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倫敦滞在記 2。

 ロンドンへひとりで赴いたのは諸般の事情があってのことで、最初から「ひとりで行くぞ」と意気込んでいた訳ではなく、仕方なくひとりで行ったのだ。勿論心細かったが、出発直前にそう謂った事態に陥った為、腹を括る間もなくロンドンへ旅立つ羽目になったのである。
 そう謂った訳で、ひとりでロンドンへゆき、初日のお仕着せ観光を断り日曜にしか行われないカムデン・ロックの市へ行ったのであるが、その後の予定はまったく立てていなかった。
 で、翌日。前日と同じように朝食を摂り、斯くたる当てもなしに以前行ったことのあるコベントガーデンへ向かった。此処は地下鉄の便も良く、いつ行っても広場で大道芸人が何かしらやっており、閑が潰せる。言葉が話せずとも飯を喰うことも出来る。
 ロンドンは比較的治安の良い処であるが、わたしがゆく少し前にIRAの地下鉄テロがあり、駅構内は固より、公園の屑入れなども鉄の板で厳重に蓋がしてあった。が、掏摸、かっぱらいに遭ったことは一度も無い。
 わたしは。
 わたしは、と断りを入れるのは、後に母と同じこのコベントガーデンを訪れた際、彼女はまんまとひったくりに十万円もの現金を獲られて仕舞ったのである。わたしも相当な抜け作であるが、母はそれに輪をかけた抜け作である。それを知っていたわたしは、空港に立ち至った時からその金を預かると再三申し出ていた。
 然し、日頃の行いが悪い所為か、母はそれを良しとしなかった。預けたら最後、戻ってこないと確信していたのだろう。なんとひと聞きの悪いことだ。それが為に十万ともなる金を、みすみす何処の誰とも知れぬ破落戸に獲られて仕舞った。赤の他人に起こった出来事ならばなんとも思わぬが、吾がことにも降り掛かってくる災難である。彼女は、パリのシャンゼリゼでも掏摸に鞄を切り裂かれている。
「おお、シャンゼリゼ」などと唄っている場合ではない。
 わたしは国内でも他人に無闇と声を掛けられたりしない、見掛けに依らず隙のない人間である。単独で居る場合は、掏摸ひったくりになど遭ったことも無く、それはただ単に文無しに見えたのかも知れないが、結果的には良いことだったと云える。
 実際、財布を掏られたところで現金は数千円。後は別にした無記名旅行小切手があるのみである。盗みたくば盗めば良い、と謂った具合だ。
 その頃は、日本人観光客の大半が金をベルトポーチに入れていた。何故なら、多くの旅行案内書にそうするべきであると書かれていた所為であった。日本では古来より金を取られぬ為に胴巻きなど、身にぴたりと附くものに金子などの貴重品を入れる習慣があったが、外国においてあれは非常に目立つ。
 現地のひとびとは誰もそんな代物を身に附けていないからである。その上、恰好が悪い。首からカメラを提げるよりみっともなかった。
 ひとのことなどどうでもいい。何処をどう見廻そうとロンドンになど知り合いは居らぬ。国内でだって居ないのだから。
 コベントガーデンでは大道芸人を眺める他、商店街のような処に立ち並ぶ店を素見して、そこ此処を写真に撮り、サンドウイッチを購う以外は何も為なかった。能く考えてみれば単独でのロンドン滞在中、土産となるものは初日のカムデン・ロック・マーケットで買った別珍の帽子以外、何も買わなかった。買うべきものがまるで無かった訳ではないが、万難を排して買いたいと思うものも無かったからである。買いもの好きには不毛の土地と云えるやも知れぬ。
 つらつら考えても、ロンドン土産として有名なものは何か、と訊ねられてぱっと出てくるものは何も無い。幽霊や蝋人形を持ち帰る訳にもゆかない。ましてや、同性愛のひとを連れ帰る訳には、尚更ゆかない。それは既に土産物の範疇外である。
 故にして、わたしは写真を撮りまくった。ひとりだから、立ち止まろうとしゃがみ込もうと文句を云う者は居ない。難有いことだ。写真を撮る際に、同伴者が居ることほど支障を来すことはないからである。わたしは歩き乍ら写真を撮影出来るほど器用ではない。
 フリーツアーの日程は、謳い文句には「10日間、ロンドン自由の旅」とあったが、実際は機中泊二日、終日自由行動出来るのは七日間だけであった。それでも、宿泊費込みで十三万は、破格の値段である。前日キャンセルしていたらば、この十三万はまるまる旅行会社に支払わなければならなかったのだ。キャンセルしなくて良かったと、今でも思う。
 そんな予定の立たないロンドン二日目は、コベントガーデンに行っただけで終わった。早々にホテルへ戻り、晩飯にはコベントガーデンの店で買った全粒粉のパンのサンドウイッチを食べた。これがまた、とても美味しかった。
 イギリスの料理は不味いと云うが、適当な喰い物しか食べていないので気にならなかった。紅茶などは屋台で売っているものでも吃驚するくらい旨かった。水が違う所為かも知れない。お陰で帰国してから紅茶が飲めなくなった。
