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猫とふたり

 影郎と草村、同居初日。

「大人だねえ」
「なんで?」
「ウイスキーのロックなんか飲んで」
「寝酒です」
「ちょっと雰囲気に合わない」
「ぼくはどんな雰囲気なの?」
「真面目でおとなしい」
「まあ、子供の頃からそう云われてるけど」
「いいんじゃない? おれは不真面目で馬鹿って云われてるから」
「木下君に?」
「他のひとにも」
「ぼくはそんなこと云ってないよ」
「珍しい部類に入る」
「こら、影郎は飲んじゃ駄目」
「ひとくちだけ」
「うーん、ひとくちだけなら。……はい」
「そんな風に飲ますとは思わなかった。スプーンでってひまし油みたい」
「勝手にさせるとぐーって飲んじゃうから。じゃあ、これ」
「氷のように冷たいおひと」
「心は小春日和だよ」
「熱帯雨林よりいいか」
「それで我慢して。グラスに手を出さないように」
「信用ないなあ」
「あんまないね」
「紘君って左人志より厳しいかも」
「びしびし教育してくよ」
「お手柔らかにお願いします、先生」
「いい子にしてたら叱らない」
「はい」


 その翌朝。

「今日の味噌汁は。……キャベツ」
「油揚げとキャベツしかなかったから」
「いいよ、好きだから。雑穀米か……。健康的だねえ」
「雑穀入ってるとおかずなしでも栄養が摂れるからいいよ」
「左人志さんは相当健康的な暮らしをしてたんだろうね」
「もっと肉が食べたいって云ってたけど」
「影郎はあんまり肉料理作らないね」
「魚とか貝の方が好きだから」
「まあ、肉食系の感じはしないかな」
「そうかなあ」
「卵焼きも箸で作っちゃうんだねえ」
「普通、そうじゃないの?」
「ヘラみたいなの、使うと思うけど」
「その方が面倒な気がする」
「どっちにしてもぼくは作れないな」
「こんなの簡単なのに」
「出来るひとはそう云うんだよ。ああそうだ、これ、合鍵」
「信頼されてる感じ。勝手に家のもの持ち出して、売り払ったりしたらどうするの」
「そんなことするつもりなの?」
「しないけど」
「出来ないよね。影郎、真面目だから」
「そう思ってるのは紘君だけだよ」
「じゃあ、ぼくが一番判ってるんだよ」
「ひとりが判ってるならいいか」


 猫を見に行った日。

「ペットショップなんてはじめてだ」
「うちは犬を飼ってたから、よく家族で行ったよ」
「へえ、どんな犬飼ってたの」
「トイプードルばっかだった」
「好きだったんだねえ」
「どうかな。最初に飼ったのが凄く出来が良くて、それでかも知れない」
「猫はあんまり居ないね」
「これ可愛いなあ」
「んー、ロシアンブルー」
「色がきれいじゃない」
「毛並みもきれいだね」
「見せてもらえるかなあ」
「スタッフにお申しつけ下さいって書いてあるよ」
「スタッフ……。あ、あのカウンターに居る。ちょっと行ってくるね」

「此方のロシアンブルーですね。少々お待ち下さい」
「おとなしそうだね」
「まだ二ヶ月なんですよ、ロシアンブルーはおとなしくてひと懐っこいから飼い易いんです。抱っこしてみますか」
「柔らかい。……おしっこした」
「すみません。今、拭きますから」
「安心したのかな」
「この子がいい」
「おしっこ引っ掛けられたのに」
「だって可愛い。マーキングされちゃったし」
「大丈夫ですか。こんな粗相したことないんですけど」
「いいですよ。この子にします」
「ありがとうございます。では彼方のカウンターでお会計を……」
「おれが払うよ、お金下ろしてきたから」
「結構高いよ」
「これくらいはすると思ってたから」
「税込みで十二万九千二百八十円になります。お支払いはどうなさいますか」
「現金で」
「ミルクは猫用のをやって下さいね。一ヶ月くらいはキャットフードを摺り潰してあげて下さい」
「他に揃えるものはなんですか」
「そうですね、トイレと砂、餌と水を入れる器と、外に連れて行く時の為のキャリーケース、必要な場合はケージなどです」

「ご飯はおれが作るよ、フードプロセッサーでペースト状にすればいいんだろうし」
「じゃあ、猫用のミルクと、器とキャリーケースとトイレかな」
「いろいろあるねえ。器は家にあるのでいいんじゃないかな」
「キャリーケースはどれがいいかな」
「あんまり小さいのは可哀想だから、これでいいんじゃない? 外が見えるから安心するだろうし」
「トイレはどれがいいんだろ」
「よく判んないなあ。まだ小さいから、深いのはよくないんじゃない?」
「名前、なんにしようか」
「紘君決めてよ」
「うーん。……あお」
「ロシアンブルーだから?」
「うん」
「まあ、いいか」
「車、平気かな」

