持ちが強い、ということも言えますが、そうやって親は、子供のやる気を失わせて、子供から奪い続けたエネルギーで親はますます元気になる、という構図もあったりと、親子のエネルギー問題は根が深いです。


そして、ご多分に漏れず、私もずっと親にエネルギーを奪われ続けて、エネルギー不足の人生を生きていた、ということに、40代でようやく気づいたのです。


「自分の人生を生きていなかった」

「ずっと親が喜ぶ選択をして、親が喜ぶ人生を生きていた」

「自分が望む人生じゃなかったから、どんなに頑張っても幸せだと感じられなかった」


ということに気づくまで、いつも自分の人生はとても複雑で重たいモノでした。

しかし、このことに気づくことで、今までのどうしても解けなかった人生の問題がスルスルとほどけていきました。


ずっと親がこっちが正解だよ!と言っていたゴールに向かって進んでいた私は、

それは、周りと競争しながら、少しでも上に、少しでも先に、できるだけ山の頂上を目指して、ナンバーワンを目指すことを正解とするような世界でした。

そして、そこでは、99,99999%の人がまじめに頑張っているにもかかわらず本当の幸せを感じられない、満足感と欠乏感の中で人生が終わっていくそんな相対的幸せのある世界でした。


一方、私の向かいたいゴールは、1人ひとりの目的地が違うけれど、それぞれが幸せだと感じていて、いつもおだやかな気分でいられる世界。

ゴールは無限大。

そして、それぞれのゴールは違っていていいし、自分に合ったゴールに進んでいいし、違うなっと思ったら変えてもいい。

だからこそ、こっちのゴールが正しいとか、あっちのゴールじゃないダメだ、とかじゃなくて、ただ私たち1人ひとりが自分が本当に進みたいと感じている自分のゴールに向かって笑顔で進んでいる。

もし、その中で、同じ価値観だったり、一緒に進みたい人がいたら、ゆるくつながりながら、助け合いながら、一緒にゴールに向かってもいい。

楽しく旅をしていて、途中で、行きたいところが違ったらまた離れてもいい。

例えるなら、南の島が好きな人、北欧が好きな人、アフリカの大自然が好きな人、日本の原風景が落ち着く人など、違う目的地をめざしていて、それぞれが「幸せだなあ~」「ありがたいなあ~」と感じながら、そこでの毎日を楽しんでいる、オンリーワンの世界。


「私は、ただ笑って楽しい!と思える毎日を過ごしたかったんだ!」


そう気づいた時、今までずっと本当はやりたくなかったことをムリヤリやって、エネルギーをすり減らし、疲れきって、それでも、コーヒーを飲んだり、甘いものを食べたりして、ムリヤリ集中モードにしてから勉強や仕事をやってきた人生を思い出しました。

そりゃそうですよね。

本当は行きたくない方向にムリヤリ連れていかれて、本当はこっちに行きたいなあ~という漠然とした気持ちにも気づかず、イヤイヤ行きたくない方向に向かって進んでいたら、誰だって、足取りが重くなるし、気持ちも暗くなりますよね。

それでも、親が悲しむから、親が喜ぶように、と40年間以上もずっと思い込んで、本当の自分の気持ちに気づかずに生きてきた。

ようやく、カラダが悲鳴を上げて、このままだとバタッと倒れるよ!というサインを出してくれたことで気づくというパターン。


まさか、自分のカラダがそんな風になっていたなんて想像もできなかった。

でも、そう考えると、全てのコトに納得できて、はじめて、自分の状況を客観的に見ることができたのです。


そこで、私は、自分の人生を取り戻すべく、行動することにしました。

まず私が考えたことは、

「健康を取り戻すこと」


私は、

「幸いにもまだ生きていて、命がある!」

「少しずつ体調が悪化したのだったら、少しずつ体調が良くなることだってあるハズだ!」

「病気の状態から元気な状態へと少しずつでもいいから変化させていけたら健康になれるハズだ!!」

と思いました。


また、それまでは、豊かな老後のためにと貯金をやっていましたが、

定年になる前に、途中でバタッと倒れて手遅れになってしまったら、それこそ後悔しかない。

命がなくなったら、お金を使うこともできない。

お金は生きている間に使うからこそ意味がある。

そうだ、今は健康になるためにお金を使う時だ!

もし、健康になれば、また働くこともできるし、老後を楽しむこともできる。


まずは、健康を取り戻そう!!!


そう思って、どうにかして健康を取り戻すことができないかと、携帯の画面を見ながら健康について調べ始めたのです。



ということで、今日は子供の頃からの40年間積み重ねてきたモノが一気に崩れ去った時のお話についてでした。


ここまで読んでくださり本当にありがとうございます!!

次回は、

「40代身も心もボロボロで病院に見放された私がどうやって健康を取り戻していったか?」

について書いてみたいと思います!

もしかしたら、書いている途中で違う方向に進むかもしれませんが、もし、

「次回も読んでみたい!」

「何をやったのか気になる!」

と1ミリでも思った方がいらっしゃいましたら、

ハートやフォローしていただけるととてもうれしいです。


お忙しい中、最後まで読んでくださり、「本当にありがとうございます!!」


では、次回、note上でお会いできるのを楽しみにしております。








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