【Web投句箱】9月【爽やか】秋の季語

俳句をつくるのには目的がいることもある。普段から俳句にどっぷり浸かっている訳ではないわたしみたいなひとは特にそうだ。今までに二つの記事に渡って2つの季語で俳句を20個つくったけど、そんな風に同じ季語をすり切れるまで使うような俳句づくりは間違ってる気がする。じっくりと一つの季語に向きあう。そんな真面目な態度も必要なんじゃないか。などと考える。ひとに読んでもらうことを念頭に置けばもっと推敲するだろう。
さて伝統俳句だ。わたしはここ二週間くらい俳句を読んでいて気づいたことがある。それは明治で生まれた俳句というジャンルが大正昭和で分岐しているということ。といっても体系的な知識はないのでぼやっとしたイメージだけど。いわゆる前衛派と伝統派に別れているのはわかる。わたしはどちらかといえば前衛派のほうが面白いとは思う。
金子兜太は読んでみてかなり好きだった。五七のリズムから逃れながら、韻律に引きつけられて俳句になる。そういった強い磁場をつくりだすには、やっぱり伝統俳句に深く呼応してるしてなくちゃいけないんだと思う。五七でないからといってなにか他の短詩というわけではない。そんな俳句もつくってみたい。
わたしは奇をてらったりせず、とにかく俳句の基礎をわたしの言語野に拵えることを目的にした。
いい俳句をつくるには、なにがいい俳句なのかがわかる目がなければいけないけど、それは難しい。だからプロの選者に見てもらうのが一番手っ取り早いんじゃないか。
て、ことで調べてみたら日本伝統俳句協会が開いてる【Web投句箱】というのに突き当たった。
このサイトには俳句のつくりかたも書いてあって素人に優しい。内容も簡単だし。なんとなく納得がいく。特に「省略」のところは素人ながらに同意した。
わたしはなるべく俳句のなかに動詞はひとつと決めてる。というのも名詞にはそれぞれ類縁性の高い動詞がその裏にひそんでいるからだ。「太陽」なら「上る」とか「照らす」とかで、「鳥」なら「鳴く」とか「飛ぶ」とかがそう。こんな動詞を入れてもつまらないと思う。すごい下手に「紫陽花や太陽昇る朝の窓」と書いてみる。ものすごく冗長だ。太陽は昇るものだし(暮れるなら夕陽とかと言うだろうし)昇ったら朝だ。なら「昇る」「朝の」の六音が節約できる。具体的な景物か、抽象的な心情か、どっちでもいい。「紫陽花や太陽の香に窓乾く」とか?こんな感じで省略するらしい。もちろん類縁性の高い語も印象的に使えばいいんだろうけど。
あと動詞はベクトルのようなもので方向を意識したほうがいいんだと思う。金子兜太に「凩や牛の鼻先向きかはる」という句があるけどひとつのページのなかにこうした句があると次の句への飛躍というか読者の目がすーっと運ばれていく。俳句は連句や連歌とは違ってひとつの句がひとつとして成立することを重視する向きもあるけど、句と句の中間を意識したほうが、散文ばかり読むわたしみたいなひとにとっては取っつきやすい。ただ【Web投句箱】では二つしか送れないから今回の話とは少しずれるかもしれない。
そう【Web投句箱】だった。話を戻そう。
九月のお題は「爽やか」らしい。歳時記で調べたら、これはなんと秋の季語。
意味は

秋の清々しさをいう。大気が澄み、万物が晴れやかにはっきり見え、心身もさっぱりする」◆「爽やかな青年」のように、性格や物腰の形容に用いる場合は季語になりにくい
『合本俳句歳時記』角川文芸出版単行本より

ということで爽やかは秋晴れを指すんだそうだ。わたしは季語と一緒に気になった俳句をいくつか書きとめておくようにしてる。が、例えば

爽やかや風のことばを波が継ぎ
鷹羽狩行

というのが良かった。継ぎという動詞が気体と流体を跨ぐ一直線の運動を簡潔にまとめていて、ことばと開いてることで、風や波の小さな音を、小さなと言わずに、浮かび上がらせている。静かなところがいい。爽やかというのはこうした小さな現象を明確に捉えられる場を表すんだろう。場としての爽やか。そこになにを乗せていくか。もうひとつ上げてみる。

爽やかや馬首を叩けば尾が応え
鷹羽狩行

同じ作者のもの。ここでは応えという動詞がベクトルの役割をしてる。首から尾への反応だ。が、ここではもうひとつの動詞がある。叩くという語の主体がここでは呼び出されている。二つの句はかなり密接だ。場とベクトル。けど、ここに観察者としてのわたしと、主体としてのわたしがいる。もしかしたらここの叩くはわたしではなく、誰か他の人かもしれない。そうした主語のない動詞がまた綾をつくって作品の外側にある言葉へ輪を広げる。動詞を二つ使うということはそうした効果があるのかもしれない。名詞と類縁性のある動詞のその反対もあるというわけか。なんにせよ「爽やか」という語は、現象の有機的な結合を感得する場としてふさわしい、なんて書いてみる。
また「爽やか」という語で10句つくってみて、そこから練り上げたのを二つ投稿してみようと思うけど、つくるのはまた今度で。

記事のタイトルが無意識に775のリズムになっているのに気づいた。さいきん俳句を読んでいるから引っ張られているのかもしれないけど、散文を書くとひどく韻律のないものになるのでまだまだだなあ。

#俳句 #短詩系


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