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どうしてもできないこと

 君のことが判るような振りをして、なんでも頷いていた。そうすると君が喜ぶから。その笑顔が好きだったから。女の子らしい仕草が好きだった。可成りの近眼なのに、眼鏡を掛けずにいたから、君はしょっちゅう蹴躓いた。エスカレーターに上手く乗れず、足踏みするようにしていた。コンピューターの液晶画面に顔を近づけている様子が可愛らしかった。
「眼鏡を掛ければいいのに」
 そう伝えると、だって不細工になるから、と返してきた。コンタクトにしたら、と伝えたら「めがごろごろするからいや」とふくれて云った。君を理解していると思い込んで、その疑問に答えていた。君の云っていることの半分も判っていなかったのに。
 ぼくは何ひとつ判っちゃいなかったのに。
 服屋でこっちとあっちとどっちがいい? と君はぼくに訊く。女の子の服のことなんてさっぱり判らなかったから、適当に答えていた。ぼくが選んだ服は大抵ちぐはぐで、君にちっとも似合っていなかった。それでも君は嬉しそうにスカートの裾をひらめかせてぼくの前に居た。無邪気でなんにも知らないように思える君が好きだった。
 でもどうしたらいい? 君をなくした今、ぼくの中には何も残っていない。右を向いても左を向いても、なんにも見えやしない。ただのまっしろな空間が広がるばかりだ。
 小さな花模様のスカートをひらめかせた君の残像が目の前をよぎる。摑めないのが判っているのに、ぼくは手を伸ばす。ぼくの腕は空振りするばかりだった。誰かが捕らえてくれればいいのにと、幾度もいくども思った。でも、君の代わりなんて居る訳がない。
 こんな筈じゃなかったと云っても、それがなんになるのだろう。何処にその思いが届くのだろう。ひとりよがりの夢ばかりが蜿々と続く。何処までも果てしなく、まるで悪夢のように。
 君の笑顔をもう見ることが出来ない。君の子供のような意地悪に困ることもない。何故ぼくがひとりで残されたのか、どうすれば君を取り戻せるのか、何処の検索エンジンでも答えは見つからない。ぼくの心臓を鷲摑みにして取り出せば戻ってくるのだろうか。そんな容易いことで済むのなら、命の百個だってくれてやるのに。
 誰かに受け取って慾しいのに、その誰かは君だから、ぼくの思いはころころ転がってゆくだけだった。
 それなのに、君の居ない部屋でぼくの日常は、以前と変わらず過ぎてゆくのだ。

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 彼女の名前は木師元鈴子といった。はじめて見掛けたのは、中央区の裏通りにある「ヒヨリ」という、古くさい外観の喫茶店である。窓は一枚いちまい違った色で、彼女は青いガラスの嵌められた窓の席に座り、コーヒーを飲んでいた。ガラス越しの青い光で横顔の輪郭が光っていた。顎の辺りで切りそろえた髪をまんなかで分けていた。何をするでもなく、ぼんやりと窓外を眺めては、時々思い出したようにコーヒーを飲んでいた。隣の椅子にはダークグレーのコートと黒い鞄が置かれて、黒いタートルネックのセーターに紺色のスカートを穿いていた。
 針で刺すような冷たさの、真冬の午過ぎだった。
 ぼくは彼女のテーブルのひとつ置いた隣に腰掛けた。窓の色は緑だった。白髪頭の痩せた店主らしき男がオーダーを取りに来た。ぼくは店主の差し出すメニューの「オリジナル・ブレンド」という文字を指差した。彼は軽く会釈してカウンターへ戻っていった。
 禁煙とは書かれていなかったので、ポケットから煙草を取り出して火を点けた。一本喫いきった頃に彼女は店を出ていった。それと入れ替わるようにコーヒーが運ばれてきた。店主がはじめてのお顔ですね、と云った。ぼくは胸ポケットからメモとボールペンを出して、「この辺りには滅多に来ないのです」と書いた。彼は少々戸惑ったように見えたが、「此処はすぐ側に立派なホテルがあるし、大通りにも近いんですが、静かでいいですよ」とゆっくり喋った。ぼくは頷いてみせた。
 その後、また彼女に会えないかと、何度か「ヒヨリ」という喫茶店に行ってみたが、彼女を見掛けることはなかった。彼女の記憶が薄らいだ頃、再び姿を見掛けた。晩夏だが、陽射しが強く暑い日だった。
 西二区の小さなギャラリーで開かれていた、カイドウヒビキというひとの写真展を観に行った時のことである。
 彼女は受附係をしていた。控えめなレースのあしらわれた白いTシャツに、色鉛筆で描いたような小花模様が散らされた水色のスカートを穿いている。
 手渡されたリーフレットを見ると、カイドウという人物は不慮の事故に遭い、亡くなったのだという。リーフレットには『今回の写真展は、彼のパートナーであったキリマユウコを撮影したものを主に展示しています』と書いてある。その女性も、心臓病で亡くなってしまっていた。年代を見ると、亡くなったのはパートナーの女性の方が先である。
 モノクロームの写真ばかりだったが、手書きで着色してあったり微妙に色のトーンが変えられたりする写真は、愛情に満ちあふれていて、微笑ましくすら感じられた。写真家のパートナーだったという女性が、お腹の上に二匹の猫をのせてソファーに寝転がっている写真を眺めていたら、彼女が横に立って何か話し掛けてきた。
 慌ててメモを取り出し「もう一度云って下さい」と書いて見せた。彼女はちょっと困惑したような顔をしていたが、ぼくの手からメモとボールペンを取って「すてきな写真でしょ」と書いて寄越した。左上がりの癖のある字だ。ぼくが頷くと、彼女はメモに「ふたりともとてもいいひとでした」と書いた。
「知り合いだったのですか」とぼくが書いたら、「キリマユウコの姪です」と彼女はメモに記して此方へ見せた。写真の中の猫を指差して、名前はクロとブチだと書いた。見た侭の名前だったので、思わず笑って仕舞った。「彼は名前のセンスがまるでなかった」と彼女は書いて笑った。
 彼女より年配のの女性がやって来て、休んでいいというようなことを云った。彼女はぼくを手で招くようにして、奥の事務室兼応接室のような部屋へ連れて行った。その部屋に這入って、ぼくは少し驚いた。インテリアが友人の柳孝一の手になるものに非常によく似ていたからだ。ぼくはメモ帳を取り出し、「これらは柳孝一の作品ですか?」と書いて、彼女に見せた。
