部屋とモルヒネパッチと私

2019/9/9

今日、初めて精巣腫瘍の患者さんの奥さまからメッセージをいただきました。

丁寧に返信しました。

帰宅後、モロヘイヤとトマトのスープをつくり、コエドビールをグラスに注いだ後、何気なくまたスマホをチェックすると、2通目のメールが。

今度は、一番悩んでいることが噴出したようなメールでした。

朝、J-TAG代表の改發さんからメッセージを受けて、思わず胸がしめつけられました。

台風が来たけれど、そんな自然の暴力は、病として誰かの体の中で、人間を嫌が応でも自然に返すのだな、と思います。

私も、闘病していたときに助けてほしかった。

綿毛を吹き飛ばすように、かすかな願いを風にのせるようなものだけれど、今、こうして人のためを想い、行動することができて、体から力が湧いてくるようです。

闘病中、私を助けてくれたのは、母でした。

母は、無業の女性です。いわゆる、専業主婦です。

でも、だからこそ助けてもらえたところがある。

緩和ケアに入るころ、フルタイムで働いていた私を家で待つ夫に、すぐさま食事を提供してあげられるようにと、毎日どっさり夕食をつくってくれていました。それは、母が夕方から心をこめて食事をつくってくれたおかげです。

本当にありがたかった。

思えば、産まれたときから飢えたことはなかったのです。

母の食事に育てられ、母の食事に助けられました。

今でも覚えているのは、がんに効くらしいとテレビで特集されていた食材、キャベツをメニューに取り入れるため、冷蔵庫に大きく「キャベツ」とメモを貼っていたことです。

なぜ、家事には対価が支払われないのでしょう。

女性が、無償でやるべき労働でしょうか。

私は、家事も、とは言わないまでも、育児、介護、看護、をもっと社会化すべきだと思っています。

つまり、育児、介護、看護を個人がプライベートで担うだけではなく、社会の仕組みの中でケアを実現すること。

これが大事だと思っています。

なぜか。

たとえば夫の終末期、毎日痛みを軽減するためにモルヒネパッチを貼っていました。お風呂からあがると、必ず取り替える。

私は、夫に痛みだけは感じてほしくなかった。

毎日、鬼の首をとったように、「モルヒネパッチ貼った?」と聞いていました。

部屋の中で、たった一人、夫の痛みに責任を持たざるを得なかったのです。

そういう毎日を送っているときにもし、誰かソーシャル・ワーカーに相談できていたら・・・

誰かがうちに来てくれて、ケアワーカーとして話を聞いてくれていたら・・・

夫の闘病ももっと楽になったし、私の心身ももっと寛げたのではないかと思うのです。

人の命に責任を持つ、ということは、一人ではできないのではないでしょうか。

患者の家族を、「第二の患者」と呼ぶこともあります。

私は、そうは思わない。

私は、患者の家族とは、「喪失(グリーフ)の経験者」だと思います。

そして、患者も同様です。闘病が始まったそのときから、喪失(グリーフ)は始まるのです。

患者も、患者の家族も、共通して失うものがあります。

それは、日常生活。夫婦の場合は性生活も失うでしょう。

でも、それ以外のところでは、失うものが全く異なるのです。

だから、ズレる。ズレていき、スレ違う。

私が闘病を始めて失ったものは、「頼れる」相手や、

健康な、「恋人」としての夫、

そして「通常モードの」パートナーシップそのものです。

そのかわりにさまざまな負担が増えました。

看護の必要、経済的責任、心身の疲労、そしてそれら全てを秘密にすること。

夫が失ったものは、まず健康。仕事。

髪の毛。美しい容姿。自己肯定感や自己効力感も失ったかもしれない。

そして、二人の間には一番大事な違いがあります。

夫だけが、「未来」を失ったということです。

だから、患者にも、患者の家族にも、「グリーフケア」が必要です。

「グリーフケア」とは、喪失、つまりグリーフに対する物理的・精神的な援助を意味します。

終末期の患者に必要なのは、「未来」さえ失ってしまったことへ向き合うこと。

患者の家族に必要なのは、数々の実際的な負担を軽減する公的な支援と、より精神的な喪失に対するグリーフケア。

遺族になってしまったときに必要なのが、立ち直るためのグリーフワーク、つまり喪の作業への導きというケアだと、私は確信しています。

ちょっとおおげさだけど、

私は、こうしたグリーフケアの公的インフラ化を目指したい。

社会のインフラを整え、OSをアップデートしたい。

まずは、初めの一歩として、メールアドレスひとつの回線を通して、光を探っていきたいと思います。

大学時代、何気なく履修した教養の授業で、矍鑠たる老齢の教授が、早稲田大学の精神として、この言葉を教えてくれました。

「草莽崛起の人となれ」

吉田松陰の言葉です。

なぜだかずっと、心に残っていた。

草むらから沸き立つように、在野の人こそが世の中をボトムアップで変えられる、何かを成し遂げていく、という意味です。

今、ぐっときます。

アンニュイな月曜日だけど、台風一過の空にむかって伸びる夏草として、いつか実りをもたらしたいと切に願います。


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