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食について。

 わたしは食事を整える為の調理が好きなのではなく、工作としての調理を好む。作った結果を楽しみたい訳ではない。実験のように器具を使って加熱したり混ぜたりして、その過程が面白く感じられるのだ。
 なので、見た目も味も、あまり気にしない。数を作りたいとも思わないので、一品、というか、一度に一種の調理で熱意は冷めるのだ。毎日の食事も、豆腐と納豆を混ぜくったものやら(調味料は多少、勘考する)、雑穀米にスープやらをぶっかけるか一緒に煮込む。
 つまり、汁かけ飯。もしくは粥、雑炊。わたしはそれで満足出来るのでいいが、普通それでは済まされないだろう。
 こんなわたしが料理本が大好きなのも、他人には理解出来ないことらしい。結構な冊数を所持しているが、読みもの、或いは絵本の如くに捉えて読んで(見て)いるのだ。調理法を実践したことなど、殆どない。
 面白く読ませてもらったのは、丸元淑生の著作である。芥川賞と直木賞候補までなったにも拘らず、栄養学に傾倒するあまりそれに邁進し、恐らく小説など書かなくなったのであろう。ひとが引くほど食に対して没頭した。
 所謂「レシピ本」は、腐るほど世に氾濫している。料理研究家もフードコーディネーター(ってなんだよ)も、掃いて捨てるほど居る。
 このひとの本を読んで感じるのは、マクロビオティックや重ね煮のひと(名前は忘れたが、アトピーに悩むひとなどに多大な影響を与えているらしい)のような、一種宗教的、狂信的な嗜好、或いは思考というより、科学的、論理的な方針へ向いている気がする。が、元は小説家だっただけあって、読ませる文体なのだ。
 推測なのだが、このひとが栄養学に関心を持ったのは、日々の食事によって体調を(娘が?)崩したことが原因ではなかろうか。それによって、かみさんが用意する飯にもの凄く、めっちゃ、むっさ、ごっつ不満を覚えた。『丸元淑生のクック・ブック』を読むと、主婦に対する不満、不信感が、出版された時代でも顰蹙を買いそうな筆致で綴られている。
 このひとが調理に邁進する様子は如何にも男性らしく、金に糸目をつけない(経済的なことに言及しているにも関わらず)。道具を揃え、食材を求めに築地の魚河岸へゆく。京都の土産も魚市場でちりめんじゃこを買えとまで云っている。買わねえよ、普通。
 兎に角、庸人には向かないことばかり書いているのだけれども、そこが却って面白い。ビタクラフトの鍋に心酔しまくっている印象が強いものの、『丸尾淑生のシステム料理学』ではブランド名まで言及されていない。何処で何が買えると記述されてはいるが、それで利益を得ている訳でもないらしい。
 それだけに若干、(調理器具に対する)狂信的な印象を与えるのだが、菜食主義のひとたちなどの浮世離れした言動に慣れ親しんでしまうと、この程度なら可愛いものである。システム料理学の頃は、まだ肉食を許容している。その後は野菜と魚のみになっているけれども。
 普通のレシピ本に慣れ親しんでいるひとは、理論を長々と開陳する彼の著作はうざったくて読んでいられないだろう(しかも、今時のレシピ本のように美麗な写真が添えられている訳でもない)。それどころか、女性が読んだらムカつくようなことが其処此処に書かれてある。丸元氏が栄養学に傾倒したのは、妻の拵える食事に不満を覚えたのがきっかけだから(推測)それはまあ、致し方ない。
 しかし、かみさんが読んだら激怒しかねないようなことが書いてあるのだ。こんな亭主、絶対にやだね。

2019,06,24. exciteブログより。

 鬱がどんどん酷くなり、本当に何も出来なくなってきた。映画など観られない。食事もまともに支度出来ない。玄関から先へ行けない。
 わたしはどうなってしまうのだろう。

 暗い話はさておき、片手で本を読むのは困難だと、以前書いた。寝転んで読む時、親指だけで頁を繰るのだが、必ず二枚、目捲れるのだ。両手が使えればもう片方の手で二枚をばらけさせられるのだけれど、指一本では難しい。片手でどうにかしようとしているうちに、本を取り落としてしまう。
 すると、どうなるか。
 読んでいたところが判らなくなる。
 いや、ぱらぱら探せば出てくるのだけれど、気が削がれるというか、「ああ、もう」という自棄な気分になるではないか。だからわたしは栞を愛用するのだ。
 本自体が好きなので、昔はとても大切にしていた。しかし、かなりガサツで、且つだらしない為、知らないうちによれた状態になってはいた。今はもう、ぐちゃぐちゃである。水気のものを零してよれよれ。適当に積んだのが崩れて曲がる、折れる。しかし、本を大切にしたい気持ちはひと一倍あるのだ。喩え自堕落な気持ちに圧されていても、伏せることが出来ない。
 で、目を覚ますと読んでいたところが判らなくなる。

 それもさておき、先日触れた丸元淑生氏の本。実に面白いのだ、いや本当に。ちりめんじゃこやたらこ、時鮭を魚河岸で箱買いしろとか、もやしを育てろとか、冷凍庫が大きなドイツ製の冷蔵庫を買えとか(全部、薦めてるだけですけどね)だけではなく、鮃の捌き方の説明にあったこの件り。
〔ひらめが気がつかないうちに頭のつけ根で一気に脊椎を切断する〕
 今時のレシピ本では使われなさそうな「脊椎を切断」という表現も凄いが、「ひらめが気がつかないうちに」て。水から揚げられて箱詰めされて、仕舞いには俎板の上に乗せられてんだから、尋常な事態じゃないことくらい気づいてるよ(つーか、絶命してる筈)。
 作っている料理はいいものが多いのだけれど、何人家族を想定しておるのか、と思えるものばかりだ。だからこそ真空パックやエージレス、ピチット(どちらも商品名。エージレスはよく見るけど、ピチットなんて聞いたことがない)を推奨し、それらを使って冷蔵冷凍せいと云っているけれども、一般家庭にあるもので出来ることを教えてくれよ。
 理論としては素晴らしいんだけどね。
 簡単に実践出来そうなのは食用油の選択。加熱するのに最適なのはオリーブ油、非加熱なら亜麻仁油だそうな。健康食に関心があるひとならよく知っている、オメガ3とか6とかの油について、三十年以上も前に詳しく解説している。
 当時は入手するのに困難を極めたであろう。今ならそこらのスーパーマーケットで、亜麻仁油だって購入出来る(わたしの感覚からすると、どえれえ高価だけどな)。サラダは油と酢、塩だけでいいらしい。
 でも、調理に吟醸酒はなかなか使えんと思う。

2019,06,28. exciteブログより。

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