「よく判りましたね」
 彼女は少し驚いた表情でゆっくり云った。
「彼はぼくの友人で、アパートの家具はすべて彼が特別に作ってくれたのです」
 メモを見せたら「将来値がつきますよ」と彼女は書いて、くすくす笑った。屈託のない笑顔が、少女のようである。
「今日の写真展はカイドウさんのはじめての展覧会」と彼女はメモに書いた。生きている時はやらなかったのかと書き記したら、彼女は「写真はしゅみで、HPで公開していただけ。HPはまだ見れるからきかいがあったらみて」と書いたメモをぼくに見せた。
「けいたい電話、持ってないの?」と彼女に訊ねられ、ポケットから携帯電話を取り出して渡すと、すばやく器用な手つきで何かを入力した。液晶画面を此方に見せて、「これがほーむぺーじのあどれす。けいたいからはみれないの」と身振り手振りを交えて云った。
 そして、ぼくに携帯電話を返し、代わりに自分の携帯電話を取り出して何かをちゃかちゃかと入力していた。それをまたぼくに見せた。液晶画面には「携帯の方が早いのになんでメモに書くの?」とあった。
「不器用だから君みたいに早くボタンが押せない」と、ぼくはメモに書いた。彼女は笑って、「メモの方が人間的よね」と携帯電話に入力してぼくに見せた。電話を掛ける仕草をして、ぼくと自分の携帯電話を指差し、「ばんごう、こうかんして」と彼女は云った。
 ふと彼女が、メモにも液晶画面にも極端に顔を近づけて見ていることに気がついた。「目が悪いの?」と伝えると、「すごいきんがん」と答えた。なんで眼鏡を掛けないのかと訊ねたら、両手の親指とひとさし指でわっかを作って目に当てた。思わず笑ってしまったら、「そうやってわらわれるから」と云った。
「眼鏡は持ってないの?」と訊いたら、ちょっと待ってという仕草をして、棚に置いてあった黒い鞄を持ってきた。鞄の中から眼鏡ケースを取り出し、ぼくに見せた。ケースを開けると、中には蝦茶色のセルフレームのごくシンプルなデザインの眼鏡が入っていた。
「かけてみて」と書いたら、彼女は横を向いて眼鏡を掛け、恥ずかしそうに此方を向いた。似合ってるよと書いたメモを見せると、「それは、おせじ」そう云って彼女は笑った。「危ないからかけてたほうがいい」と書いたら、眼鏡を外して両手のひとさし指を交叉させた。余程厭らしい。
「あなたは、なにをしているの」と彼女が訊ねてきた。広告デザイナーだとぼくは答えた。彼女はふーんと頷いて、「かいどうさんもおなじしごとしてた」と云った。「このギャラリーはいっさい広告を出してないのに、なんでこの展覧会に来たの?」と表示された携帯電話の液晶画面をぼくに見せた。たまたま通り掛かっただけだとぼくは答えた。
 ギャラリーから出る時、ぼくの頭に手を翳し「せがたかい」と云った。メモに183cmと書いて見せた。そこに、ぼくの持っていたボールペンを取って「わたしは163cm」と書いて、二本指を立て「ちょうどにじゅっせんち、ちがう」と云って笑った。帰って行くぼくを、わざわざ舗道まで出て見送ってくれた。ひらひらと肩の辺りで手を振っていた。

 ぼくの住むアパートは彼女の勤めるギャラリーからそれほど遠くない処にあった。それなのに、あのギャラリーの存在に今日まで気づかなかった。ぼくが住むのは八階建ての、何処にでもあるような普通のアパートだ。もうそこに十一年住んでいる。
 ギャラリーからゆっくり歩いて帰った。十五分くらいでアパートに着く。散歩には恰度よかった。車にも自転車にも乗らないので、何処へゆくにも徒歩で、離れた処へは地下鉄を利用する。新市は網の目のように地下鉄が発達しているので、不便に思ったことはない。
 ぼくは中堅どころの広告代理店の、契約社員として働いている。仕事は家でやってもいい、と云われたので、迷わず契約したのだ。聾唖の人間の扱いに困ったからそう云われたのかも知れない。
 慥かに口が利けなければプレゼンテーションをする際に、黙ってクライアントにラフスケッチや概ね期待通りに作ったものを数点見せても、説明が各画面に書いてあっても出来、不出来に関わらず敬遠されるだろう。
 部屋のドアを開けて、靴箱の上にある木製の皿に鍵と腕時計を置いた。部屋の間取りは2LDKである。全室に自動空調が設置されているのは、新市の建築物としては標準であった。ついでに冷暖房装置もついていたから、エアーコンディショナーを買わなくて済んだ。
 玄関から這入ってすぐの部屋がキッチンとダイニングで、ダイニングには樫材の小振りな食器棚と、ダイニングテーブルがある。座面と背凭れが微妙な曲線を描く椅子のクッション部分には、臙脂色の帆布が使われている。これも樫材だ。
 柳は好んで樫材を使った。非常にシンプルなデザインなのだが、どこか落ち着きと温かみがある。柳自身もそんな人物だった。
 ダイニングに続く部屋を仕事場にしている。壁際にはソファーと仕事机の向かい側に棚があり、ダイニングの椅子と同じ臙脂色の帆布張りのソファーの肘掛けと脚にはやはり樫材が使われていた。座り心地がよく、仕事の息抜きに座ったり、時々寝転んでそのまま眠ってしまうこともあった。仕事に使っているのはマッキントッシュのデスクトップ・コンピューターである。此処の汎用コンピューターはデザイン性が高い。
 仕事部屋の隣は寝室で、セミダブルのベッドとゆったり座れる椅子とオットマンが置いてある。ベッドだけだと、だらしなく眠ってしまうといけないからわざとそんな場所を取るものを置いたのだ。幸い、その部屋は広かった。この椅子とオットマンは、柳が特に力を入れて制作したものである。と云うのも、そういったセットの需要が日本では少ないので、彼にとってはやりがいがあったらしい。自分の作品のことをあまり語らない彼が、「これは自信作だよ」と云ったくらいだ。
 ベッドサイドテーブルはただの角が丸い長方形の箱を筒抜けにしたようなデザインで、上の方に一段棚があり、業務用のようなステンレスのクリップランプが取りつけてある。クリップから電球を包むようになっている、檻のようなセードに伸びるアームが自在に曲がるので使い勝手が良かった。あとは無印良品で買った何の飾りっけもないアナログ時計が置かれてるだけである。
