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倫敦滞在記。

 ハタチの頃、アルバイトをして貯めた二十万円をはたいて某空港のブリティッシュ・エアウェイズ就航記念と称したフリーツアーで、ロンドンへひとり旅立った。二度目の海外旅行、そして、ロンドンは二回目だったが、海外はもとより、国内でもひとり旅ははじめてだったのでひどく緊張していた。
 が、緊張していた割には土曜日にガトウィック空港着、日曜日にはロンドンツアー、と謂うお仕着せを蹴って単独行動をした。何故ならば、日曜日に開催されるカムデン・ロック・マーケットへ行きたかったからだ。
 ビジネスホテルのような味気ない宿を宛てがわれ、翌朝、目覚ましの力を借りず起床し、ダイニング・ホール(と云うのだろうか)で、バイキングの朝食を摂った。節約の為、午飯分のデニッシュパンをこっそり鞄に忍ばせ、意気揚々とホテルを出、最寄りのケンジントン・ハイストリート駅からカムデンロックへ向かった。
 マーケットは、着いた頃には大勢の人出で、観光客より地元の人間が多いように感じられた。出店を覗くと、不要品や古着を売っている処もあれば、デザイナーの卵らしき若者が服や雑貨を売っていたりもした。
 パンク・ファッションで決めた若者がいまだに居るのにも驚いたが、そう謂った子たちが出店していたり、何う見ても家庭の主婦、と謂った女性が家の不要物を売っている店もあった。
 そんな出店の中から、ニナ・ハーゲンみたいに派手なメイクをした女性の出している、恐らく手づくりであろう帽子の店で、緑の別珍で出来たキャスケット帽を買った。その場で被ってみると、とても似合うと云われた。
 五ポンド二十五ペンスは高いのか安いのか判らなかったが、二十五ペンス負けてくれて五ポンドをニナ嬢に支払った。当時、一ポンドは五百円である。
 写真を撮るのが趣味だったわたしは、屋台の紅茶を買って飲んだりする以外、買い物はせず、若いバイオリン弾きやマーケットのひとびとの写真を撮りつつ、無目的に歩き廻った。そう斯うしている内にマーケットから外れて仕舞い、用水路の畔へ出た。見上げると、橋にはひとがぎっしり屯ろしている。
 そんな風景をカメラに収めつつ歩いていたのだが、空腹を覚えたので、鞄から朝食バイキングでちょろまかしたデニッシュパンを取り出し座り込んで齧った。パンのねっとりした表面には包んだ紙ナプキンが張りついて、もさもさして甘く、ただでさえ食事をする時ひと一倍の水分を必要とするわたしには、それを飲み込むのが大変だった。
 凭れたレンガの壁が二月の空気に晒されて冷たかったのを覚えている。ついでだから、鞄に入れていた兎のぬいぐるみを、そのレンガの壁に凭せ掛けてシャッターを何度か切った。斯うした妙なモノを持ち歩くのは日本でも同じで、モデルが居ない代わりに彼らにその役目をさせるのだ。
 そんなことをしていると背後にひとの気配を感じ、わたしはしゃがんだまま振り向いた。そこには三人の若者が、好奇心一杯の目を輝かせてこちらを覗き込んでいる。ふたりは何処から何う見てもパンクなファッションであり乍らモッズコートを着込んだ青年で、残るひとりはシニード・オコナーのような坊主頭にした可愛らしい顔の女の子だった。
「なにしてるの」
 そう訊ねられ、わたしは「テイク・ア・ピクチャー」と中学校の頃に習った拙い英語で答えた。更に「それはなに」と訊ねられ、これは兎だと答えた。そう説明をしなければならなかったのは、その小さなぬいぐるみが顔の部分のみ塩化ビニールで形成され、まるで栗鼠が兎の着ぐるみを被っているような代物だったからである。しかも、色は紫色だった。
 若者たちは、「ほう、兎なのか」「可愛いね」などと口々に云っていた。このぬいぐるみは地元で五体袋入りのを安価で買ったもので、軽いこともあって凡てを鞄に詰め込んできた。彼らが気に入っているみたいなので、わたしも日本の作家がデザインしたそのぬいぐるみを並べ出してみせた。
「Oh,lovely」
 と、若者たちは口を揃えて云った。イギリス人は、よくラブリーと云う。天気が良くても、服が似合っていても、兎に角ラブリーだ。
 わたしが出した兎のぬいぐるみたちは実にけばけばしい色で、紫の他は黄色にピンクに黄緑に水色、オレンジだった。何れも、蛍光色に近い。試しにどの色が好きか訊いてみたら、青年Aはブルー、青年Bはグリーン、想像はついていたが、少女はピンクと云った。
 好きな色を訊いておいて、ハイさようならではあまりにもあまりなので、成り行き上、彼らの好みの色のぬいぐるみをそれぞれに手渡した。すると、三人は子供のように「くれるの、いいの?」とはしゃいでいた。
 ひょっとしたら、まだ十五、六才だったのかも知れない。外国人の年は判らない。無論、向こうにも此方の年は判らなかったであろう。国内でも実年齢より下に見られるわたしである。若しかしたら、彼らの目には小学生くらいに映っていたのかも知れない。
 と云うのも、ぬいぐるみを手にして矢鱈と機嫌の良くなった彼らは、ロックの辺りは(運河のことだろうと思われる)キケンだから、駅まで送ってやると云い出した。もう少し写真を撮りたかったのだが、親切に云ってくれるのを無碍にする訳にも行かず、駅まで送って貰った。
 然し、日本では考えられないことだが、日曜のロンドンの街は、店の殆どが閉まっている。開いているのは外国人が経営する店か、日本では今程氾濫していなかったコンビニエンス・ストアー(セブンイレブンで、本当に七時に開店し、十一時に閉店する)だけだった。英語の覚束ないわたしは、日暮れ迄(と云っても、二月なので三時半には薄暗くなる)街の写真を撮って、ホテルへ戻った。
 同じツアーのひとびとが何うしているのかは判らなかった。


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