![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/29425925/rectangle_large_type_2_b909429068c9f3d3f82b9b0b3b385b84.jpg?width=800)
六月晦日は夏越の祓
■大祓ってなんだろう?
大祓とは、神道の行事のひとつ、『大祓(おおはらえ、おおはらい)』のことです。
半年に一度、6月と12月に行われ、前の大祓からこの日までの心身の穢れを落とし、清める祓いのご神事です。
無病息災を願い、民間でも大切にされてきた行事です。
このうち6月に行うほうを『夏越の祓(なごしのはらえ)』、12月に行うほうを『年越しの祓(としこしのはらえ)』と呼びます。
元来、旧暦で行われてきましたが、現代の暦になっても6月と12月の晦日に行われるのが一般的です。
■由来
大祓は西暦701年の大宝律令(たいほうりつりょう)によって、正式な宮中の年中行事に定められました。
応人の乱(1467~1478年)で宮中行事として廃絶し、元禄4年(1691年)に再興されたものの、形式的なものにとどまったようです。
明治頃、全国の神社に広がり、現在のような形になったようです。
ルーツも諸説あり、伊弉諾の尊(いざなぎのみこと)がルーツという説と須佐之男命(すさのおのみこと)の神話がルーツという説等があります。
今では、人が知らず知らずのうちに犯した諸々の罪や過ち、心身の穢れを祓い清めるという儀式として執り行われています。
大祓の“大”は“公”という意味があり、個人だけのものではなく、日本国中の穢れを祓うという意味があります。
奏上される大祓祝詞(おおはらえのりと)も元々は6月と12月で異なるものが奏上されていたそうですが、現在は6月のものが残ったとされています。
調べていて興味深かったのは、
現在ではご神職の方が神へ奏上する形を取っていますが、元来、参集者に向かって「祝詞をよく聞け」と呼びかけ、これに「おう」と称唯(いしょう)して答えるのに始まり、天孫降臨からの日本神話、罪穢の種類の列挙、その祓い方と、その後、祓戸大神(はらえどのおおかみ・神道において祓を司る神。伊弉諾尊が黄泉から期間後、禊をしたときに化成した神々の総称。ルーツのひとつはここからきているのかもしれません)により、どのように罪穢が消えていくかを言い聞かせる内容だったとのこと。
身が引き締まり、心機一転するような内容ですね。
夏季は疫病や気のゆるみ、年の瀬は人が集い何かと平素と違い浮足立つとき。
半年に一回、気を引き締めるタイミングで儀式が執り行われていたのかもしれません。
■夏越の祓の風習
夏越の祓にはふたつの風習があります。
ひとつは『茅の輪くぐり』と言い、『茅の輪』と呼ばれる茅(かや)で作られた大きな輪を、独特の順番でくぐります。
これは日本神話に由来します。
昔は茅の輪を腰に下げていましたが、江戸時代(1603年~1868年)の初期頃に大きな輪になり、それをくぐることで無病息災を願い、穢れを祓うという行事になりました。
もうひとつは、『人形流し』と言い、『形代(かたしろ)』と呼ばれるクッキーのジンジャーマンのようなかたちをした紙の札に、自分の穢れを移し、身代わりとして神社に納め祈ります。
身代わりとなった人形は、神事で川や海に流したり、篝火(かがりび)で炊いて清められます。
また、みんなの楽しみ、行事の時に頂くのは「水無月(みなつき)」というお菓子。京都では皆で集まって頂くのが伝統なのだそう。
夏越の祓は旧暦6月の呼称から、水無月の祓とも呼ばれます。
その時分の名前を冠したお菓子を集まって頂くのは、風情のある楽しい時間となりますね。
水無月は白いういろうに赤いあずきが乗ったもの。
これを三角に切って頂きます。
このお菓子の由来は平安時代まで遡ります。
冷蔵庫も無い時代、宮廷貴族たちの間では、氷で邪気を祓う風習がありました。氷も当然、作ることはできません。
天然のものを切り出してくるという、夏の氷は本当に高価な希少価値のあるものでした。まさに富と権力の象徴ですね。
そんな貴重な氷は口にすることができない民衆は、白く三角形の形をした“ういろう”を氷に見立て、邪気を祓うとされた小豆と一緒に食べて代用としました。
行事そのもは途中で廃絶となったり、様々に形を変えましたが、市井の人々の願いが託されたこのお菓子は、ずっと受け継がれているのですね。
~おわりに~
歴史や階層により、様々なかたちで受け継がれてきた大祓。
紐解けば多くの出来事や人々の想いが織り込まれたものでした。
知っていくと、自分としての心持ちでこの日を迎えられるもの。
これからは、以前よりももっと本質的な節目としていけそうです。
2020年6月30日
『透明な栄養』をテーマに有形無形の造形活動をしています。ホリスティック~全体観~という捉え方を活動の基盤にしています。この捉え方は、いのちの息苦しさが紐解かれたり、改善される可能性をかんじます。noteでは日々の思考研究も兼ねて、この考えをもとに書いたものをシェアしています。