 カーテンはすべて無地の若草色で、わざと遮光性の低いものにした。陽射しに照らされると草原にでも居るような、春めいた気分になれた。
 ぼくがインテリアに拘るのは目で見て楽しめるからである。
 玄関の横には納戸があった。このアパートには押し入れというものがないので、柳が洋服掛けと棚を設置してくれた。納戸の隣に洗面所を間に挟んでトイレ、バスルームがある。取り敢えず洗面所に這入らないと、トイレにもバスルームにもゆけない。廊下から這入れるのはキッチンのある部屋と納戸、洗面所と寝室で、何故かまんなかの仕事部屋には廊下から出入り出来るドアがなかった。
 インターホンは、機械に強い友人が、鳴ると携帯電話に繋るようにしてくれた。だから部屋に居る時も、携帯電話を寝る時以外は身につけている。
 コーヒーを淹れて仕事部屋へ行った。コンピューターが置かれた机に向かう椅子は肘掛けのある回転椅子で、長時間座っても疲れないものをいろいろ探した末、家具の卸問屋で見つけたものだった。肘掛けが机に当たらないものを探すのには結構苦労した。こればかりは、デザイン性より機能性が先に立つものなので、柳には頼まなかったのだ。せめて色合いを統一しようと思ったのだが、見つからなかった。
 机にコンピューター以外で置いてあるものは、その時取り掛かっている仕事に必要な書類と、コルクの丸いコースター(十枚で百五十円という、驚くべき安さである)と灰皿だった。灰皿といっても、ちょっと深めの小皿だ。
 コーヒーの入ったマグカップをコースターの上に置いて、ジャケットのポケットからメモとボールペン、携帯電話を取り出し、取り敢えず携帯電話を見てみた。電話帳機能を開くと、見覚えのない名前がある。「木師元鈴子」というのがそれだった。恐らくこれが彼女の名前なのだろう。
 鈴子とは随分古風な名前をしているんだな、と思った。キシモトが「岸本」ではなく「木師元」というのも変わっている。ぼくの名前を見て彼女はどう思うだろうか。小田雅人、オダマサヒト、普通の名前だ。
 カイドウヒビキというひとのホームページは、非常にシンプルなデザインだった。白とグレーを基調にして、後は展覧会で見たのと同じモノクロームの写真が本を捲るように1ページづつ配置されている。ホームページのタイトルは『くらしのヒビ』といった。「ヒビ」は日々と罅に掛けてあるのだろうか。
 カイドウというひとに名前のセンスがないのなら、これはパートナーのキリマユウコという女性が考えたのかも知れない。トップページをずっと下まで見ていったら、グレーの文字で「キリマユウコ 享年32。カイドウヒビキ 享年38。このサイトは遺族の許可を得、故人が生前作成した状態のまま公開しております」と記されていた。
 ホームページにもリーフレットにも、彼らがいつ亡くなったのかは書かれていない。カイドウというひとは、名前のセンスはなかったのかも知れないが、デザインのセンスは優れていた。ぼくもデザイン関係の仕事をしているが、それはあくまで仕事であって、クライアントの要求通りのものを作らなければならない。
 企業の広告関係などは特に、目を惹くように派手な色を使って情報を出来るだけ多く載せて慾しいと云われる。しかし、ポスターや映画のチラシ、ポストカードなどの昔からある媒体は、時々面白いことをさせてくれる場合があった。ぼくもシンプルなデザインが好きなので、出来るだけ余分なものは排除し字体も凝ったりせずありきたりのゴシック体にして、使用する色もテーマに合わせてごく限られたものにする。
 そういうのがたまに通ったりすると、なんだかテストで満点を取った子供のような気持ちになった。

 彼女からメールが届いたのは、ギャラリーへ行ってから二週間後のことである。
「来週からギャラリーでは『企業のポストカード展』をやります。宜しかったら観にきて下さい。この間はお引き止めしてしまって、申し訳ありませんでした。お話し出来て楽しかったです」
 どうやら彼女は、ぼくに興味を持ったらしい。メモで会話のやり取りをするのが面白かったのだろうか。あの時、彼女の対応は実に自然なもので、障碍を持った人間に対する態度ではまったくなかった。屈託なく、明るい。「ヒヨリ」で見た時の彼女はどこか淋しげだったが、あれは青いガラス越しの光の所為だったのだろうか。
 携帯電話の小さなボタンをぽちぽちと押して、彼女にメールの返信を送った。
「ギャラリーから歩いて十五分くらいの処に住んでいるので、散歩がてら寄らせていただきます。ぼくも君と話せて楽しかったです」
 これだけの文字を入力するだけで神経が疲れた。別に指が太い訳ではないのだが、ちまちましたものを扱うのが苦手なのだ。彼女のボタンを押す早さを思い出し、少し可笑しくなった。
 ぼくがその時取り組んでいたのは、大手飲料水メーカーの新しく発売される缶コーヒーの広告だった。電車の窓の上に差し込んである横長の広告である。広報の人間と一度だけそこの会社で会った。ぼくが筆談することを知ると、大抵その後はメールのやりとりになる。その方が此方としてもやり易い。この商品の担当は鈴木良彦という、ぼくと同じ年頃の男である。
「あなたのお仕事をざっと見させてもらいましたが、ポスターやダイレクトメールの葉書のデザインで、とてもシンプルなのがありますよね、あれがとても気に入ったんです。今回もああいう路線で行ったらどうかと提案したら、却ってその方が人目を惹くかも知れないということになって依頼させて頂きました」
 そう書かれたタブレットの画面を見た時は嬉しくなった。
 渡されたのはコピー文と写真のデータで、一週間でラフを作って下さい、と彼はコンピューター・タブレットに打ち込んだ。
「あと、缶コーヒーといってもラム酒が入っているので、『未成年の飲酒は法律で禁止されております』というのを、なるべく判りやすく入れて下さい」ということである。渡されたデータを開くと、七枚の写真が入ったファイルとテキストファイルが入っていた。
