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鰻で乾杯

「これはなんて映画?」
「『ネル』」
「寝る? ポルノ映画なの」
「そんなの職場で借りると思う?」
「紘君は借りないね」
「影郎なら借りるの?」
「借りたかったら借りるよ」
「いい性格してるね」
「ありがとう」
「褒めてるんじゃないよ」
「判ってる」
「変なの」
「で、どんな映画?」
「ジョディー・フォスター監督主演の、真面目な映画」
「ああ、『告発の行方』や『羊たちの沈黙』の」
「そう。でもそういうのとはまったく違うよ」
「ふーん。何か作る?」
「そうだなあ。お午まだだから、先に食べようか」
「なに食べたい?」
「さっぱりしたもの」
「くどいものは作らないけどね」
「まあ、そうだけど」

「これは、蕎麦だよね」
「うん。サラダ風にしてみた」
「サラダパスタみたいなもんか」
「家から野菜いっぱい持ってきたから、それを使ったんだ」
「新鮮でいいね」
「左人志があんまり手入れしてくれないから、発育不足なんだよ」
「左人志さんも仕事が忙しいんだから、仕方ないじゃない」
「そうだけど……。左人志、ちゃんと食べてるのかなあ」
「大人なんだから、自分の健康管理くらい出来るよ」
「ならいいけど」
「影郎は自分の心配をしなさい」
「はい」
「いただきます。……うん、美味しいじゃない」
「蕎麦だから和風にしたのは正解だったな」
「リーフレタスとも合ってるよ。葱が蕎麦らしくていいし、山葵が効いてる」
「山葵はチューブのだけど、葱はぶっといのが庭に生えてた」
「こんな細く、どうやって切るの?」
「縦にさっさって包丁で切れ目入れるだけ」
「なんか特別な道具で切るのかと思った」
「葱にピーラーは使わないよ。使うひとも居るけど」
「ピーラーって何?」
「皮剝くやつ」
「ああ、あれか」
「もの知らず」
「悪かったね」
「あ、怒った」
「怒ってないよ」

蕎麦サラダ
 蕎麦を湯がいて笊に開け、水でよく洗う。
 長ネギの白いところを八センチくらいの長さに細く切る(白髪葱)。緑の部分は斜めに薄切り。
 リーフレタス食べ易い大きさに手で千切る。
 人参をピーラーで細く削ぐ。
 醤油、酢、胡麻油を混ぜ合わせ、ドレッシングを作る。
 蕎麦に野菜を載せ、ドレッシングをかけ、炒り胡麻を散らす。