「なんか毛羽立ってない?」
「車が恐かったのかな」
「あお、おいで」
「無反応だね」
「緊張してるのかな。ちょっとそっとしとこうか」
「あ、歩き出した」
「何処に行くのかな」
「窓の方に行くみたい」
「明るいとこがいいのかな」
「猫は暗い処が好きなんじゃない?」
「よく日向ぼっこしてるよ」
「ああ、そうか」
「トイレ、覚えるかなあ」
「猫は一ヶ所でする癖があるらしいから、一度させれば覚えるんじゃないかな」
「今日は見張ってないといけないね」
「あっちこっちの匂い嗅いで、首の辺り擦りつけてる」
「場所の確認してるんだろうね」
「こっち来た」
「匂い嗅ぎまくってる」
「ごろごろいってるね。毛が凄く柔らかい」
「どれ、ほんとだ」
「お腹空いてないかな。ミルクあげようか」
「人肌のお湯で溶かせばいいからね」
「判った」
「……飲むかな」
「あ、飲んでる飲んでる」
「牛乳と何が違うんだろう」
「スキムミルクみたいなもんじゃないのかな」
「もういいのかな」
「小さいからね、そんなに飲まないよ」
「ほんとに手で顔、掃除するんだ」
「可愛いねえ。犬とはだいぶ違うなあ」
「犬はどうなの?」
「もっと落ち着きがない」


 左人志が猫を見に来た日。

「お、小さいなあ。ふんずけちゃいそうだな」
「踏まないでよ」
「大丈夫だって、そんな粗忽じゃないから」
「抱っこしてみる?」
「怖がらないかな」
「ひと懐っこいですよ」
「うわー、軽いなあ。なんて名前?」
「あおです」
「あおか。おい、あお、阿呆が飼い主で気の毒になあ」
「誰が阿呆だよ」
「誰かなあ」
「紘君?」
「そんな失礼なこと云う訳ないだろ。だいたい草村君は阿呆じゃなかろうが」
「食事して行かれますか」
「ごちそうになろうかな」
「影郎があれこれ買ってきてるんで、楽しみにしてて下さい」
「楽しみって、喰い飽きてるけどな」
「じゃあ、左人志はあおのご飯食べたら」
「猫と一緒にするな」
「あお、結構いいもの食べてますよ。比目魚とか帆立の貝柱とか」
「贅沢な猫だなあ、おい」
「もう、可愛がって可愛がって」
「動物は好きみたいだったからな。草村君、ペットが二匹も居て大変じゃないか」
「あおはそんなに手間が掛かりませんからね」
「でかい方は手間が掛かるか」
「まあ、大きいだけに」
「そんな玄関で話してないでこっちに来たら」
「でかい面してるなあ」
「なんか云った?」
「なんにも云ってないよ」
「左人志、お茶でいいよね」
「なんでもいいよ」
「庭の野菜、どうなってる?」
「どうて、生えてるよ」
「そりゃ生えてるだろうけど、何がなってるか訊いてるんだよ」
「何て、野菜がなってるよ」
「左人志さんって、結構意地悪なんですね」
「鍛えられてるからね。草村君もあんまり甘やかさない方がいいよ」
「はい、蕎麦茶」
「蕎麦茶、また変わったものを……」
「別に変わってないよ。安売りしてたから買っただけ」
「香ばしくて旨いな」
「結構あるから持って帰る?」
「いいよ、湯を沸かすの面倒くさい」
「お湯も沸かさないの? 病気?」
「なんで湯を沸かさんくらいで病人扱いされなならんのじゃ」
「ちゃんとお風呂、入ってるの」
「風呂くらい入るわ」
「男鰥に蛆が湧く……」
「誰がやもめじゃ」
「仲が良いですねえ」
「いいよ、子供の頃から」
「従兄弟同士でそんなに仲が良いのって、珍しいですよ」
「まあ、こいつの家に居候してるからね。兄弟みたいなもんかな」
「いいですねえ。ぼく、兄弟が居ないから羨ましいです」
「いや、もうこいつは君に譲ったから、煮るなり焼くなり好きにして」
「何味にしようか」
「豚骨味?」
「そんなくどいのやだ」
「じゃあ塩味で」


 左人志を交えての食卓。

「草村君の金、ばかすか使って高級食材買いまくってんじゃないだろうな」
「いえ、そんなことないですよ。却って食費が浮いています。ずっと外食ばかりでしたから」
「そういやあ、ぼくの方は食費が嵩んできたな」
「おれの在り難味が判った?」
「いや、気楽なひとり暮らしを満喫してるよ」
「やな奴」
「左人志さんはビールでいいですか」
「いいよ、草村君も飲むの?」
「はい。影郎は飲まないよね」
「日本酒なら飲む」
「コップに一杯だけだよ」
「それでいい」
「ちゃんと教育的指導を施してるね」
「野放しには出来ませんからねえ」
「厳しくやってよ」
「紘君、左人志より厳しいよ」
「そうなん? いやあ、ありがとう。もっとビシバシやって」
「いえ、これ以上やると虐めになってしまうので……」
「そうだよ、けしかけないで」
「まあ、上手くやってるみたいで安心したわ」
「安心してていいよ」
「この鶏肉、なんかやけに黄色くないか?」
「オレンジの絞り汁で煮た」
「旨いんか、そんなん」
「パイナップルと同じ効果があって、肉が柔らかくなるんだよ」
「ほう、そうなんか。……サラダに麦飯が入ってる」
「ライスサラダみたいなもん」
「麦飯の寿司か」
「まあ、そうかな。ちょっと違うけど」
「左人志さん、どうぞ」
「あ、どもども。じゃあ、返杯と行きますか」
「どうも」
「大人の男同士のつき合いだねえ」
「おまえも早く大人になれ」
「大人だよ」
「何処がじゃ」
「年齢的に」
「年ばっか喰っても大人になってえへんわ」

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