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通夜

「日本酒なんか供えんなよ」
「だってお神酒だから……」
「爺さんウオッカが好きだったから、ストリチナヤでも注いどけって」
「まあ、お酒に変わりはないからいいか」
「これもさあ、榊じゃなくてピースでも置いとけば」
「神主さんに落語を聞かせろとか云うんじゃないでしょうね」
「そんなことは云わないけど……。噺家にお経唱えて貰やいいんじゃね?」
「あんたほんとにお爺さんの悪影響、受けてるわね。神道だからお経なんか唱えないわよ」
「そうか。しかしピース・マイルドってのがいかにも爺さんらしいなあ。ついでに餅もやめて、冷や奴と秋刀魚に大根おろし山盛り乗っけて供えといたら」
「……家ん中のことだから何やったって苦情は出ないけど、明日の葬儀場ではそうはいかないわよ」
「判ってるよ」
「そこの襖、取っ払っちゃって。他のひとたちももうじき来るだろうから」
「この安くせえばらばらの卓袱台はなんだよ」
「ウチの座卓だけじゃ間に合わないから、近所に頼んで持ってきて貰ったのよ」
「あ、そう」
「大人たちにつき合って一晩中起きてる必要ないからね」
「眠くなったらちゃんと寝るよ」
「ああ、夏代、みんなのお酒足りてる? お父さん、辛気くさいの嫌いだったから、しんみりする必要ないってちゃんと云っといてよ」
——そんなこと云わなくても、みんな判ってるわよ。
「春枝姉さんはまだ?」
——治之君がバイトで飛び廻っててなかなか捕まらないし、田上さんとも連絡が取れないらしくて……。こっちに来るのは十一時過ぎになるって」
「結婚もしてない男なんかどうでもいいじゃないの。下の子たちも姉さんと一緒に来るの?」
——庸介君と雪絵ちゃんは電車でこっちに向かってるって」
「長女がこれだからウチは……。お母さんはどうしてるの」
——料理でてんてこ舞いしてるわよ。普段、ふたり分しか作ってなかったんだから。
「エシマのおじさん、大丈夫かしら? 暴れ出したら手に負えないわよ」
——そうなったら蔵にでも閉じ込めるしかないんじゃない。
「亮二、おばあさんの手伝いしてあげて。未だ眠くなんないんでしょ」
「へえへえ」

