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木綿のハンカチーフ考。

恋人よぼくは旅立つ
東へと向かう列車で
はなやいだ街で君への贈りもの
探す 探すつもりだ
いいえあなた 私は
欲しいものはないのよ
ただ都会の絵の具に
染まらないで帰って
染まらないで帰って

恋人よ半年が過ぎ
遭えないが泣かないでくれ
都会で流行りの指輪を贈るよ
君に君に似合うはずだ
いいえ 星のダイヤも
海に眠る真珠も
きっとあなたのキスほど
きらめくはずないもの
きらめくはずないもの

恋人よいまも素顔で
口紅もつけないままか
見間違うようなスーツ着たぼくの
写真 写真を見てくれ
いいえ 草にねころぶ
あなたが好きだったの
でも木枯らしのビル街
からだに気をつけてね
からだに気をつけてね

恋人よ君を忘れて
変わってくぼくを許して
毎日愉快に過ごす街角
ぼくはぼくは帰れない
あなた 最後のわがまま
贈り物をねだるわ
ねえ涙拭く木綿の
ハンカチーフください
ハンカチーフください

 わたしが子供の頃、爆発的にヒットした歌謡曲、太田裕美が唄った『木綿のハンカチーフ』。改めて調べてみると作詞が松本隆、作曲が筒美京平と謂う最強の布陣で、『およげ!たいやきくん』の有り得ないヒットがなければ、オリコンで一位を獲得した筈であった。
 女性の地位向上、つまりウーマンリブの思想が台頭したこの時代に、ただひたすら尽くし、上京した恋人に捨てられる女を描いたこの状況はどうであろう。何故こうもヒットしたのか。男性からすれば理想的な女性像かも知れない。しかし女の側からしたらどうなのか。
 都会に出て行った男を慕い続け、贅沢なことは望みません、ただあなたが平安であれば幸せなのです、とか思っているほっぺの赤い田舎娘。それにつけ込み、都会の生活にどっぷり浸かり、満喫し、それでも純粋無垢な田舎娘も捨てがたく、厚化粧の女に辟易しながら置いてきた彼女のすっぴんの顔を思い出す。
 クソ野郎としか思えまへんな。
 この男は恐らく田舎に残した彼女に、都会で手にしたものをひとつも贈ってはいないと思われる。指輪など無論、贈るどころか購入してすらいないであろう。浮かれた生活を撮った写真の一枚も、送っていない筈だ。
 健気な田舎の娘が、上京した恋人の心が都会に染まりまくり、自分のことを一顧だにしなくなったと悟って嘆き悲しみ、涙を拭く粗末なハンカチを送って下さいと頼んだところで、彼氏はきっと街の派手な暮らしに取り紛れ、田舎のダサい女の手紙などダイレクトメールと共にゴミ箱へ捨ててしまい、ハンカチーフなど買いもせず、それどころか思い出しもしなくなっている。
 考えれば考えるほど、悲惨な関係である。
 しかし、こう謂う男は現在でも掃いて捨てるほど居るし、こうした馬鹿な女も(こんな時代でも)山ほど居る。
 男にとってこんな女はウハウハなのだろうか。
 待つ女は重いと思われているが、この歌の中の女は、男にとって非常に都合のいい存在である。これが実際に存在するかどうかは、定かではない。

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