 やはり餅は餅屋、本場のものが一番美味しいと謂うことか。コーヒーは日本のものでも美味しく飲めるのだが、これも本場の味を知って了ったら飲めなくなるのかも知れない。コーヒーの本場とは何処なのだろう。ブラジルか?
 さて、三日目。何をしたら可いのか判らずロビーでぼんやりしていたら、同じツアーのひとらしい(バッジを胸に附けていた。律儀なことだ)老婦人と中年婦人のふたり連れが、親切にもハンプトンコートへのバスツアーに誘ってくれた。値段を訊いたら安かったので参加することにした。
 バスの裡で訊いたところ、老婦人は大変な旅行好きで、年に八回は海外へ行くとのこと。それも凡てパッケージ・ツアーで。なんと謂う金持ちだろう。フリーツアーは今回がはじめてだったそうだが、昨日は旅行案内書片手にシャーロック・ホームズ縁の場所を訪ね、それに因んだパブにも行ったそうだ。パブには酒しかなくて、下戸の老婦人は果苹のサイダーを頼んだらしいのだが、それもやはり酒だったそうだ(アップルタイザーと謂うやつだろう)。
 ハンプトンコートは、幽霊が出ることで有名な城である。環境保全の為か、マクドナルドまで地味な色で統一されていた。着いたのが恰度衛兵交代の時間で、此処の衛兵はバッキンガム宮殿やロンドン塔と違って赤ではなく灰色の制服を身に纏っていた。決められた道筋を歩かなくてはならないらしく、ぼけっと立っていたら行進する衛兵にぶつかりそうになった。そうでなくてもわたしはよくひとにぶつかる。
 残念乍ら幽霊に出くわすことは無かったが、ひとりでは先ず行かなかったであろう場所にゆけて愉しかった。写真は団体行動なのであまり撮れなかったが。
 ツアーのバスがホテルに着いた時刻が割に早かったので、老婦人中年婦人のふたり連れと別れて晩飯の買い出しにゆく。ホテルの近辺にどんな店があるかまったく知らなかったので、地下鉄でわざわざコベントガーデンまでゆき、昨日とは違う店でサンドウイッチを買い、飲みものを少し外れた場所にある雑貨屋のような処で買ったのだが、その店のレジの女がもの凄く感じが悪かった。二十年以上経っても覚えているくらいなのだから、相当感じが悪かったと思われる。
 そこで買った飲みものなのだが、牛乳の傍にあるのを適当に選んだら気が狂うほど甘かった。しかも、まさに食事をしている最中、判りもせずにつけていたテレビのコマーシャルで、身体に良くない食品としてその飲みものが紹介されており、げんなりした。
 滞在四日目。この日は早くにホテルを出て、大きな公園へ写真を撮りに行った(なんという名前の公園か忘れて了った)。冬の遅い朝日の写真が撮れて非常に満足した。この公園に午まで居た。その後、何処でどう過ごしたのかまったく覚えていない。ただ、ロンドンに来てはじめて天気が良かったことは覚えている。
 五日目、六日目はまたしてもコベントガーデンへ行った。他にゆく処は無いのか、と謂う感じだが、実際無かったので仕様がない。それでも、毎日違う大道芸人が観られて面白かった。
 丸一日自由行動出来る最終日、観光客らしくリバティなどがある通りへゆき、大きな店を素見して歩いた。そして、ツアー初日に連れて行かれる筈だった免税店へゆき、頼まれていたウエッジウッドの食器を購入した。ワイルドストロベリーと謂う素朴な柄のもので、コーヒー紅茶兼用の茶碗と皿のセットと同じ柄のミルクポットと砂糖入れを買った。
 ポットも頼まれていたのだが、どう考えてもこれ以上持てないのでやめにした。日本へ配送するサービスもあったが、どうにも信用出来なくて頼みたくなかったのだ。
 そんな重い荷物を抱えてホテルへ一旦戻る。戻ったは可いが、それから先何をしたら好いのか判らずまたコベントガーデンへ行った。初日以外は毎日と云っていいくらいコベントガーデンに通っていた。もっと色んな処へ行けばよかった、と思わないではないがはじめての海外ひとり旅なのだからそれも仕方なし、また愉しとも思う。
 最後の日だからと、暗くなっても広場の階段に腰掛けて大道芸を眺めていた。

 帰国の飛行機で、嬉しいハプニングがあった。乗客の都合でフリーツアー参加者三名からファースト・クラスに移ってくれとのこと。そして、三人組が居なかったからなのか、わたしとハンプトンコートバスツアーへ誘ってくれたふたりが選ばれた。
 まったくの行幸。狭苦しいエコノミー・クラスとは違い、広々とした空間に贅沢な座席。どっかり座り込むと、溜まった疲れからぐっすり眠って了ったらしい。乗り物内で熟睡することなど滅多にないわたしが、なんと成田上空まで眠り続けていた。と謂うことは、十二時間近く眠った訳だ。疲れは取れたが、折角のファースト・クラスのサービスも食事も堪能出来なかった。それだけが心残りである。


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