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のんびりゆこうよ

「なんか、こうも閑だと犯罪に走る奴の気持ちが判るような気がするなあ」
「判るなよ。唐突に恐ろしいことを口走るな」
「いや、隣のおばさんがくれた新聞眺めてたら物騒な事件が多くてさ。しかも、犯人の殆んどが無職のひと」
「その条件に関してはふたりともほぼ満たしてるけど、おれたちに出来るのはせいぜい万引き程度だな」
「なんでさ」
「おまえは鋏にすら触れない刃物恐怖症、おれは間違って男にナンパされるようなチビで貧弱な人間。女にだって伸されかねない」
「うーん、反論出来ないなあ。でもハル君は喧嘩、強いじゃない」
「おれが幾ら乱暴な人間だからって、女に手を上げたりしねえ。それはおいといてだな、この年でふらふらしてるだけで世間的には不審者なんだから安心しろ」
「どんな励ましだよ。だいたい、ぼくらにはアパートの管理人っていう立派な仕事があるじゃないか」
「てめえのジジイの呆れ返るほどの吝嗇ぶりで、無料奉仕同然じゃねえかよ」
「他人みたいに云うなよ。一応、親だろ。家賃光熱費はタダだし、食事はお母さんが持ってきてくれるじゃん」
「そんくらいは当たり前だ。テレビもなければ冷蔵庫もない。電子レンジすらないときやがる。吉幾三の歌並みになんもねえ。あるもんつったら、隣のおばはんが塵芥棄て代わりに持ってくる一週間分の新聞とチラシだけじゃねえか。期日過ぎたチラシ見てどうしろっつーんだよ」
「管理のコンピューターがあるからそれで充分じゃない」
「インターネットに接続出来ないコンピューターでナニを愉しめってんだ」
「ハル君は何が見たいの? インターネットなら携帯電話で出来るじゃん、無制限で」
「上目遣いで見るな。その携帯だってどんだけ古い形なんだよ、まったく。だいたいガキじゃあるまいし、二段ベッドを用意する神経が判らねえ。しかもセコハンときてやがる。何処の洟垂れが寝小便したか判ったもんじゃねえよ」
「まあまあ、いいじゃない。ぼくはあの二段ベッド、結構気に入ってるけどなあ」
「おまえは呑気でいいねえ。つい先刻は『犯罪者の気持ちが判る』とか吐かしてた癖によ」
「ような気がする、って云ったんだよ」
「気がするんなら実践してみろ」
「無茶苦茶云うなあ……。なんかいつもより機嫌悪くないか」
「悪くもならあな。おまえが鼻提灯で寝噉かいてる朝っぱらから六〇二号室のババアに呼び出されて、水漏れ見に行ったんだよ。六階だぜ、六階。だぜとか云っちゃうよ、おれは。なんでこの糞襤褸アパートにゃ、エレベーターってもんがねえんだよ。しかもだよ、蛇口が少し開けっ放しになってただけなんだよ。水が出続けるのは当然だろうが、ボケてやがんのか」
「まさか怒鳴り散らしたんじゃないだろうね」
「それどころか、鼻に掛かった気色の悪い声で『あらあ、水止め忘れてたのねええ、ごめんなさあい。お詫びにお紅茶でも淹れるわねえ』だとよ。一昨日どころか、おれが生まれる前に来いっつの」
「整形も必要だよねえ」
「……おまえ、結構厳しいこと云うな」

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「それにしてもよお、沼里漣雅なんて、おまえの親父も妙ちきりんな名前をつけたもんだなあ。どう考えても阿呆の豚が沼地に煉瓦の家建てて、ずぶずぶ沈んでく状況が目に浮かぶ」
「なんだよ、いきなり。秋出春世だってすごく両極端な名前じゃないか、女みたいだし。沼里に変わって良かったじゃん」
「女みたいとか云うな」
「ハル君がはじめてうちに来た時、ぼく、女の子だと思ったもんなあ」
「この年になっても間違われるんだから、泣くにも泣けねえ」
「性転換でもしたら? モロッコとかで」
「てめえの金玉、バーベキューにして猫に喰わすぞ」
「なんてこと云うんだよ」
「加熱調理してやらねえと腹壊すかも知れんからな」
「猫の心配はするんだ」
「おれは心優しい男だから」
「何処がだよ」
「世間一般的に」
「ああ、小柄な女の子には優しいねえ。そういえば」
「玉だけじゃなくて棹も調理してもらいたいらしいな」
「そういう科白、みよちゃんの前で云ってみなよ」
「誰がみよだ、ひとの彼女の名前を間違えんな。未歩だ、馬鹿」
「なんとなく『みよちゃん』って感じがするんだよね、顔つきが。背丈も小学生くらいだし……」
「そのイメージの貧困さが女に避けられる一因だな」
「ぼくがいつ避けられたって云うんだよ」
「漣雅ちゃん、二十三にもなってドーテーじゃない。ぼく、泣けちゃう」
「ほっといてよ」
「例のチャット・ガールはどうしたんだよ。出目金だか鯖味噌だかいう、金持ちの娘」
「金魚だし、本名は李小紅だよ」
「ああ、そういや中国系だったっけ。帰化してないのか」
「そうみたい」
「じゃあ、呼び難いよな。おまけに親父が大物ときては本当に去勢されそうだしよ。その小龍包とは結局、逢わずじまいか」
「何度か逢ったよ」
「逢ってたのか」
「うん」
「で、どうだった? ネットで知り合う女なんか、オタクかどブスに決まってるけど」
「可愛かったよ」
「またまた、負け惜しみゆってー」
「写真あるよ」
「……可愛いじゃん。ヤったの?」
「教えない」
「逢った当日ヤったりしたら、獣並みじゃねえか。やらなかったんだな、お前の性格上」
「なんだっていいじゃん」
「……まあ、おまえがどうしようと構わないけどね」
「この間、香港に帰ったんだ」
「鯖味噌親父と一緒にか」
「そう」
「おまえ……」
「抱きしめるなよー」
「命拾いしたな」
「先月、入籍したんだけど……」
「はい?」
「管理局に行って、籍を入れて……」
「おれも馬鹿じゃないから、先ほどの科白の意味は判る」
「あ、そうなんだ」
「親父と一緒に香港帰ったっつったじゃねえか」
「そんな地の果てじゃないから、いつでも来れるよ」
「んな御託はどうでもいいんだよ。なんでそんな重要なこと、黙ってたんだ」
「お互いの両親が同席したとこで、ちゃんと云いたかったんだよ」
「じゃあ、なんで今ばらすんだよ」
「なんか、会話の勢いで」
「…………」
「怒ったの?」
「おまえがいつ何処で、誰と結婚しようが、おれの関知するところじゃねえからな」
「はっきり怒ってるね」
「そうかもな」
「……まだ、誰にも云ってなかったんだよ」
「へ?」
「絶対反対されるから秘密にしておこうって……」
「阿呆か、おまえ。パスポート見たらバレちまうじゃん」
「普段は誰にも渡さないようにすればいいし、税関のひとだって『ハッピー・マリッジ』とか云わないだろ」
「ままごとだな、まるで」
「ままごとは愉しいだろ、ならいいじゃん」
「それも一理あるな」

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