苦しみは私を強くする風
2019/9/30
ボランティア、始めました。
精巣腫瘍友の会、という団体があります。
夫の闘病が決まった頃、新聞記者だった父が調べ、探してきてくれた団体でした。
そのときは、都内も某病院での抗がん剤治療が奏功せず、次の一手を探しあぐねていたとき。
代表の改發厚さんは、「京都へ行け」と、私たちに道を示してくれました。
そこで出会い、最善の医療を提供してくれたのが、中村晃和先生です。
(勝手に名前をあげてしまい、すみません)
あれから4年。
今度は、私が誰か苦しみの渦中にいる人のお役にたてないかなと思い、直接ではありませんが、患者さんのご家族やご遺族の皆様からのメッセージを受け付けるメンバーに入れてもらいました。
夫の闘病中、私は本当に誰かに助けてもらいたかったのです。
自分の弱さを、思い出します。
夫が、なるべく病気のことを隠しておきたい、という希望があり、それが結果として私にとっては闘病と秘密という両方の重責を担う形になりました。
誰か、経験者の声が聞きたい。
こんなとき、どうすればいい?
そんな思いを抱えながら、闘病中ずっと歯を食いしばっていました。
そんな方がもしどこかにいたら、どうかこのメールアドレスに発信してほしい、そんな気持ちでいます。
私にとっては、闘病中の苦しみに対して、寄り添ってくれるラジオ番組の電波のような、どこかの誰かにつながる光の回線のようなものがほしかったのです。
だから、つくりました。
このメッセージのはじまりに、J-Tagの古谷さんが、とても素敵な序文を書いてくださいました。
経緯がわかりやすく、スムーズに導入していただいて、感謝しています。
古谷さんは、前回お会いしたときに私が「グリーフワーク」という言葉を連呼していたら、それをさりげなく、わかりやすく、「喪の作業」という日本語に翻訳してくれました。この言葉がとても的を得ているので、気に入っています。
また、J-Tag代表の改發厚さんにも、改めて感謝申し上げます。
夫がとうとう亡くなったときに、夫と握手したときの「手のぬくもり、優しさを忘れない」と言ってくれた方です。
言われて一番うれしかった、そして、今でも思い出せる印象深い言葉です。
また、私が三浦忠司の家族として何ができるか、と考えながら様々なアイデアに翻弄され、地に足がつかず血迷っていたときも、メッセージのやりとりをさせていただいていました。
何者でもない、中途半端な自分にもちゃんと向き合ってくれました。
「夫を亡くしてどう思い、どうしたほうがよかったのか?」
と真っ正面から問うてくれました。
その答えのひとつが、このメッセージ募集に結実したと思っています。
タイトルは、夫の死別直後、限界と言ってもいい状態でお世話になっていた精神科医の方がくださった詩の一部です。
苦しみは、真実、私を強くしました。
今だから、分かる。今だから、言える。
現在、苦しみの渦中にある人には、なかなか実感しにくいかもしれない。
でも、止まない雨は、ありません。
私自身が発光して照らしてあげることはできなくても、太陽がのぼったらカーテンを開けてあげることはできる。
そんな気持ちで、お話にこたえていけたらなと思っています。
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