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 妻と海へ行った。
 あまり知られていない場所で、人影はまばらだ。
 砂浜の方へ降りてゆくと妻は無邪気に波を追いかけたりしていた。
 時々俯いて、砂に手を伸ばし、貝殻を拾い上げていた。気に入ったものは海水で砂を洗い流し、ハンケチに包んで大事そうに胸の辺りで持ち抱えていた。気に入ったものを拾うと、翳すようにわたしに向かってひらひらと見せていた。
 わたしは海にも貝にも興味がなかったし、妻の子供じみた仕草に苛々したさえした。
 子供のような女だった。それが新鮮だった。それまでつき合った女は、賢しげに理論を振り廻したり、慾情の虜になっている奴ばかりだった。
 何故、こうも両極端なのか、自分でも判らない。
 わたしが選んだ生涯の伴侶、所謂「妻」は、そういった女たちとは遠く離れた次元にいた。極端な云い方をするならば、「馬鹿」だったのである。
 砂浜を分断するように、切り立った黒いごつごつとした切り立った崖があり、穿つようにトンネル状の洞穴があいていた。それを見て、古い映画のワンシーンを思い出した。
 そこから向こうは砂浜と入れ替わって火山岩のようなごつごつとした磯になった。人工のものなのか、自然に出来たものなのか、崖に向かう石段がある。妻は、わたしより先に、ひょいひょいと段を登ってゆく。
 右手には、小さな風呂敷のようにして貝殻を包んだハンケチを持って。
 崖の上は黒光りした巌に覆われ、陰惨な印象を与えた。
 妻はそんなことなど感じもしないのか、崖の縁に向かって小走りに向かって行った。わたしの名前を呼び、「すごい眺めよ」と云った。
 そう云いながらも恐いのか、中腰になっている妻をわたしは突き飛ばした。
 彼女の手からハンケチが放たれ、取りどりの貝殻がひらひらと散った。
 崖にはじける白波の中に彼女は飲み込まれ、それを覆い隠すように白い飛沫が次からつぎへと黒い岩に当たって砕けた。

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