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花嫁

 棠野さんと一緒に暮らしだしてから一年が経った。彼の三十二才の誕生日にとうとうプロポーズされた。その一年前の同じ日にも求婚されたのだが、驚いてしまってすぐに承諾しなかった為、そういった話はもうお互い口にしなかった。その後、暫くして同棲を始めたからかも知れない。それにわたしは、まだ奥さんになる心構えが出来ていなかった。
 彼はわたしより九つ年上で、つき合う前はわたしがどれだけ彼女にして慾しいと云っても、まともに取り合ってくれなかった。完全に子供扱いしており、はぐらかしてばかりいた。棠野さんはバンドなんかやって、女性にもてたらしく、わたしのことなど妹くらいにしか思っていないようだった。
 短大を卒業して就職した運送会社に彼はアルバイトとして働いていた。見た目が若く見えるので、はじめて見た時は大学生くらいだと思っていたものだから、二十九才だと先輩の飯島さんに教えられた時には正直驚いた。自己紹介した時に彼の名前を聞いて、「藤野」か「塔野」と書くのかと思っていた。彼は首に下げる名札をポケットに入れていたのだ。
「名前はどんな字を書くんですか」
 そう訊ねたら、名札を見せるのではなく何故かポケットから領収書とペンを取り出し、「棠野瑛介」と書いた。珍しい字ですね、と云ったら、「そうだな、おれもこう書くのは親戚しか知らねえな」と苦笑いしていた。その名前にわたしもなるのだ、と思ったら嬉しさ半分戸惑い半分だった。わたしに奥さんが勤まるのだろうか。棠野さんはいまだにわたしのことを子供扱いする。
「秋子は泣き虫だから、下手なこと云えないな」
 いつもそう云っていた。怒ったりきついことを云う訳ではない。寧ろその逆で、此方の胸が熱くなるような優しいことを云うのである。
 飯島さんに訊ねられて彼とつき合っていることを打ち明けたら、彼女が巫山戯てわたしのことを「棠野君の大事なだいじな後藤さん」と云ったのを受けて、「大事だよー、バイクの次に大事」と、彼は答えた。
 そのあとで、彼にバイクの次に大事って本当ですか、と訊ねたら、一旦否定したが、「金で買えるもんなんかより大切だよ」と云ってくれた。一緒に暮らしはじめた日の晩にも、わたしが少し不安を口にしたら、ずっと一緒に居るから安心しろと云った。そんな殺し文句を云われたら、涙が出てきて仕舞うのは無理もないと思う。
 棠野さんは曲を作ったりするくらいだから、とてもロマンチストなのだろう。普段はそんな風には思えないのだけれど、わたしに対して非常にきめ細かい心配りをしてくれる。わたしが厭がったり困るようなことは云わないし、しない。女性に持て囃されたのはそんなところが魅力だったのだろう。
 昔の写真などは殆どなくて、その中にも彼女らしき女のひとと写っているものは一枚もなかった。写真を撮らなかったのか、処分したのか判らないけれど、彼の周囲の誰もが「棠野はもてた」と云うので、相当なものだったのだろう。
 彼自身は、振られてばかりで交際期間が短いからそう思われるだけで、何十人とつき合った訳じゃない、と云っている。此方もそんな数に上るとは思っていないが、五、六人とはつき合っているだろう。
 その女性たちと張り合おうという訳ではないが、やはり口に出さなくても彼は過去の女性とわたしを比較していると思う。わたしはボーイフレンドはひとりだけ居たが、時々棠野さんと彼を比べることがある。そのひとはわたしよりひとつ上で、つき合っていた頃は確乎りして頼りになると思っていたのに、今では子供だったとしか思えない。
 九つ違いの差は大きい。わたしが生まれた時、彼は小学校四年生だったのだ。子供には違いないが、自意識が芽生え、世の中のことも判り始める年頃である。その頃わたしはお襁褓をして、母のおっぱいを飲んでいたのだ。彼がわたしを子供にしか見られないのは仕方のないことかも知れない。
 棠野さんはいつも優しくて、自分では確乎りしていなくて頼りない人間だと云うけれど、十年以上もひとりで暮らしていたからなんでも出来るし、家事も率先してやってくれる。わたしなど必要ないのではないかと思えてくる。
 ただ、どうも彼は、ひとの世話をするのが好きなようなのだ。
 一緒にバンドをやっている幼なじみのことを、棠野さんは弟のように面倒を見ている。バンドのドラマーである車折さんは、それを「保護者気取りのお節介焼き」だと云う。当の本人である玲二さんですらお節介焼きだと云っている。わたしに対しても、恋人というよりは保護者か兄のような態度だった。
 わたしはそれに甘えていていいのだろうか。