 写真を見ると、缶からコーヒーがグラスに注がれているものや、女の子が俯きかげんで両手で持ったグラスに口をつけているものや、パジャマを着た若い女性が窓際に座って手に缶を持っているものなどがあり、一枚は缶だけの写真だった。缶だけのものは写真の中に商品が写っていない時に何処かへ入れる為にあるのだろう。コピーは「コーヒーで酔ってみる。」と、実にシンプルな文言だ。どうやら若い女性をターゲットにした商品らしい。
 広告をデザインする時は、自分で適当に作ったソフト・ウェアを使っている。イラストレーターのようなものだ。フォーマットの中にポスター、ポストカード、チラシ、吊り広告、横長とある。横長、というのは、電車の窓の上などの広告のことである。ちゃんと名前があるのだが、簡単に判るようにした。それらをクリックすると白いファイル画面が現れ、ゲージで区切られた部分にあれこれ入力していくだけだ。
 今回のように横に長いパターンも含まれる場合は結構難しい。ごく普通の版面とは違ったデザインが要求される。それだけは別に考案しなければならないのだ。
 全面写真にすると、元の写真の上下をかなり切り取らなければならない。写真をそのまま使う場合は、余白をどう使うかで頭を悩ませることになる。写真の配置だけで随分イメージが違ってくるのだ。両側に余白を置くのか、そうしたら左右均等にするか、どちらかを広めに取るか。余白をどちらか片側だけにして、そこにコピーを入れるか、写真を小さく使ってぐるりに余白を作るか。
 煙草に火を点け、写真をじっくり見比べてみた。まずグラスにコーヒーが注がれているのはありきたり過ぎてつまらないから却下した。一番気に入ったのは、女の子がグラスに口をつけている写真だった。俯きかげんで閉じたように見える目を縁取る睫が長くて、無造作に伸ばしたゆるく波打つ髪の感じがよかった。
 写真の女の子はすべて同じ人物のようである。髪が長くて色白の、特に美人でもない娘だが、表情がとてもいい。あと二枚くらいは選ばなければならない。パジャマを着た女の子が横を向いて、缶を持った手を肩から下しか見えていない男性にまっすぐ伸ばしている写真も結構よかった。女の子が嬉しそうに笑って缶を頭に載せてる写真を見ていたら、指でわっかを作って目に当てた彼女のことを思い出した。

 ギャラリーへ行くと、嬉しそうに彼女が迎えてくれた。「おださん、いらっしゃい」と笑顔で云った。淡いグレーの七分袖のワンピースを着ている。彼女はハイヒールを履かないようだ。三度見て三度ともぺたんこの靴を履いている。この間来た時も客はひとりも居なかったが、この日も誰も居なかった。ぼくの貸し切り状態である。
 彼女は壁に飾られたポストカードを一枚いちまいゆっくり見ているぼくに、ずっとついてきた。千切った綿のような雲が浮かんだ、青空の写真が使われたカードに目を惹かれた。カードを横に使って、濃いめの黄色の文字で、「何か足りなくなったら、歩いていこう。」というコピーが、小さめの文字で二段に分けて左上に記されている。
 何処の企業のものだろう、と思って説明の札を読んでみた。『アース・ワークス』という会社だった。
 メモに「なんの会社?」と書くと、首から下げた携帯電話で(今日の服にはポケットがなかったのだろう)環境保護団体、と答えた。ぼくが納得したように頷くのを見て、「きにいったの」と彼女は云った。頷くと、「これ、かいどうさんのさくひん」と云った。札を見たが、デザインは広告代理店らしき会社の名前しか書かれていない。
 彼はこの会社に勤務していたのだろう。制作年は今から十八年前である。ということは、カイドウヒビキというひとは十八年前にはまだ生きていた訳だ。
「彼はいつ亡くなったの?」
 彼女にそう訊ねると、彼女は札の制作年を指差して、このさんねんご、と答えた。「夕子さんの後を追って自殺しちゃったの」と書かれた携帯電話をぼくに見せた。事故死じゃなかったのかと訊いたら、「電車に飛び込んで自殺したんだけど、遺書がなかったから警察は事故死っていうことにしたの」と答えた。随分悲惨な話である。
 ホームページの写真の中に、その夕子さんという女性がタンクトップの胸元を引き下げ、心臓の手術の跡を見せつけるようにしている写真があった。その中の彼女は、無表情だった。他の写真では口を手で押さえて笑っていたり、おどけていたり、猫に頬を寄せて微笑んでいたりして、表情豊かに写っている。
 撮影した人間と被写体となっている女性が、本当に心を許しあっている関係だというのが伝わってきた。それだけに、胸の疵を見せている写真は際立っている。彼女の顔は何も訴えていなかった。悲しいとか、辛いとか、撮影しているパートナーへの感情すら見えてこなかったのだ。
 カイドウヒビキはどんな気持ちでシャッターを切ったのだろう。写し出された光景は「死」そのものだった。キリマユウコは三十二才で死んでしまった。それはぼくの年と同じである。
 受附の代わりのひとが来て、ぼくはまた奥の部屋に通され、彼女はやはりコーヒーを淹れてくれた。
 ぼくはまだ、カイドウヒビキとキリマユウコのことを考えていた。ホームページのプロフィールに、「海の見える傾きかけた家に住んでいる」と書いてあった。そこで仕事をしていたのだろうか。
 彼女にそのことを訊いてみたら、「海の近くの小高い処に古い家があって、ふたりがドライブに行った時に見つけたの。所有者が判らなくて、そこの役場に問い合わせたらそこでも判らないと云われて、夕子さんが交渉してその家と土地を管理するという形で無料で住まわせてくれたんだって」という答えが返ってきた。それはいつ頃のことかと訊ねたら、ふたりが亡くなる五年くらい前とのことであった。
 デザインの仕事は田舎に移り住んでも続けていたそうだ。インターネットが繋がる環境であれば、ぼくらの仕事は何処に居ても出来る。
「彼らが亡くなった時、君は幾つだったの?」
 彼女はその質問に、片手の指を一本立て、もう片方の指でわっかを作り、じゅっさい、と答えた。君はいま二十五才? とメモに書くと、そこに「計算がはやい。小田さんはいくつ?」と書いた。32、とメモに書いた。
 メモに顔を近づけてそれを見ると、彼女は首を傾げてぼくの顔をじっと見た。「海堂さんはその頃、もっとおじさんくさかった」と書かれた携帯電話を此方に見せた。ぼくは笑って、それは君が小さかったからだよと伝えた。彼女はふーん、と納得のいかない顔をしていた。
