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針の中の青空

「おーい、洗濯屋」
 と呼ぶ声に、ぼくは振り返った。
 そんな風に呼ぶのは彼しか居ない。山田和夫という、ありきたりなんていう言葉では追いつかないくらい平凡な名前の男である。
 別に悪意を込めてそう呼んでいる訳ではない。他の奴らがそう云うと、「ひとの専売特許を勝手に使うな」と怒るくらいだ。彼がぼくをそう呼ぶのは、『白洋舎』 というクリーニング屋に因んでのことである。
 ぼくの名前は喜多川栢窈という。意味を調べたことはないが、祖父がつけた。普通に漢字変換しても出てこない、厄介な名前である。名前の所為で苛められなかったのは、ひとえに和夫のおかげだ。
 彼は子供の頃から兎に角乱暴で、しょっちゅう大人に叱られていた。家が近所なので幼い頃からずっと一緒だったが、ぼくだけはその被害を蒙ることがなかった。彼は弱い者を虐げるのを、殊の外嫌ったからである。
 喘息持ちで良かった。
 中学時代にその乱暴性が音楽の方へ向かい、ギターに明け暮れていた彼は、受けた高校の試験すべて、見事なまでに落っこちた。若くして浪人生となった彼は、一年間親から謹慎を喰らい、大切なギターも取り上げられ勉学に励んだ結果、ぼくの後輩になった。
 おまえのことなんか死んでも先輩なんて呼ばねえからな、という宣言通り、ぼくのことをいまだに『洗濯屋』と呼んでいる。
 誰もが彼を恐れていた。何故かと云うと、怒らせるとギターでどつき廻すからだ。頭に当たったりしたら確実に死ぬ。
 気狂いに刃物というが、乱暴者にギターという組み合わせもかなり性質が悪い。勿論、彼も馬鹿ではないから、本気でそんなものを振り廻したりはしなかったが。
 相手を気遣ってではなく、ギターが大切だったからだ。
 ジョニー・マーと同じギターだと云っていたけれども、それが誰のことだかさっぱり判らなかった。『ザ・スミス』とか『ザ・ザ』というバンドで、ギタリストとして熱狂的に(一部のひとから)支持されていたらしい。
 ぼくと同じように他の人間もそんなバンドなど知らなかったから、どちらかと云うと、彼の知識の方が特殊だったのだと思う。
 うちの学校の軽音部が輩出したバンドの裡に、現在でも(アマチュアで)活動している『ナナシ』というのが居た。彼が好む音楽の流れと似通っていたのかどうだか知らないが(そういうことに疎いぼくには判らなかった)、和夫は気に入ったらしい。
 十年以上同じメンバーでやっているとのことである。たった三人でやっているからそんなに長く続けていられるのだろうか。それにしても、 よく飽きないものだ——そんなことはひとの勝手だが。
 そこのドラマーである江木澤という男に会ったことがあるけれど、こちらが恐縮するくらい腰が低くく、おとなしいひとだった。こんなんで本当にバンドなんかやっているのだろうか、と思ったら、そこのボーカル兼ギター担当の木下という人物は、和夫に負けず劣らず怒りっぽい性格とのことである。
 ただ、そのひとは決して手を上げたりせず、ひたすら舌鋒攻撃でくるらしい。それはそれで性質が悪い、ような気がした。
 和夫が『ナナシ』のライブに足繁く通ったかと云うと、一度も行ったことはなかった。というのは、江木澤さんが彼の人格形成上、件の木下亮二には会わない方がいいときっぱり入場禁止を云い渡したからである。
 自分のバンドのライブに「来てくれ」と云うなら兎も角、「来ないでくれ」と云わしめるとは、いったいどんな人物なのだろうか。
 和夫に聴かせてもらったところ、喧しくはあるが、暗いというか、怠いというか、生きる気力を失わせるような曲ばかりだった。そんな曲を作るくらいだから、陰湿な怒り方をするのかと思ったら、怒鳴りたいだけ怒鳴ると後はけろっと忘れてしまうのだそうだ。