「きれいなとこだね」
「影郎はこういうところ、好きだよね。行きたい?」
「この辺、山なんかないじゃん」
「車で行けばいいじゃない」
「遠いよ」
「日帰りで行ける処にあるよ」
「紘君、忙しいからいい」
「最近、仆れないからご褒美に」
「実は仆れてるんだけど」
「何処で」
「店とかで」
「なんで云わないの」
「心配すると思って」
「今、云ったら意味ないじゃん」
「つい云ってしまいました」
「馬鹿」
「馬鹿なんだよねえ」
「素直に認めなくていいから。夜は焼き肉、食べに行くよ」
「焼き肉ー?」
「普通、喜ぶもんだけどね」
「あんま好きじゃない」
「鰻は?」
「白焼きなら好き」
「じゃあ、それにしようか。近所の店ならそんなに混んでないから」
「鵜奈い屋?」
「うん」
「あそこばっちい」
「こら。味はいいんだから」
「アメリカでも鰻、食べるのかな」
「どうだろ。ヨーロッパでは食べるみたいだけど」
「イタリアとかギリシャでは稚魚を食べるけどね」
「ドイツでも食べるみたいだよ。『ブリキの太鼓』で海に馬の頭放り込んで、鰻獲ってた」
「なに、それ」
「そんな方法の漁があるかどうか知らないけど、海に砂浜から馬の生首投げ込むと、その中に鰻が入ってくるの。切断したとこから、鰻がぬらぬら出てくるんだよね。気持ち悪かった」
「鰻、食べたくなくなった」
「……云わなきゃよかったな」
「ジョディー・フォスター、全然雰囲気が違う」
「いつも蓮っ葉な役だからね」
「こういうのも出来るんだ」
「演技は凄く巧いひとだから」
「この男のひと、紘君みたい」
「こんなに背、高くないよ」
「見た目じゃなくて、性格が」
「そうかな」
「優しくて面倒見がいい」
「うーん、それは影郎に対してだけだよ」
「そうなの?」
「うん」
「なんで」
「自然とそうなっちゃう」
「ふーん」
「湖で泳ぐっていうのもいいなあ」
「おれ、泳げない」
「嘘、泳げないの?」
「うん」
「本当に運動神経、鈍いんだね」
「そんなことないよ」
「反射神経も鈍いし」
「何を根拠に」
「観察した結果」
「観察しなくていい」
「ほっとけないから」
「ちゃんと自立してるよ」
「……………」
「なんか云ってよ」
「えーと、まあ……。そうそう、バーで働いて、そつなくこなしてる」
「誤魔化すのが上手くなったね」
「……山の中で世間と隔絶して生活するひとっていうのは、ホラー映画によくあるけど」
「へえ、どんなの?」
「旅行者捉まえて食べちゃったり」
「そんなこと、現実にはないでしょ」
「それがあるんだよねえ」
「嘘だぁ」
「だって、アメリカでそういう事件が実際にあったんだから」
「ほんとに? アメリカって恐いね」
「広いからね、何があるか判らないよ。人種も雑多だし」
「日本は単一民族だから、そういうことはあんまりないよね」
「カニバリズムは国内ではないみたいだね、農耕民族だから。パリで人食事件はあったけど」
「知ってる、佐川君」
「佐川君って……」
「パリジェンヌのおっぱい、冷蔵庫に入れてたらしいじゃん」
「……それはそうだけど」
「あんな風に無理矢理、山から降ろさなくてもいいのに」
「ひとりで山の中に置いておくわけにはいかないんじゃない? もう行政の手が入っちゃったんだから」
「可哀想だよ」
「あの子、宅配のバイクの子。良くなさそうだね」
「如何にも不良って感じだよね。この手の奴とは拘わらないようにしてたな」
「そうなんだ」
「不良とつき合ってると思ってたんでしょ」
「うん」
「そんなのとつき合わないよ、恐いから」
「結構、真面目だったんだ」
「そういう奴に声かけられることはあったけど、つるんでなんかしたりはしなかった」
「これからもそうしてよ」
「紘君に心配かけるようなことはしないって」
「ありがたいね、神経性胃炎や円形脱毛症にはなりたくないからね」
「左人志、円形脱毛症になったことある」
「え、本当に?」
「禿げたとこマジックで塗ったら、もの凄い勢いで叱られた」
「当たり前だよ。まさかそのまま会社に行ったの?」
「うん。気がつかなくて」
「気の毒に……」
「あの時はびびるくらい怒った」
「当然だよ、ぼくだって怒る」
「紘君はあんな風に怒れないよ」
「なめるなよ」
「だって一週間以上、口も利いてくれなかったんだよ」
「そんなに怒ったんだ」
「禿げ塗り潰しただけなのに」
「それが悪いんだよ」
「紘君にはしないよ、禿げても髪で隠れそうだから」
「頼むよ」
「頼まれました」

     +

「いい映画だったね」
「やっぱり街になんか住まない方がいいな」
「いいことあんまりないからね」
「ぼくの実家は田舎だから、都会に居ると息が詰まりそうになる」
「へえ、そうなんだ」
「田圃や茶畑があるようなとこだったから」
「ああ、静岡だったね」
「うん。気候は割と温暖だし、いいところだよ」
「じゃあ、なんで此処に来たの?」
「大学に受かったから」
「地元の大学にすればよかったのに」
「やっぱり名の知れた都会にある学校に行きたかったんだよ。その頃は田舎しか知らなかったから、華やかな処に憧れたんだな」
「おれだったら、田舎から出ないな。好きなだけ畑作って、好きなことして暮らす」
「田舎者はそんな風には思わないんだよ」
「ふうん」
「影郎はまったくこっちのひと?」
「うん」
「だから左人志さんに懐いてるのかな」
「そうかも知れない。岡山の風土がすごく好きだった」
「観光でちょっと行っただけでも、長閑なところが多かったね。おばさんが喋ってる言葉が早口で、よく判らなかったけど」
「わーって喋るんだよ。せっかちなのかな」
「長閑なのにね」
「うん」
「じゃあ、行こうか」
「鰻、食べに行くの?」
「そうだよ、もう平気でしょ」
「蒲焼きは食べないよ」
「判ったわかった」
「お酒、呑んでいい?」
「駄目」
「けち」

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