 この日も、彼女はぼくを舗道に立って見送ってくれた。帰る前、「わたしは、鈴子。すずこってよんで」と云った。ぼくは笑って頷いた。呼んでくれと頼まれても、口に出してそう云える訳じゃないのに。
 彼女はどんな声をしているのだろう、と思った。今までひとがどんな声をしているかなんて気にしたことがない。音というものを聴いたことがないのだから、それがどんな風に感じられるのか想像がつかなかった。小さい音とか、大きい音というのはなんとなく想像がつくけれども、それ以外はよく判らないのだ。
 子供の頃、父が音がどういうものか教える為に、小太鼓を買ってきて、その上にビーズをばらまいて叩いてみせた。軽く叩くと色とりどりのガラスの粒が少し動く。強く叩くと跳ねるように動いた。
「これが音で、空気がこんな風に動いて伝わっていくんだよ」と、父は小さなボードに書いた。
 ぼくも太鼓を叩いてみた。ビーズがきらきら光って動くのがきれいで、何度も叩いた。音というのはきれいなものなのだと、その時思った。すずこの声はそんな風にきれいなのだろうか。

 広告のラフデザインを送ったら、だいたいこれでいいが、コピーの字をもう少し大きくして色を変えて慾しい、という返事が戻ってきた。写真は左側に寄せて、コピーは敢えて色をつけなかった余白に、黒のゴシック体で右側に縦書きで入れてある。酒類に関する注意書きは、写真の左下に白い文字で小さく入れた。
「コピーの字」ということは、注意書きはこのままでいいのだろう。では、コピーの字の色を考えなければならない。コピーの文句が短かったので一行で入れたものだから、文字が小さくなったのが気になってはいた。
 取り敢えず、コピーを区切って二行にしてみた。悪くない。文字の大きさも2ポイント上げてみた。あとは色だけである。コーヒーから連想される色といえば茶色系統だが、焦茶では遠目に見たら黒と変わらない。ただの茶色ではつまらない。
 マグカップのコーヒーを眺めて、ため息をついてしまった。灰皿を持ってソファーに腰掛け、コーヒー、ラム入りコーヒーと考えながら煙草に火を点けた。
 鈴子はギャラリーの展示が変わる度にメールを寄越した。オーナーの趣味なのか普通の絵画が展示されることはなかった。だいたいひとつの展覧会が一週間から十日で、短いのだと二、三日ということもある。
 会場に十五台のコンピューターが置かれ、デザイン性の高いホームページを公開するという展覧会があった。一台ごとにひとつのホームページが表示され、ネットにアップロードしていない状態で閲覧するという形式である。
 だから制作者がどんなソフトで作ったのかまで判る仕組みになっていた。勿論ロックが掛かっており、編集することは出来ない。その代わり見たひとが自由に感想書き込めるフォームが設置されていた。
 何故かカイドウヒビキの『くらしのヒビ』はなかった。何故展示されていないのかすずこに訊いてみた。
「オーナーが三ヶ月前に写真展をやったばかりだからって」と携帯電話をぼくに見せた。あれからもう三ヶ月経ったのか、と思った。缶コーヒーの広告は既に電車に張り出されている。文字の色はオレンジがかった茶色にした。
 この日はどういう訳か四、五人の客がおり、鈴子ともうひとりのスタッフが邪魔にならないようにさりげなく応対していた。
 目を惹いたのがひとつあった。濃い青の背景に白い文字でナナシと書かれ、三人の青年が壁に凭れかかっているモノクロームの写真が真ん中にあった。その下に「こんばんは」と小さい文字で書かれていた。そこをクリックすると次のページへいった。やはり背景は青で、文字は白く、「略歴」「活動内容」「歌詞集」「掲示板」「問い合わせ」と、今時珍しくすべて日本語である。
 メンバーは木下亮二(ギター、ボーカル)、牧田俊介(ベース)、江木澤閎介(ドラム)の三人だった。「高校時代、路上でゲリラライブを敢行。大学に入った夏の終わりにライブハウス『小坊主』で初ステージを踏む。観客は三人だった。以後、小坊主で活動中」と書かれていた。
 ぼくは当然、音楽など聴いたことがない。映画は見るが、字幕がついているものだけである。『歌詞集』を見てみると、題名が十くらい並んでいて、これもやはり日本語ばかりだった。外国語が嫌いなのだろうか。
 詩を書いているのは木下という青年だ。なんというか、純文学系でありながらシュールなところもある変わった詩だった。この青年はかなりのロマンチストなのだろう。青い背景に、白い紙を置いたような画面に書かれた歌詞を読んでそう思った。それとも音楽の歌詞というのはこういう感じのものなのだろうか。
 その詩を読んでいたら、鈴子がやってきた。「これ、きにいった?」と訊ねてきた。センスがいいね、と答えると、「このバンドのボーカルの子、知り合いなの。この子っていうか、彼女の方と友達なんだけど」と書いた携帯電話をぼくに見せた。
 どの子? と訊くと、写真があるトップページに戻した。彼女が指したのは右端で横を向き、煙草を持った手をこころもち上げている痩せた青年だった。髪が長くてひとつに結わえている。結わえきれない髪が頬に掛かっていた。
 この子は幾つなのかと訊いたら、にじゅーよんと彼女は云った。そして面白そうに笑って、「彼女はキヨセちゃんっていうんだけど、彼よりみっつ年上なのに敬語で話すの。今は一緒に暮らしてる」と書いて見せた。「彼のこと、尊敬してるんじゃないの」と伝えると、そうかもしれない、と云った。
 思い出したように笑って、「ふたりはすごく仲が良くて、木下君は自分で髪を切るんだけど、清世ちゃんの髪もついでに切ってあげてるの」と表示された画面を見せた。ほほえましいね、とメモに書くと彼女は笑って頷いた。
「おださんはほーむぺーじ、つくらないの」と、鈴子が訊いてきた。そんなことは考えてもみなかった。作った方がいいかな、と伝えると、彼女はこくこくと首を縦に動かし頷いた。「部屋の写真も入れるといいよ。すてきだから」と書いた携帯電話を見せた。
 彼女を二、三度部屋に招いたことがある。はじめて来た時、好きに見て廻らせたら「すごい、すごい」とはしゃいでいた。なにが? と訊ねると、「ざっしにのってるへやみたい」と云った。なんだか恐縮して仕舞った。彼女が褒めているのは、家具をデザインした柳孝一ではないか、と思ったからだ。