 馬鹿なのだろうか。
 爆竹のような和夫もそんな性格だった。一発殴れば、それで怒りは嘘のように治まってしまう。
 彼が『山田和夫』という名前にコンプレックスを抱いていたかというと、その逆で、今時こんな名前の奴は居ないと自慢しそうな勢いだった。おまえみたいなややっこしい名前してたら、答案用紙に書いているうちに時間がきちまう、と云っていた(それほど画数が多い字ではないのだが)。
 江木澤さんが親切心から彼を木下亮二から遠ざけようとしても、相手は皇族でもなんでもないただのひとである。会おうと思えば幾らでも会える。
 当の本人は隠し事が嫌いなのかなんなのか知らないが、職場も住んで居る処も、実家の住所まで簡単に判ってしまった。これほどあけっぴろげにするひとも滅多に居ないだろう。
 好きこのんで公表してる訳ではないようだったが、頼めば給与明細だって見せてくれそうである。勤務先が『東六区図書センター』という若者に人気のある施設で、時々受附に立っているという話だから、普通の会社に勤めている人間よりプライバシーが守れないのかも知れない。
 バンドなんかやっていたらあることないことを影で云われそうなものだが、悪い噂はひとつもなかった。
 変人だ、というのはあったが。

 和夫がぼくの後輩になって、その軽音部に入ったかと云えば、そういうことにはまったく興味を示さなかった。
 彼は誰かと何かをするのが苦手だったのだ。要するに、協調性がなかったのである。ただ、ギターは浪人するほど熱心に打ち込んでいたので、腕だけは良かったらしく、助っ人として借り出されてはいたが。
 木下亮二にぼくらが会ったのは、夏休みに入ってからのことだった。顔拝むくらいなら怒られねえだろ、と和夫は云って、殊もあろうに自宅へ押し掛けたのだ。仕事の休みが木曜と土曜なのは判っていた。
 その日は木曜日だった。
 東三区にあるそのアパートは、お世辞にも高級とは云えなかった。はっきり云って、襤褸い。六階建ての最上階、605号室に彼は居住していた。
 インターホンを押すと、女性の声が応対した。が、表札には『木下』とあったので、高校の後輩の山田というものですが、と和夫はきっぱり堂々と云った。
 扉を開けたのは、顎くらいのラインで切り揃えた黒髪の小柄な女性だった。なんと表現していいか判らない模様の猫を抱いている。
「高校って、木下さんの?」
 と訊ねられ、和夫は「はい」と頷いた。すると、女性は部屋の裡に向かって、「木下さん、後輩の男の子がふたりいらっしゃいましたよ」と云った。
「こーはいって、誰」と云いながら、ぼさぼさの長い髪で、明らかに寝起きといった顔をした背の高い痩せた男が玄関に現れた。一重瞼だがはっきりした目の、ちょっと冷たそうな印象を与える顔つきをした男である。
「んー、高校生かな……。朝っぱらからなんの用?」怠そうに彼は云った。朝っぱらと云うが、十一時過ぎである。
 和夫は、乱暴者だけあって物怖じしない性格なので、「顔を見にきました」と遠慮会釈なく云った。彼は一瞬、ぽかんとしていたが、くすくす笑い出した。
「おれの顔見て、なんかいいことあんの」
「特にないですね」と和夫が答えると、こいつ、おもしれーと腹を抱えて笑っていた。噂通り変なひとで良かった。普通なら体よく門前払い、悪くて一発ぶん殴られるところである。
 まあ、這入んなよ、と促され、ぼくらは部屋に上がらせて貰った。
 部屋の裡は、恐らく猫を飼っている所為だろうが、襤褸襤褸だった。Tシャツの袖から伸びる木下さんの腕も、猫の掻き傷だらけである。不思議なことに、最初に応対した女性の方は疵ひとつなかった。
 頭をわさわさ掻き廻しながら煙草に火を点け、「で、ほんとに顔見に来ただけなの?」と彼は改めて訊いてきた。
