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一緒に映画を

 冬ももう終わりを告げる頃、勤務先の東六区図書センターにひとりの青年がやって来た。いつも同僚の木下亮二と親しげに話している、影郎という変わった名前の子だった。木下君に依ると、遊び廻ってばかりいて、しょっちゅう仆れる傍迷惑な奴だということだが、小柄で可愛らしい顔をして、おとなしそうに見える。
 きょろきょろして木下君を探しているようだったので声を掛けた。
「木下君を捜してるの? 彼は今日、本社に行ってるよ」
「そうなんですか、ありがとうございます」
「何か借りてく?」
「んー、そのつもりはなかったけど……。借りていこうかな」
「音楽?」
「映画の方がいいです」
「どんなのがいい?」
「洋画ばっか観るから、たまには日本映画がいいかな」
 コンピューターのあるブースへ連れて行き、良さそうなのを幾つかピックアップしたら、面白いのがいいと云うので、『リンダリンダリンダ』と『図鑑に載ってない虫』を紹介すると、『リンダリンダ』って、ブルー・ハーツの歌ですか? と訊いてきた。
「そう。音楽詳しいの?」
「詳しいっていうか、バンドやってたから」
「そうなんだ。だから木下君と親しいんだね」
「……ソウムラってどんな字、書くんですか」
「草に村。よく、くさむらって間違われるんだけど」
「下の名前は?」
「紘」
「コウ?」
「糸偏に広いって書く」
 それから、彼はぼくのことを紘君と呼んでよく話し掛けてくるようになった。ぼくより三つ下で木下君と同じ年だったが、子供のように無邪気で、もっと下に思える。さほど映画に興味がある風ではなかったが、ぼくが映画の話をするとじっと耳を傾け、時々質問を挟んだ。
「『リンダリンダリンダ』に出てきた韓国人留学生の子が可愛かった」
「ああ、ペ・ドゥナ。彼女、可愛いよね。でもあの映画の時、二十代半ばだったんじゃないかなあ」
「そうなんだ、高校生にしか見えなかった」
「影郎君もそれくらいにしか見えない」
「馬鹿っぽいから?」
「あはは、そんなこと云ってないよ」
「リョウ君にいっつも云われるから」
「木下君は口が悪いからねえ。あの映画の音楽はジェームス・イハってひとがやってるんだけど、知ってる?」
「知ってる、スマッシング・パンプキンズに居たひと」
「さすがバンドやってただけあるね」
「スマパンはリョウ君の方が詳しいんじゃないかな。オルタナ系だから」
「ぼくは音楽、そんなに詳しくないな。仕事で必要な程度の知識しかない」
「おれも詳しくないよ、普通に聴いてるだけだから」
 親しくなるとぼくが休みの日などはアパートの部屋へ来て、一緒に映画を観たりするようになった。そんな時は、彼が食事を作ってくれる。吃驚するほど上手だった。訊いてみると子供の頃から料理が好きで、家族の食事をよく作っていたという。
「凄いねえ」
「凄くないよ、こんなの誰でも作れるもん」
「作れないよ。ぼく料理、全然だめだから」
「調理器具あるじゃない」
「あれはひとり暮らしする時に母親が寄越しただけで、殆ど使ってないよ」
「もしかして調味料とか賞味期限切れてた?」
「どうだろ、判らないな」
「痛んだりしないからいいか」
「映画借りてきたけど観る?」
「どんなの?」
「ホラー映画で『シャイニング』っていうの」
「恐いの?」
「スプラッタ・ホラーじゃないからそんなに恐くないと思うけど。恐いの嫌い?」
「ちょっと苦手」
「大丈夫だと思うよ」