「部屋の写真なんか公開しないよ」と伝えると、「もったいない」と彼女は云った。
「らいぶにいってみる?」と鈴子が云った時には、少々戸惑った。そんな処へ行っても、ぼくは彼らの音楽を聴くことが出来ない。虚しくなるだけだと思った。行かないよ、と伝えると、彼女はちょっとがっかりした表情をした。
 音楽を聴きに行ったことなんてこれまで一度もなかったのに、ギャラリーの近くにあるから、と無理矢理「ナナシ」が出演する小坊主という変わった名のライブハウスに連れて行かれたのは、ホームページの展覧会から三週間くらい経った頃だった。
 思ったより狭い処で、カウンターバーがあった。会場には壁際に置かれた灰皿スタンド以外は何も置かれていない。それくらいぎっしりひとが来るということなのだろうか。
 早々と来た客は灰皿の周りで煙草を喫いながら、何やら楽しそうに喋っている。ぼくたちはカウンターのスツールに腰掛け、ウイスキーの水割りを飲んでいた。時計を見ると七時十五分前である。
 七時を廻った頃になると、もう会場は若者で犇めき合っていた。いつもこんなにひとが来るのかと鈴子に訊ねると、「此処の看板バンドだから」と答えた。客席の灯りが小さいものに切り替わり、辺りが暗くなった。
 ステージに先づドラムの青年が現れ、次にベースの子が出てきた。青いライトがぱっと点いて、痩せた背の高い青年がぶらぶらステージの中央へやってきた。ゆったりした白っぽい長袖のシャツを着て、細身の着古したジーパンを穿いている。写真の木下青年だ。長い髪は結わえていない。
 スタンドに置かれたギターを取ると、しゃがんで何かを弄っていた。立ち上がってマイクスタンドに向かうと彼にスポットライトが当たった。彼がひとこと何か云うと、観客は拍手したり手を振ったりしている。
 彼女が「こんばんはって云ったの」と書かれた携帯電話をぼくの前に翳した。そういえばホームページのトップ画面にも「こんばんは」と書かれていたのを思い出した。演奏がはじまると、皆突っ立ったまま聴いている。こういう処では踊ったり騒いだりするのかと思っていた。
 曲の間に何か観客に向かって話し掛ける訳でもなく、木下君は淡々と(アンコールも含めて)十曲くらい唄い、また何か云った。すると観客は揃って手を振っている。彼らがステージから去ると、ぱっと会場が明るくなった。
「最後になんていったの?」と鈴子に訊くと、「ありがとー、さよならっていつも云うの」と答えた。礼儀正しいんだね、と伝えると、彼女は笑っていた。そしたら小柄な女の子が此方へやって来て、鈴子に何か話し掛けた。髪は彼女と同じくらいの長さで、顎のラインで揃え、横分けにして黒いヘアピンで留めていた。服装は白いTシャツに紺色のカーディガン着て、ふわっとした黒いスカートを穿いている。
 この子が木下君の彼女なのかな、と思ったら、果たしてそうであった。
 キヨセという変わった名前のその娘は携帯電話を取り出し、ぎこちない手つきでなにやら入力し、此方に見せた。そこには「木下さんが会いたがっています」と表示されている。
 彼女に連れられ、カウンターの後ろを通って通路のような楽屋へ行った。木下青年は椅子に座って煙草を喫いながら、他のふたりと談笑していた。キヨセという女の子が彼の傍に行って話し掛けると、此方を向き慌てて煙草を揉み消した。
 ぼくらの傍まで来ると、お辞儀をした。少し姿勢が悪いのはキヨセちゃんの背が低いからだろうか。ジーパンのポケットから携帯電話を取り出して、「ライブはどうでしたか?」と訊いてきた。
「音は聴こえないけれど、こういう処に来たのははじめてだから面白かったよ」とメモに書いて見せた。彼はキヨセちゃんと顔を見合わせ、安心したように笑った。ホームページを見たけど、君が作ったのかと訊くと、照れ笑いをして頷いた。
「センスがいいね」と伝えたら、「ありがとうございます」と彼は云った。ふたりで何やら話し合い、「一緒に晩飯を食べに行きませんか」と木下君が伝えてきた。時計を見ると、十時半を廻っている。
 もう十一月なので、外は寒い。ライブハウスの近くの居酒屋へ四人で行った。鈴子の云う通り、ふたりはとても仲良さげである。木下君は背がぼくより若干低いだけで、キヨセちゃんは鈴子より十センチくらい低かった。
 彼は彼女に話し掛ける時、身をかがめて耳元で喋っていた。姿勢が悪くなる筈である。
 居酒屋なんかで食べるのは何年ぶりくらいだろうか。座敷席が空いており、そこへ通された。木下君はメニューを取って、ぼくに広げて渡し、すきなのをえらんでください、と云った。メニューには懐かしい品書きが並んでいる。蛸わさとか串上げとかじゃがバターとか。
 お通しを運んできた十八、九の女の子が注文を聞いていった。木下君はウーロンハイでキヨセちゃんと鈴子はカシスソーダを頼み、ぼくは熱燗の日本酒を頼んだ。
 木下君は面白い青年だった。まぶたの脂肪が薄い一重の切れ長の大きな目で、一見冷たそうに見えるのだが、真面目で剽軽な面もある人物である。これだったら人気があるのも頷ける。女の子にもてるだろうとメモに書いたら、「キヨセのことをみんな知ってるから」と答えた。ぼくが笑うと、キヨセちゃんは不思議そうな顔をしていた。
 ぼくが作る曲はどれも暗い感じなんですが、なんでか知らないけどウケちゃって、もう九年もやってるんですが、趣味の域を出てないんです、と携帯電話の液晶に書かれた文字を見せた。趣味でやっているのが一番いいよ、プロになると制約だらけでがんじがらめになる、と書いたら、社長もそう云っていました、と答えた。
 社長って? と訊ねたら、彼は東六区図書センターに勤務している立派な会社員で、社長というのはぼくでも噂で知っているアルビノの上条明良氏のことだった。キヨセちゃんもそこで働いているとのことである。一日中一緒でいいね、と伝えると、いいかげん飽きます、と答えた。どう見ても飽きているようには思えないので笑ってしまう。
「ぼくらのバンドは昔の曲のカバーをよく演るんですけど、今日はブルーハーツの『リンダリンダ』を唄いました。原曲からは懸け離れたアレンジなんですけど、元の歌詞にちょっと惹かれる箇所があるんです」という液晶画面を見せた。