 …………。

「あ、この度は御愁傷様で……」
「誰、あんた」
「んー、君はお爺さんの孫?」
「そうだけど」
「ぼくは……、うーん、説明するとややこしいんだけどねえ。……お婆さんのお兄さんのお嫁さんの従兄弟の義理の妹の旦那のお姉さんの息子なんだけど……」
「はっきり云って他人じゃん」
「まあ、そうなんだけどね。もしかして君、名前に数字がつく?」
「亮二ですけど」
「あー、お爺さんのお気に入りの孫って君のことかあ。話はよく聞いてるよ」
「適当な話ばっかなんじゃないの」
「いやあ、小さい子だっていう印象しかなくて……。今、幾つなの」
「十三、中学二年」
「そうか、もうそんなになるのか」
「長いこと会ってなかったんですか」
「半年前に会ったけど、まあ、なにしろああいうひとだからねえ」
「正確な情報が伝わってなかった訳か」
「はは、よく判ってるね。流石お爺さん肝煎りの孫だけある」
「ありがた迷惑な云われ方だなあ……」
「いや、雰囲気とか顔立ちとかよく似てるよ」
「そう云われても嬉しくともなんともない」
「ええと、亮二君だっけ。明日の葬式もその恰好で?」
「何か不都合でもありますかね」
「学生だったら制服じゃないかなあ、と思っただけなんだけど」
「中学上がった時に制服が性に合わないっつったら、あれは軍服みたいなもんだから好きになる必要はないって云われたからね。Tシャツもジーパンも黒だからいいんじゃないですか」
「うーん、まさに直系の子孫だね」
「馬鹿ってことですか」
「そんなことは云ってないよ。お爺さんは博学で聡明なひとだったから」
「博学っつーか、雑学には長けてたけど、聡明じゃないでしょ。おれの名前もまともに覚えらんなかったんだから」
「なんて呼ばれてたの?」
「ああ、数字つけりゃいいと思ってたみたいで、宗八とか一太郎とか五十六とか助六とか……。よくあんだけ思いついたなあ」
「ポチとかタマとかとは呼ばなかったんだ」
「流石にそれはなかったですね」
「ぼくはポンとかロンとか云われたことがあるよ」
「……なんでまた」
「吏市って名前だから、どうも麻雀用語で呼べばいいと思ってたみたいでねえ」
「リーチね」
「そうそう」
「あんた、ひとりもんなの?」
「なんで」
「かみさんも子供も連れてないから」
「明日ちゃんと来るよ。君、ほんとに中学生なの?」
「こういう席で年齢詐称したって意味ないじゃん」
「まあそうなんだけど……」
「ナニ笑ってんだよ」
「いや、お爺さんに似てるなあと思って」
「だから、そう云われても嬉しくないって云ってるじゃんか」
「褒め言葉だよ。あんなひとは滅多に居ない」
「あんなんがごろごろ居たら、世の中滅茶苦茶になってるよ」
「お爺さんみたいなひとが世の中の大半を占めてたら、凄く平和で楽しい世界になったと思うよ」
「……あんた、相当洗脳されてんのな」
「いい方向に導いて貰ったと感謝してるよ」
「そう思うのは当人だけで、周囲の人間は迷惑極まりないと思うけど」
「うーん……。君のお母さんはお爺さんの娘さんになるのかな」
「そう、三人娘のまんなかで秋子。上が春枝で下が夏代で、冬が居ないんです」
「はあ、そういえば季節で統一したって云ってたなあ」
「祭壇作った座敷の方には親戚のひとらがもう集まってるけど、吏市さんもそちらへ行かれますか」
「そうだね、あんまり親しくしてなかったけど挨拶しなきゃなあ。……君は行かないの?」
「爺さんの部屋に酒、取りに行ってからね」
「お酒?」
「母ちゃんが日本酒供えるから、ウオッカ探しに行こうと思って」
「そうか、好きだったからねえ。『貞女の鏡みたいな酒だ』云ってたなあ」
「そんな貞女が居たら、男はアル中になっちまうよ」
「あはは、面白い子だねえ。ぼくも一緒に行っていいかな。お爺さんの部屋、見てみたいし」
「見ても驚かないようにね」
「散らかってるっていうのは聞いて知ってるから」
「そんならいいか」

 …………。

「これは……、想像以上に凄いなあ。どうやって這入ったらいいの」
「因幡の兎方式で行くんですよ。一応、足場は確保してあるから」
「ああ、転々と隙間があるね」
「おれの部屋もごたごたしてるけど、爺さんの部屋見るときれいに思えてくるんだよなあ」
「いやあ、これは物置というかガラクタ部屋だねえ」
「爺さんにとっちゃ宝物殿だよ」
「この本が積んであるとこは、もしかして仏壇じゃないの」
「此処、本来は仏間だからね。……仏間とは云わないのか、仏壇でもないし。そこに酒瓶ないですか?」
「あった、あった。ズブロッカが二本、ストリチナヤが三本……、の後ろに誰かの遺影がある」
「そりゃ曾祖父さんだな」
「知ってるの?」
「んな訳ねえ」
「だよね」
「おれ、お勝手行くけど、座敷の位置判りますか」
「あの賑やかにやってる部屋でしょ」
「そうそう」