「この夫婦、ふたりとも凄い顔してるね」
「ジャック・ニコルソンはね。でも私生活では常識的なひとだったらしいよ。シェリー・デュバルは、まあ、変な顔かな」
「ふたりとも気が狂ってるみたいな顔してる」
「あはは。この映画ではそこが不味くて、原作者からキャスティング・ミスだって云われたみたい」
「誰が書いたの?」
「スティーブン・キングってひと。アメリカのモダン・ホラーを書く作家で、よく映画化されてる。『キャリー』とか『スタンド・バイ・ミー』とか」
「『スタンド・バイ・ミー』は、リョウ君に馬鹿でも感動出来る映画だって勧められて観た。ホラーじゃなかったよ」
「あれはね。彼の作品は殆どB級映画だけど」
「これは?」
「これはスタンリー・キューブリックっていうアメリカの巨匠が作った映画だから、名作だって云われてる」
「ホラーなのに」
「ホラー映画でもいいものはたくさんあるよ」
「冬の山荘の管理人って、なんか良さそう」
「退屈なんじゃないかなあ」
「そういうの、割と平気」
「そうなんだ」
「家でなんかする方が好きだから」
「ひとと一緒に居るのが好きそうなのに」
「好きだけど、ひとりで居るのも好き」
「へえ、ぼくは苦手だな。趣味とかないから」
「映画観るのは趣味じゃないの?」
「趣味のうちに入らないんじゃないかなあ」
「時間潰せるじゃない」
「だから好きなのかも知れない」
「こんなバー、いいな」
「こういう処で飲みたいの?」
「お酒あんま飲めないけど」
「飲んでなくても仆れちゃうからね。こないだ吃驚した」
「電車だったもんね」
「割とすぐ回復するんだね」
「慣れてるからかなあ」
「お医者さんに行ってるの?」
「うん、月に一度だけど。血が薄いんだって。だから献血とか出来ない」
「大怪我出来ないね」
「左人志にバイク乗せて貰って落っこちたことがある」
「大丈夫だったの」
「鎖骨折って頭五針縫って、左腕は複雑骨折だった」
「凄い怪我じゃない」
「三ヶ月くらい入院したかな。暫く左手が思うように動かせなかった」
「今はいいの?」
「後遺症はないよ」
「よかったねえ」
「なんか家族全員おかしいね、子供は超能力者だし。うわ、気持ち悪い」
「これは気持ち悪いねえ」
「腐った女のひと見ても平気にしてるなんて、この子やっぱ変」
「そうだね」
「慥かに巨匠の作品だけあって芸術的かな」
「色彩とかいいもんね」
「うん。でも、いいもの食べてないような……」
「アメリカってこんな感じなんじゃない?」
「ヨーロッパ映画観るとおいしそうな食事してるのが多いんだけどな」
「特にイタリア映画はね。マルコ・フェレーリの『最後の晩餐』は凄かったけど」
「どんなの?」
「グルメの男四人が死ぬまで御馳走を食べ続けるの」
「死ぬまで食べ続けることなんて出来るのかなあ」
「映画だからね。でも中世の貴族なんか、たくさん食べる為に吐きながら食事したらしいよ」
「聞いただけで気持ち悪くなってくる」
「凄い話だよね」
「料理を作る側からしたら酷い話だと思うけど」
「慥かに」
「ああ、黒人のひと殺されちゃうんだ。唯一まともだったのに」
「お母さんも普通じゃない」
「顔が異常だもん」
「嫌うねえ」
「この顔はないよ」
「ちょっと目が大き過ぎるよね」
「全体の雰囲気も病気っぽい」
「このシーン、無声映画の『散りゆく花』とおんなじだ」
「パクリかな?」
「オマージュじゃない?」
「リョウ君がオマージュは日本語にするとパクリのことだって云ってた」
「まあ平たく云えばそうだけど」

「これ美味しいね」
「アボカドは夏バテに効くよ」
「へえ、そうなんだ」
「精力がつくんだって。大蒜も」
「無駄につかなくていいけど」
「女の子とつき合ってないの?」
「学生の頃はつき合ってた子が居たけど」
「今は?」
「居ない」
「だから休みの日、おれにつき合ってくれるんだ」
「そう」
「誰か紹介してあげようか」
「いいよ」
「なんで?」
「影郎の友達だと変な子のような気がする」
「そんなことないよ。どんなタイプが好みなの」
「うーん。可愛らしくておとなしそうな感じの……」
「不細工で喧しいのが好きなひとはあんまり居ないよ」
「そりゃそうだけど、まあ普通に」
「知り合いに可愛い子はいっぱい居るけど、みんな活発だなあ」
「活発なのはいいよ、オタクみたいなのは嫌いだから」
「今度紹介したげる。何人がいい?」
「……ひとりでいい」

アボカドと車海老のパスタ
 アボカドはサイコロ状に切る。
 海老は殻を剥いて背腸を楊枝などで取り除き流水で洗い、塩をして暫く置く。
 沸騰したお湯に海老を入れ、赤くなったら笊にあける。
 フライパンにオリーブオイルを引き、大蒜のみじん切りと赤唐辛子を炒める。
 香りが出たら海老とアボカドを入れ、焦げ目がつかない程度に炒める。
 茹でたリングイネに海老とアボカドを載せ、檸檬汁を少々振りかける。


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