 どんな歌詞なの、と訊ねたら、「有名なのはドブネズミみたいに美しくなりたい、っていうところなんですが、『愛じゃなくても 恋じゃなくても 君を離しはしない』ってところが凄いと思いました。なかなかそんな言葉は書けない。全体的にそんな感じで、ぼくは恥ずかしくて唄えないから、殆ど変えてしまったんですけど」と答えた。
 それはすごい言葉だと思った。愛でもなく恋でもない、その言葉からカイドウヒビキとキリマユウコの関係を思わせた。愛じゃない、恋でもない、友情でも馴れ合いでもない。ふたりがひとつになった、何にも変えられない感情。そんなものがこの世界にあるのだ。
 木下君とキヨセちゃんはライブのある日は「小坊主」が近い所為かいつも訊ねて来るし、ひとりの時もあれば鈴子と一緒の時もあった。木下君はいつもライブで観た時と同じような恰好をしており、キヨセちゃんはごくシンプルな女の子らしい服を着ている。
 ふたりはぼくの部屋にはじめて来た時、「うわー」と云っていた。鈴子の時と同じように好きなように見て廻らせたら、キヨセちゃんが「すごいです、うらやましいです」と云った。君たちはどんなとこに住んでるのか訊いたら、「東三区にある2Kの襤褸アパートです」と木下君が携帯電話で答えた。
 更に、「ぼくが散らかしまくるんで、彼女が後をついて片づけて廻っています」と、笑いながら液晶画面を此方に見せた。


 鈴子は半年も経つと、生活の拠点をぼくの部屋へ少しづつ移していった。ぼくの住んでいる処はギャラリーまでは自転車なら五、六分程度で着いてしまう。でも、利用されてる気はしなかった。
 少しづつ、部屋のあちこちに彼女のものが増えていった。しかしギャラリーに務めているだけあって、部屋の雰囲気を壊すようなものは持って来ない。納戸はすかすかの状態だったが、数少ないぼくの服を圧倒するくらいの洋服がずらずら並べられてゆく。どれもこれもシンプルで清楚なものである。
 クリップハンガーに吊るされた藤色ともピンク色ともつかない微妙な色のスカートをぼくに見せて、「これ、いちばんのおきにいり」と云った。裾がぎざぎざに細いレースで切り変わっており、生地の色と同じ色合いのスパンコールやビーズでさりげなく刺繍が施されていた。タグを見ると「rebecca taylor」とある。
 気に入ってるなら、もっと穿けばいいのに、と伝えたら、「もったいない、ふるぎなのにいちまえんいじょうした」と答える。それなら尚更値段分だけ穿かなきゃ、と書いたら「そうか」と納得したように云った。その後、そのスカートは特別な時には必ず穿くようになった。
 喩えば、いつもよりちょっと高いめのレストランに行く時とか。
 いつだったか、ひとりでやって来た木下君が、ぼくにギターを持たせて弦を押さえ、「こうやって、げんをなでるようにしたへゆびさきをおろしてください」と云って、見本を見せてくれた。真似して六本の弦を弾いてみたら、「いまのがEまいなーです」と彼は云った。
 固い弦が指先に当たる感触、弾いた後に幽かにぶれる様子が新鮮だった。まるで父が小太鼓にビーズをちりばめて叩いた時のように。それからも彼はぼくの仕事場のソファーに座ってギターを弾いていた。ちゃんとぼくに歌詞のノートファイルを渡して。
 一度いつもと違うギターを持ってきて、つま弾いていた。ふと顔を上げて、コンピューターの前の椅子に座っていたぼくを手招きして呼び寄せた。
「いつものはエレキギターで、アンプを通さないとまともに音が出ません。これはセミ・アコースティックでアンプにも繋げるし、そのままでもちゃんとした音が出ます」と携帯電話に書いて見せた。
 ぼくの手を取りギターの胴に当てて、何か弾きだした。中が空洞の木の板から、幽かな振動が伝わってくる。「ゆっくりしたテンポなんだね」と伝えると、「怠くてゆるくて暗い曲しか思いつかないんです」と、笑って彼は答えた。
 ぼくの頭を指差して、「いい感じのくせっ毛ですね」と書いて見せた。「くせ毛は雨が降ったりするともじゃもじゃになって大変だよ」と伝えると、「ぼくはまっすぐなかみなので、そういうのにあこがれたときがありました」と、ゆっくり喋った。
 キヨセちゃんがひとりで来た時に、『ナナシ』の曲はどんな感じなのかと訊いてみた。
 彼女はぼくと同じように携帯電話のボタンが早く押せないらしく、メモ用紙を引き寄せ「新月の夜空みたいです」と書いた。暗いんだね、と書いたら、「でも、小さな星がまたたいているんです」と書いた。木下君に負けないくらい、彼女も詩人だった。
 彼はどんなイメージなのかと書いたら、「薄曇りの空みたいです。雲が太陽にかかって暗くなったかと思うと、また太陽が顔を出して陽が射してくるんです」と答えた。彼女は真剣に書いていたが、それをダイニングテーブルを挟んだ反対側から見ていたら、何故か可笑しくなってきた。
 別に彼らを面白がっていた訳ではない。可愛らしくて、微笑ましかったのだ。時々、晴れたり曇ったりする彼氏と、いつもおとなしくてちょっと頑固な彼女。羨ましいくらい仲良くしているふたり。才能があるのに、敢えてアマチュアにこだわる木下君と、音楽のことなどぼくと同じくらい知らないキヨセちゃん。東三区の2Kのアパートで身を寄せ合って暮らしているふたり。
 ぼくにもそんな時代があっただろうか。まだ三十三才じゃないか、と自分を奮い立たせた。

 あまりあちこち出歩かなかったぼくを、鈴子はいろんな処へ連れ出した。よく行ったのは植物園と水族館である。こんな処は子供の時に行ったきり訪れていなかった。それまでつき合った女性は遠出をしたがったり、ショッピングにしか興味がなかった。それはそれで楽しかったけれど。
 植物園の温室のむっとするような湿った空気の中に植えられた奇妙な植物を見ていると、何処か違う世界に迷い込んだ気がした。覆い被さるような大きな濃い緑色の葉から、強い生命力を感じた。水族館の大きな水槽の中の様々な形の魚の動きを見ていると飽きなかった。動く生き物がこんなに美しく鮮やかな色をしているのが不思議に思われた。