「そうです。エギザワさんに会っちゃいけないって云われたんですけど、そんなこと云われたら、余計に会ってみたくなるじゃないですか」と和夫は云った。
「江木澤が? 会っちゃならんとはどういうこった……」
 木下さんは灰皿に煙草をとんとんと軽く打ちつけながら呟いていた。女のひとが冷茶の入ったグラスを古びた座卓に置いて、高校に木下さんを上廻るくらい乱暴な男の子が居るっておっしゃっていましたよ、と笑った。
「おれのような温厚な人間を摑まえて乱暴とは、なんつう失礼な奴だ」今日、スタジオでシメてやる、とぶつぶつ云っていた。シメてやる、などと云う時点で既に乱暴ではないか、とぼくは思った。
「名前はなんていうの」冷茶の女のひとに訊ねられ、まだ名乗っていなかったことに気づいた。
「おれは山田和夫、こいつは洗濯屋」
 ぼくより先に和夫が云ってしまった。
「洗濯屋?」と、煙草を揉み消しながら木下さんはぼくの方を見遣った。
「そんなおとなしそうな顔して、裏ビデオマニアなのか」と、訳の判らないことを訊いてきた。
「なんのことですか?」と訊ねたら、昔『洗濯屋ケンちゃん』という裏ビデオ(というのは一種のポルノ映画のことらしかった)があったのだそうだ。ぼくはそんな裏の意味のある渾名で呼ばれ続けていたのか、と愕然としていたら、「違いますよ、こいつの名前が栢窈っていうんで、クリーニング屋と一緒だからそう呼んでるだけです」少しむっとして和夫が云った。
「ああ、白洋舎ね。おんなじ字なの?」
 ぼくは携帯電話を取り出し(口では説明しづらかったからだ)、名前を表示して彼に見せた。
「へえ、変わった字だな」と感心したように彼は呟いた。女のひとも一緒に覗き込んで、「ほんとですね」と云っていた。意味は? と訊ねられ、祖父がつけたんですが意味は判りません、と正直に答えた。
「山田和夫君と栢窈君ね。まー、なんと云うか平凡と非凡のコンビだな。で、おれの後輩だって訪ねて来るってことは、音楽やってる訳?」
「こいつはやんないけど、おれはギターを少しやります」
「へえ、バンドやってるんだ」と云われ、他人とつるむのは嫌いです、と和夫は答えた。彼は苦笑しながら二本目の煙草に火を点けた。
「なるほどねえ、孤立無援の一匹狼な訳だ。カッコいいなあ」
「恰好良くなんかないですよ。単に我が儘なだけです」
「いいんじゃんねえの、おれもすげえ我が儘だからさあ。それでもこの年まで生きてるもん」このひとのおかげでなー、と隣の女性をにたっと笑いながら見遣った。どうも見掛けと違い、真面目さの欠片も持ち合わせていないようである。

 図々しいことに午ご飯をごちそうになったが、何故か猫を抱いていた女性ではなく、木下さんが調理していた。調理といってもサンドウィッチだったが。
 彼は少食なようで、二切れしか食べなかった。英国式に小さく長方形に切ったものなのに。寝起きだからなのだろうか。
「和夫君だっけ、ひとりでギター演るんならさあ、ジャズとかどうよ。おれの親父が好きだったんだけど」と云うと少し考えて、『ギター弾きの恋』って映画知ってる? と訊いてきた。知らないです、と和夫は答えた。
「ジャンゴ・ラインハルトっていうジャズ・ギタリストに死ぬほど憧れてる男の話なんだけどねえ、面白いから観てみなよ。図書センターで借りられるから」と云った。そして何を思い出したのかくすくす笑って、「社長みたいなこと云ってる、おれ」と呟いていた。
 木下さんの勧め通り、図書センンターで『ギター弾きの恋』という映画のデータを借り、ぼくの家でふたりで観てみた。やたら自分の腕に自信がある、はっきり云って碌でなしのジャズ・ギタリストの話だった。
 その主人公の男は少し和夫に似ていた。和夫も失恋したらギターをぶっ壊したりするのだろうか。