 …………。

「あんた、ほんとにウオッカ持ってきたの」
「爺さんの愛用してた湯呑みは?」
「はあ……。もう好きにしなさい」
「なんか遠縁の男が訪ねてきたよ。吏市とかいうひと」
「りいち? ああ、小河のリーチ君ね。もう随分前に越してったけど、親交があったのかしら」
「爺さんのこと、よく知ってるみたいだった」
「小さい頃、あんたみたいに可愛がられてたのよ。本当に遠縁だから、未だにつき合いがあったとは知らなかったわ。って、あんた何呑んでるのよ」
「いや、どんなもんかなあと思って。いいちこより旨いな」
「大酒呑みになったらどうしようかなあ」
「なんねえよ」
「ちゃんとあんたのリクエスト通り、冷や奴と秋刀魚供えといたからね。みんな大笑いしてたわよ。楠田のおじさんなんかこっちにも出してくれっていい云い出すし」
「盛り上がっていいじゃねえか。嘘くせえ悔やみの言葉なんか、爺さんも聞きたがらねえだろ」
「まあそうだけど。……ああ、向こう行くならお酒も一緒に持ってって」
「おれがかよ」
「自分でやったことは自分で始末つけなさい」
「こんなとこでも教育すんのか」
「教育じゃないわよ、常識」
「ハルエさんは来たの」
「まだ」
「かーちゃんの姉妹は個性的だな」
「変だって云いたいんでしょ」
「ぼやかして云ってやったんじゃねえか」
「まあ、春枝姉さんは結婚しないで子供を三人も作ってるし、夏代も学生結婚だし」
「悪いことしてる訳じゃねえじゃん」
「そう思うの?」
「んなこた、ひとの勝手だろ。他人に迷惑かけなきゃ構うこっちゃねえよ」
「まあね」
「おれ、田上さんのこと、嫌いじゃねえけどな」
「どうしてよ、あんな屑」
「本音を貫き通してるだけだろ。誰だってめんどくせえことはしたくないじゃん。それを容認してくれる奇特な人間が居たら、喰いついて離れないのは当たり前だろ。田上さんが特別、自堕落な人間って訳じゃないよ」
「……あんた、やけに老成してるわね」
「男だからそう思うだけだよ」
「あんたも大人になったのねえ」
「ガキだと思ってたのか」
「そんなことは思わないけど」
「あやしい」
「異様に親を頼らないから」
「異様じゃねえ」
「……どこ行くのよ」
「爺さんの部屋」
「あれを片づけるつもりなの」
「まさか、本とか貰ってこうと思って」
「ちゃんとお婆さんに断ってからにするのよ」
「判ってるよ、それくらい」

 …………。

「座敷の方に来ないと思ったら此処に居たんだ。風呂敷広げて何してるの」
「婆さんに訊いたら好きなもん持ってっていいって云うから、本貰ってこうと思ってさ。今時こんなん手に入らないから」
「『古典落語撰集』『上方落語の愉しみ』……。ほんと落語好きなんだねえ」
「漫才なんかより面白いじゃん。つっても爺さんが話すのしか聞いたことないんだけど」
「寄席とか行ったことはないの」
「ないです」
「俳句とか短歌も好きなんだ。中学生にしては渋い好みしてるねえ」
「音楽も好きですよ」
「へえ、お爺さんはあんまり興味なかったみたいだけど」
「とーちゃんがジャズ好きでさ」
「亮二君もジャズが好きなの」
「嫌いじゃないけど、おれはどっちかって云うとロックっぽいのとか昔の歌謡曲なんかが面白いなあって思う」
「また両極端だねえ」
「ロックっつっても、やたら明るくて踊りの伴奏みたいなのは好まないですけどね」
「自分で楽器弾いたりするの」
「去年あたりからギターを弾きはじめました」
「お爺さんに聴かせたりした?」
「ひと様に披露出来るほど巧くないからね。上達する前におっちんじまった」
「……日本の作家ばっか選ぶんだねえ」
「外国文学にあんま興味ないから」
「『吉岡実詩集』。聞いたことのないひとだな」
「すげえ詩を書くひとだよ」
「……これ理解出来るの?」
「十三才の知能の範囲でね」
「はあ、たいしたもんだねえ」
「あー、風呂敷二枚じゃ足んねえ」
「そこに紙袋があるから、使わせて貰ったら」
「そうすっか……」

      +

 中島宗次郎は八十一才の天寿を全うし、落語と酒を愛し、人生を愛し、その愉しみ方を実に能く心得た人物だった。
 若い頃は体が弱く、肺を患ったり肋膜炎になって入院生活も体験したが、そこでも面白可笑しく過ごして、医師や看護婦を呆れさせていた。
 世の中に無駄なものは何ひとつない、必要かそうでないかは各々が判断すれば良いのであって、存在そのものまで否定することはない。価値観などというものは、ひとそれぞれ違って当然なのだから、どんな物事にもそれを必要とする者が居る、という考え方の持ち主だった。
 彼の感覚は傍からすると変人のそれとしか思われなかったが、本人が幸せだったのだからそれでいいのだ。


註;
 ピース・マイルドと謂う煙草は存在しない。
 現行のピースは、ピース、ピース・ライト・ボックス、ピース・スーパーライト・ボックス、ピース・インフィニティ、ザ・ピース、ピース・アロマ・ロイヤル・100's・ボックス、ピース・アロマ・クラウン・ボックス。
 現在のパッケージをデザインしたのは、ラッキー・ストライクのパッケージデザインも手掛けたレイモンド・ローウェイ。ピースという名は一般公募で採用されたものである。
(2017年時点の話)

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