 或る時、水族館の売店で瓶に詰められた赤い魚を買った。瓶はコルクで封じてあり、彼女が「このままで飼って大丈夫なんですか」と、店員に訊ねると、そのままでも一応大丈夫ですが、出来ればちゃんとした水槽で飼った方が長生きします、とのことである。おまけでくれた餌とともに部屋に帰り、深めのガラスボウルに移してやった。ダイニングの壁際にある新しく買ったベンチチェストの上にボウルを置くと、心なしか、赤い魚は機嫌良く泳いでいるように見えた。
 長い尾ひれが優雅にひらめくこの魚は、闘争本能が恐ろしく強く、同一種を一緒に飼うと喰いつき合い、相手を殺してしまうのだそうだ。
 仕事にゆき詰まり、登録している映画配信サイトを見てみた。恰度魚を飼いだしたので、『ランブル・フィッシュ』というのを選択した。
 モノクロームの映画で、時々赤い色が差し込まれる。それを見て、カイドウビビキの写真を思い出した。
 不良を気取っている青年と、札つきのワルだった兄の話である。刑務所にまでぶち込まれ、あちこちをバイクで放浪していた兄を青年は尊敬していた。
 その兄が小さな街に戻ってきた。彼は色盲である。
「もうおれは、昔のような悪さはしない」と云って弟の期待を裏切り、屢々ペットショップに立ち寄った。或る晩その兄は、「なんにも悪いことをしていないのに、こんな囲いの中に閉じ込められて」と、ペットショップの裏口を無理矢理こじ開け、猿やら犬やら猫やらを檻から出してやる。
 そして、ぼくたちが飼っている闘魚が入った水槽を肩に担いで近くの川に放した。警報装置が作動して駆けつけた警官は、彼の前歴を知っていたので、迷わず発砲する。弟の目の前で彼は射殺された。彼の目に映っていたのは、赤くひらめく小さな魚だけだったのに。虚しく切ない気分が残る映画だった。ぼくは仕事場から出て、ダイニングに置いてあるガラスボウルを覗き込んだ。いつもと変わらず赤い魚はひらひらと泳いでいる。
 おまえはそこで満足なのか? もっと広い世界が見たいんじゃないのか? と心の中で語りかけた。魚は長い尾ひれをゆらめかせて、水面に口先を出す。何か云いたいのだろうか。何か訴えたくても喋れない赤い魚は、まるでぼくのようだった。
 鈴子は赤い魚のことを「ふー」と呼んでいた。「ふー、げんきだね」と話し掛けては餌をやっていた。ふたりで大事に世話をしていたのに、ふーは半年くらいで死んでしまった。
 或る朝、起きてキッチンでコーヒーを淹れてマグカップを持ったままガラスボウルを覗くと、ふーは腹を上にして浮かんでいた。
 ゆうべまで生きていて、いつものようにひらひら泳いでいたのに、こんなにあっけなく死んでしまうとは思わなかった。ぼんやり立ち尽くしていると、隣に鈴子がやってきた。ふー、ふー、と呼び掛けながらしゃがみ込んで泣いていた。アパートの近くにはふーを埋めるような場所がなかったので、大通りまで行き、街路樹の根元に埋めてやった。
「ふーはこの木の栄養になって、この木の一部になるのね」
 彼女は携帯電話に書き込んでぼくに見せた。そうだよ、とぼくはメモに書いて見せた。彼女はそのままギャラリーへ行った。ぼくは部屋に戻り、ふーの入っていたガラスボウルを流しで洗った。

 ぼくはこれまでと変わらず、デザインの仕事をしていた。つまらないものもあれば、たまにコピーと商品の説明とイメージだけ渡され、好きにデザインしていいと云われる時もあった。自分でも満足のいったデザインが採用されると、厭なこともたくさんあったが地道にやっていて良かったと思える。鈴子もギャラリーの仕事を続けていた。
 そんな風に、彼女と暮らしだしてから二年の月日が経っていった。
 これといって大きな事件もなければ、つまらなくて退屈することもない。チェストの上にはまたガラスボウルが置かれ、中でふーと同じ赤い魚が泳いでいた。はじめはふーの代わりに同じ魚を飼うのに抵抗があったが、水族館の売店で同じように、ガラス瓶に入れられ売られている赤い魚をどうしても慾しがる鈴子に負け、迎え入れることになったのだ。
 仕舞ってあったガラスボウルに魚を放すと、「ふー、おかえりなさい」と彼女は云っていた。弱い魚なのか、大抵半年くらいで死んでしまう。今飼っているのは、五代目のふーである。ボウルの底には微妙に色の違う、青いビー玉が沈んでいた。
 ギャラリーで再びカイドウヒビキの写真展が行われた。今度は猫の写真ばかり集めたものである。伸びをしたり、丸くなって眠っていたり、彼のパートナーが抱き上げたりしている写真が壁面を飾っていた。猫というのは仕草だけでも随分表情豊かな動物なのだな、と思う。
 いつものように鈴子は舗道まで出てぼくを見送ってくれた。少し歩いたところで、周囲の気配に不穏なものを感じた。行き交っていた車は止まり、道行くひとたちは、固まったようにギャラリーの方を恐怖の表情で見ている。そちらへ駆け出すひとや、携帯電話を取り出して何か忙しげに話しているひとも居た。
 何事かと思って振り返ると、赤い車がギャラリーに突っ込んでいた。慌てて戻ると、車の下から細い足が覗いている。
 鈴子だった。
 ぼくは、舗道に落ちていた彼女のぺたんこの黒い靴を拾い上げた。お気に入りの靴である。フランスのバレエシューズメーカーのもので、オードリー・ヘップバーンやブリジット・バルドーも愛用していたという、Lepettoというブランドの靴だ。靴のことばかりが頭の中で渦巻いて、何が起きたのかよく判らなかった。
 彼女は死んで仕舞った。赤い魚のようにいともあっさりと。
 鈴子の居なくなった部屋はがらんとしている。ぼくはカイドウヒビキのことを考えた。彼はこんな喪失感に耐えられなくなって、電車に飛び込んだのだろうか。
 彼はキリマユウコが死んでから、毎日自分の胸に彼女と同じような疵をつけていたという。そうして自分の中に彼女の存在を刻みつけようとしていたのだろうか。ぼくは鈴子の後を追って死のうなどとは思わなかった。そんなことをしても彼女は喜ばないだろうと思ったからだ。
 ふーは可愛がってくれた鈴子が死んだことなど知る由もなく、いつもと同じようにガラスボウルの中で長い尾をひらめかせて泳いでいる。魚だったらこんな思いもしないで済んだのかも知れない。おまえはいいな、と、ぼくは胸の裡で語りかけた。


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