見出し画像

貧困日記、肆。

 こんなものを書いているのだから、当然わたしは裕福ではない。ZOZOの前澤某氏のように他人へ配る金があったら、どれだけ幸せだろう。
 とは思わない。
 有り余るほどの金を持っていたとしても、相変わらず同じことで苦しみ、悩んでいるだろう。仕方がない。そういう人種なのだから。
 発達障碍や躁鬱病の人間にとって、金銭はあまり重要ではない。少なくともわたしはそうだ。なければないで、不都合なく暮らしている。現在、住まうアパートは家賃が安いが故に、以前住んでいたところより格段に古く汚い。
 古いのは気にならないが、汚らしいのは参る。共益費を月に四千円も払っているのに、通路がもう、汚い汚い。三ヶ月前に死んでいたゴキブリが朽ちもせず、掃除もされず、数匹ひっくり返っている。
 同じくらい老朽化したアパートに居住したことはあるけれども、共益空間がこれほど汚れている物件はなかった。まあ、比較対象は二件なのだが、築年数はほぼ同じである。

 日々の暮らしは実に単調だ。
 わたしは数年に及ぶ過剰なストレスのおかげで、二、三時間のづつの睡眠しか取れなくなった為に、まあ云えば、常に寝不足の状態である。躁状態、鬱状態に関わらず、目覚める時間は早い。明け方というより、未明と云った方がいいような時間に目覚める。
 躁状態の時はそのまま起床し、集合住宅でなければ傍を憚らず好きなことをしていた。しかし、壁一枚隔てた向こうで赤の他人が熟睡している時間帯に、どたばたと活動するほど非常識ではない。
 が、思い立ったら、何か思いついたら、すぐさま行動に移したい。それが出来ないと落ち着かないのだ。落ち着かないので、二度寝など出来る筈もない。枕もとの本を取り上げても数行読んで栞を挟み、やりたいことの手順を頭の中で構築し、何故、今これが出来ないのかと苛々する。
 寝る前にこの状態に陥ったならば、気が済むまでやり通し、興奮状態で四十八時間くらい不眠不休で何か彼にかしている。下手をすると三日間くらい起きて活動することもある。
 他人からするといちいち病的な行動かも知れないが、此方は子供の頃からこんな風なので、普通とは思わぬが、しょうがないとは感じている。特に現在は迷惑を掛ける同居人もないので、夜中でなければ好きなようにしている。
 自由でいいと思われるかも知れないが、この他人を慮った「時間的制約」が、わたしには殊の外ストレスなのだ。
 もう、兎に角、やりたいと思った時にやりたいことが出来ないと、内部爆発しそうになる。噴火口の下で、マグマが煮えたぎっているようなのだ。ドカンと行きたい。
 肉体的にも糞詰まりなのに、精神的にも糞詰まりだ。しんどい。

 最近、色々考えて、自分は発達障碍が主なのか、二次障碍の躁鬱病の方が重いのか、よく判らなくなってきた。どちらかというと躁鬱病の方が発覚して長いので、馴染みがあるとも云える。
 馴染んでしまうのは良くなかろうが、馴染んだ方が本人としては楽ではある。発達障碍も躁鬱病も、本人は当然、自殺(未遂)を繰り返すほど苦しいが、身近に居る人間も苦労が絶えないのだ。
 それが判っているならどうにかしろと思うだろうが、それは手足が欠けた人間に生やせと云うようなものだ。それくらいの欠如だと云うことを判って慾しい。

画像1


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?