 この映画がきっかけで、和夫の音楽の興味はロックからジャズへ移行した。ロックよりも難しいと云っていた。が、難しいとなると余計やる気が増すらしく、以前よりも熱心にギターに取り組んだ結果、彼は留年してしまった。
 江木澤さんのアドバイスを聞いて木下さんに会わなければ、こんなことにはならなかっただろう。ひとの云うことは素直に聞くべきだ。二年後輩になってしまった和夫は、おかしな意味が含まれていることを知りながら、相変わらずぼくを『洗濯屋』と呼ぶ。
 ぼくには彼のように打ち込めるような趣味がなかったので、少し羨ましかった。和夫は趣味なんてわざわざ作るもんじゃないよ。自然に興味が沸いてきて、それを突き詰めようと思ったらそれが趣味になるんだ、と云った。
 興味……。ぼくは何に興味があるのだろうか、と考えてみた。じっくり考えてみたが、これといったものが浮かんでこなかった。それに、高校三年ともなると、趣味なんかにうつつを抜かしている場合ではないのだ。
 というのに、ぼくは自分がどの分野に向いているのかすら判らず、いまだに進路を決めかねていた。そもそも得意科目というものがなかった。どの学科も、そこそこのレベルだったのだ。
 名前と違って、実に平々凡々なぼくである。
 取り敢えず、文系ではなく理数系の学部に入った方が就職の時に有利だろうと考え、そちら方面の学科に力を入れることにした。
 あれから時折訪れるようになった木下さんのアパートに、土曜日ひとりで行ってみた。やはりぼさぼさの頭で迎えてくれた彼に、趣味の話をした。
「趣味ねえ……。おれはまあ音楽が趣味といえば趣味だけど、そんなもん頭で考えて好きになった訳じゃねえしなあ」と、和夫と同じようなことを云った。
「ああ、 そうだ」と、部屋の隅に置かれたシンプルな白木の机の上に置かれたコンピューターを立ち上げ、ぼくに来い来いという仕草をした。
 液晶画面の『写真』というフォルダを開き、くすくす笑いながら「これ、見てみなよ」とぼくに席を譲った。
「ぜんぶ清世(というのは、猫を抱いた女性のことである)が撮ったんだけどさあ、なんでこんなもんばっか撮るのかさっぱり判んねえんだよなあ」と、彼は云った。
 写真はなんでもない身の周りのものを撮ったものばかりだったが、ちゃんと構図が考えられていて、色などもきれいだった。
 清世さんは写真が趣味なんですか、と訊ねると、「趣味……、趣味なのかなあ。コンパクトカメラで撮ってるだけだから露出とかそういう詳しいことはまったく知らないと思うけど、まあこれがあいつの趣味なんだろうなあ」と彼は答えた。
 家に帰って、清世さんの撮った写真について考えた。写っていたはギターのピックや靴や空といったありふれたものばかりである。でも、鏤められたピックや、靴の配置や、空の青さが撮った本人のようにさりげなく、女の子らしく可愛らしい。
 携帯電話を取り出し、コンピューターのキーボードを写してみた。
「はは、面白いや」と、思わず呟いてしまった。
 小遣いをはたいて、コンパクトカメラを買って、ギターを弾いている和夫を撮ってみた。何かの瞬間を切り取るというのが、こんなに面白いとは思わなかった。それから、日常の様々なものを写真に撮るようになった。
 趣味というのは、探して見つけるものではないことが判った。しかし、それで何かを成そうとなったら、もう趣味ではなくなるような気がした。
 写真を撮ることがいつまでも趣味であり続けるのかは判らなかったが、そうじゃなくなっても、また別の何かに興味を惹かれればそれが趣味になるだろう。たぶん、気がつかなかっただけで、これ迄だって趣味はあったに違いないのだ。
 今のところ、ぼくは写真を撮ることが気に入っている。それでいいのだと思う。

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