見出し画像

鱗姫

 ぼくの傍にはいつも鱗姫が居る。
 家に居る時は、江戸風の金魚鉢の中で、うとうとと微睡んでいる。出掛ける時には、シャツの胸ポケットの中にもぐり込む。彼女は、そこから観る外界の景色が、殊の外好きなようだった。
 小さな鮒くらいの鱗姫。
 青白い肌で、首半分下からは、鱗で覆われている。唇だけ、ぽっちりと淡い紅色をしていた。
 この生きものは、死んだ旧友から譲り受けた。
 具合が悪いと聞いて、彼の下宿を久し振りに訊ねた時のことである。彼の容体は思ったより悪く、荒紙のような顔色と肌をして、「やあ」と力なく上げた手は、枯れた木の枝かと思えるほどであった。
 そして彼は、すがるように云った。
「行島、おれはもう永くない。重い病いに冒されている。医者も見放した。だから、これをみてやってくれ。おれにとって大切なモノはこれだけだ。おれが死んだ後、これが寄る辺なく干涸びてゆくと思うと、死ぬに死に切れない」
 ——頼めるのは、行島、おまえだけだ。
 彼が指差した小さな水槽の中には、奇妙な魚が這入っていた。よくよく見ると、何やらお伽噺に出て来る人魚のように見える。
「これは、なんだ?」
 思わずわたしは彼に訊ねた。彼は疲れたのか、気力が果てたのか、何も云わなかった。その面持ちは、透明と謂うよりは薄く曇った窓ガラスのようで、思うように向こうが見えず、鬱々した気持ちばかりが募っている。そこには死の気配しか漂わず、わたしはそれを払い退けたいと、目を逸らしていた。
 青白い顔色をした友人が向ける視線の向こうには、古くさい江戸風の金魚鉢の中で、踞るように水草の中に隠れている。彼のガラス玉のような瞳は、煮詰めた砂糖のようにとろりと取り留めもなく、甘くて、それでいて空虚で、要するにそれは、死に「トリツカレタ」情熱であった。
 彼が指示した「それ」は、所謂「人魚」である。下半身が魚で、上半身は人間の女体である。丈は三寸ほどで、とても小さい。
 ——これは、作りものか? と、わたしは思わず彼に訊ねた。
「いや、作りものじゃあ無い。ある人物から譲り受けたのだ。これはひとりでは生きてゆけない。だから君に頼むのだ。なに、育て方は簡単だ……」
 彼はその生きものを、「鱗姫」と称した。鱗がある小さな女性(にょしょう)であるから、それは間違わぬ名称かも知れないけれども、如何にもお伽噺めいて、いや、目の前にある水鉢の生きものが、そもそも現実離れしており、これをどう解釈していいものやら、わたしには判断がつかなかった。
 昔々の話ではなく、友人の、吸い飲みやら薬の袋だのが置かれた現実的極まりない、狭くて乱雑な部屋に延べられた床の脇に置かれた水槽の中に居る、奇妙な生きもの。それを託されようとしている。犬や猫でも躊躇するところである。ましてや、よく判らない、現実とも思われない生きものなのだ。
 それでも、彼から幻想的な人魚の育て方を教えられ、水鉢ごと風呂敷に包んで家に持って帰った。
 致し方なかったのだ。彼は明日にでも死にそうな様相であったし、金魚鉢の生きものくらいを引き受けないようでは、ひとでなしとしか思われない。しかしわたしは、まるで骨壺でも受け渡されたような気がして、居心地が悪かった。
 それから三日後に彼は病院に収容され、ひと月も経たずに死んで仕舞った。
 そしてわたしの許に、小さな人魚が遺された。彼から云われた通り、一日に三度、赤身の刺身を細かく切って与えた。
 わたしの生活は、それまで実に自堕落なもので、午もかなり過ぎた時に起き、寝るのは明け方、と謂う、昼夜逆転しているような生活を送っていたのだが、生きものを飼っているとそうはいかない。しっかり朝には起き、人魚と同じく三食飯を食べるようになった。
 わたしは仕事柄、そう動き廻る訳ではないので、やたらと腹が減る訳でもない。しかも彼女が食べる量は、本当に、僅かなのである。それっぱかりの刺身を売ってくれる筈もなく、日々の出費は嵩んだ。三食、刺身ばかりと謂うのは、些かうんざりするものがあった。あれは、たまに食べるからこそ旨く感じるのだ。
 わたしは家の裡で済ませられる仕事を生業としていたので、たまに外へ出る時には心配なので、鱗姫を胸ポケットに入れていった。鱗姫は常に水に浸かってはならない訳ではないらしく、両生類のように乾燥した処でも平気なようである。念の為、水の入った水筒と手拭いを持ち歩いた。
 鱗姫は楽しかったり、満足した時には、
「きゅう、きゅう」
 と、嬉しそうに啼く。怒っていたり不満足だったしした時は、少し黄色い、
「ぎゃあぎゃあ」
 と、如何にも苛立った風に鳴き叫ぶ。
 甘えたい時、楽しい時、満足した時、不満な時。慣れてくると、その声が何を要求しているのか判るようになってきた。
 外に連れ出すと、胸ポケットから顔を出して、啼き声を上げる。実に嬉しそうにしている。きっと、見慣れない景色が面白いのだろう。

