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キャット・フリーク。

 わたしは幼少の砌りより動物が好きで、毎週と謂っていいほど、動物園に行っていた。
 まるで動かない卵色と黒色の鰐、どでかい糞をぼたぼた落とす象、白と黒で気取ってすます、ボーイのようなペンギン……。
 何度見ても飽きなかった。
 爬虫類でも、鳥類でも、なんでも興味深く、面白かった。

 で、現在のわたしは、金魚を飼っている。

 内田百閒の『ノラや』を、改めてAmazonの古本で買った。
 猫を飼っているひとの本だったのだろう。歯形や爪痕が残っている。
 普通の本ならば、本を何より大切にするわたしである。ムカついて「ばかやろー」となるところだが、その歯形や爪痕が愛らしい。愛しい。売主の家へ行って、その猫に会いたくなった。
 猫を飼う、と謂うのは、犬を飼うのとはまったく違うことを、この本はわたしに教えてくれた。
「あなたは猫派? 犬派?」
 などと謂う下らない設問ではない。
 猫は従属物ではないのだ。
 自己主張は我が侭なお姫様並み、だらしなさは、まるでプータロー並み。
 暖かい場所があればそこへ陣取り、どんなに狭苦しくても思うところへ這入り込み、要求するものがあれば、にゃあにゃあ喚いて目的を達成する。
 然もプライドが高いので、失敗を見てはいけない。褒めて撫でてご機嫌を取らなければならないのだ。
 犬好きの人間は血統書やらに拘るが、猫好きの殆どの人間は、そこら辺をウロウロしている猫を手なづけて、猫は猫で、旨いもんを喰わせて貰えるウチを転々としている。そして、何処で可愛がれているなどとはおくびにも出さず、しれっと旨いもんを喰い、手のひらの肉球を舐めているのだ。
 これを愛さずにいらりょうか。
 (旧)我が家の拾い上げた姉妹猫はふたりだったので、あまり人間に甘えない。同族間で交流があれば、意思の疎通が出来ない野蛮人と交流する手間を掛ける筈もなかろう。
 そのような意志のもと、わたしは彼女らの下位と任ぜられ、便所の始末はもとより、彼女らでは手の施しようのない事柄、喩えば天井に届くほどの本棚の天辺まで来たけれど、どうやって降りたらいいか判んない。下を見ても、横を見ても、手掛かりがなくて、怖すぎ。
「ぎゃー! どうしよう。コワイよー。誰か、っていうか、いつもの彼奴。そこにおるやん、助けてよ。ぎゃあああああー!」
 と謂う具合であった。助けたわたしは、恐怖に駆られたお猫様に爪を揮われ、血だらけになるのだ。そこらあたりは、愛おしくない。猫の爪は半端なく、多大なダメージを相手に与えるのだ。
 まあ、そんなふうに我が儘放題で、可愛らしく甘えないお姫様たちは、片方が喉や腹などをごそごそされていい思いをしていると、もう一方は面白くないらしい。
 差別だ。
 と、思うらしいのだ。
 姉妹と謂っても性格は可成り違う。
 片方は、強引にひとの愛情を我が方へ向けるようにし、もう一方は、それを見て、「もういいや、取られちゃったもんはしょうがない」とばかりに、(旧)わたしの部屋へ去ってゆく。
 斯うなると、どれだけ彼女の気を惹こうとも、すねまくって、寄ってこない。ここらあたりも、犬とは違う。犬は飽くまで己れの主張を通し、近所迷惑なまでに吠えまくる。止めることは出来ない。
 なぜなら彼らは、人間と長く共に居すぎた為、仲間だと思い込んでいるのだ。よくある話で、飼い犬はその家の主人をボスと思い、妻を二位、その子らは
順々に下位になり、ほぼ同等の感覚で対応する。
 猫は人間に対し、ボスもへったくれもない。敵か味方か、それだけで判断しているように思われる。
 自分を保護し、甘やかしてくれる人間には、驚くほど無防備になる。今、うちに居る猫はその生い立ちから、人間にも動物にも不信感があり、己れが思うように行動することを阻害されると、猫でありながら「脱兎の如く」狭い部屋を駆け巡る。
 わざわざ「己れが思うように」と書いたのは、本人(当該猫)の赴くままになら、いくらでも寄ってくるし、煩瑣いほど鳴き散らす。
 最初は生後八ヶ月なのに三ヶ月ほどの体格で、ひとにも慣れず、抱っこサービスでは暴れまくり、それが故に買い手がなく、どんどんダンピングされていた(らしい)。可哀想に、と思ったのが運の尽き。
 おかげで、めっさ我が儘なお嬢様を迎え入れてしまったのだ。連れて帰って三日間は、どこへやら潜って姿も見せなかった。やっと傍まで来たかと思えば、ちょっとばかし手を差し伸べただけで全身の毛を逆立て、手を振りかぶり、こちらの差し出した手に、全治一週間の爪痕を残した。
 ペット屋の環境で人間不信になった(らしい)猫は、今やわたしが寝床に這入ると、間を置いてではあるが、わたしの顔のあたりをすんすんし、髭が痒いと抗議しようと如何ともせず、寒い場合は、横を向いていればその方向の布団の裡へ這入りたがり、仰向けに寝ていれば胸の上に寝そべり、俯せになっておれば背中の上で香箱を作る。
 わたしは猫の座布団であり、寝床なのだ。踏みつけられ、尻を鼻先へ押しつけられる。それでもわたしは、猫のするままにしている。
 ああ、傅くことの快感よ。
 猫はすべからく王であり、女王であるのだ。すべてを睥睨しても許される獣なのだ。謂わば、神である。
 でも、本当にわたしが飼いたいのは、ゾウガメなのであった。

(2015,04,26)

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