 水鉢の中に居る人魚は、光沢のある青紫の鱗をひらめかせ、くるりと反転して、水草の陰で午寝をする。飯を喰う時以外は殆どそうしていて、手間が掛からない。腹が減ると、水面に顔を出して「きゅう、きゅう」と啼く。
 餌が刺身とは謂っても、安いもので満足してくれるから助かる。しかし刺身だけのおかずでは、わたしの方がうまくいかない。白飯と刺身では、何うにも旨くないのだ。そこで、わたしは鱗姫の為の僅かな部分は生の侭にして、残りを漬けにすることを編み出した。
 朝、起きたら、先ず、鱗姫の分を切り取って置き、残りを出汁醤油に漬け込む。朝と午は刺身の漬けで飯を喰う。晩飯はその侭で、安焼酎のアテにして食べる。毎日毎日、魚ばかりではこちらとしてもうんざりしてくるが、家計が贅沢を赦してくれない。ひとに云わせれば、「毎日刺身なんて、なんて贅沢な」と思われるだろうが、贅沢なものを毎日喰ってみれば、うんざりすることが判るだろう。
 しかし、買ってくるのは切り落としの屑のようなモノなものなので、とても贅沢とは云えない。ひとりで暮らしていた時とくらべても、食費はたいして変わらなかった。どちらかと謂うと、インスタント食品ばかり食べていた時より、食費は減った。健康状態も良くなったような気がする。

     +

 鱗姫の食が細くなってきた。大好きだった鮪の刺身を口許に差し出しても、顔を背けるようになった。
 わたしは思案して、猫の缶詰を買ってきた。
 缶の蓋を開けると、ペースト状のものが詰まっていると思いきや、ツナ缶のフレークより細かい肌色のモノだった。百円屋で買った耳かきで、それを掬って彼女の口許に差し出してみた。ふんふんと匂いを嗅いで、鱗姫はキャットフードを食べた。もっと、と謂う仕草をするので、もう一杯食べさせた。結局、鱗姫は猫缶を耳かき五杯分を平らげた。
 わたしは興味がなかったのでまったく知らなかったが、猫缶の種類は随分たくさんあった。高いものなど、人間が食べてもいいんじゃなかろうか、と謂うようなものがあった。
 しかし、それも、その場凌ぎに過ぎなかった。
 鱗姫はまたモノを食べなくなり、わたしはすっかり困り果てた。人魚の買い方などと謂う本など売っていないし、インターネットで調べても答えは見つからなかった。鱗姫は水槽の底に力なく踞り、時々水面に顔を出して、
「きゅうきゅう」
 と啼くばかりである。
 或る日、晩飯にレバニラ炒めを作ろうとした。近所のスーパーマーケットに新鮮そうなレバーがあったからだ。俎板にラップを敷いて(血や生臭みをこれで遮断するのだ)レバーを薄切りにしていた時、これなら食べるかも知れない、と思いついた。小指の先程に切った不気味に赤いレバーを、鱗姫に与えてみた。
 猫缶の時とは違って、鱗姫はすうっと水面に浮き上がってきたかと思うと、箸先の肉片を手で攫み取り、貪るようにそれを食べた。その仕草は、これを待っていたのだと謂った感じがした。
 ちいさな欠片では満足出来なかったらしく、催促するように「きゅうきゅう」と啼いた。もう一切れを与えると、やはりぺろりと平らげ、満足げに水槽の中をくるりと廻ってみせた。

     +

 小さなアパートの一室。
 まるで磨き上げたようにまっしろな骸骨が一体、横たわっていた。
 不思議なことに、頭髪だけは、恐らく生きていた時のままに黒々と整ったままであった。青く濁った金魚鉢がひとつ、窓際にある本棚に置かれていたが、裡には水草ひとつ無かった。

画像1


2008,05.

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?