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 結婚式の日取りが決まり、慌ただしくなってきても、彼は泰然自若としていた。結婚式くらいで焦ったりするのはおかしいのかも知れないが、男のひとと女では感覚が違うのだから仕方がない。結婚式場を選んだり新婚旅行先を決めたり衣装を選んだりするのはふたりでしたけれども、彼はそうしたことが面倒くさいようだった。
 ウエディングドレスを着て、これはどうですか、と訊ねても、そんなの判んねえよ、と云うばかりである。もともと服装にあまり関心のないひとなので致し方ない。新婚旅行先も秋子の好きな処にすればいいと云っていた。熱意がない訳ではなく、そんなことは「結婚」そのものにはなんの関係もないと思っているのだろう。
 こうしたことは、誕生日にごちそうを食べたり贈り物をもらったりするのと同じで、実生活のおまけみたいなものである。それはそのあとのなんの変哲もない日常生活を飾るリボンのようなものだ。毎日がお祭り騒ぎで冒険ばかりだったら疲れてしまう。
 棠野さんと暮らしはじめた時、とても不安に思ったが、始めてしまえばごく普通の日常だった。変化したのはひとりがふたりになったことだけである。
 それだけでも大きな変化だが、既にそこは通り過ぎている。新鮮味がない訳ではないと思う。わたしは結婚したら仕事を辞める。それだけで生活は一変するに違いない。しかし、彼はどうなのだろう。何か変わるのだろうか。つき合いだした時も同棲を始めた時も、特に変化は見受けられなかった。
 棠野さんは非常にニュートラルなひとで、感情が激することもなければ何かにもの凄く執着することもない。考えていることがまったく判らない訳ではないが、真意が紗幕の向こうにあるようで、それがわたしを不安にさせるのかも知れない。
「秋子はなんだ、マリッジブルーか」
 結婚式の招待状を書き終えて、大きく溜め息をついたわたしに彼はそう云った。
「いえ、そんなことはないです」
「別に今の生活が変わる訳じゃないんだから、そう気負わなくてもいいんだよ。普通にしてればなんでも通り過ぎてくって」
 そう云って棠野さんはわたしの頭を撫でた。心の閊えが取れて、やっと安心することが出来た。彼はいつもこうして魔法のような言葉をわたしに与えてくれる。なんでも通り過ぎてゆくのだ。雨に降られたら軒下で雨宿りをすればいい。強い風が吹き荒れたら、窓を閉めて家から出なければいい。棠野さんはわたしの家なのだ。

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 結婚式は滞りなく済み、旅行から戻ったわたしたちは、何事もなかったように日常に埋没していった。それが普通なのだろう。いつまでも浮かれてはいられない。常に平常心の彼に釣られて、わたしも少し大人になったようである。
 朝起きて洗濯物が溜まっていれば洗濯をし、ご飯の支度をしている頃に棠野さんが起きてくる。寝癖でぼさぼさの頭をした彼は、ちょっと子供のように見えた。味噌汁の鍋を覗いてから洗面所へ行く。戻ってくると、わたしの横に立って卵を焼いたりする様子を眺めている。火傷でもするのではないかと思っているのだろうか。
 天気が良ければバイクで出勤する。その姿を見送ることがわたしの新しい日課となった。棠野さんが出掛けてから掃除をする。ごちゃごちゃものが置かれていないので掃除機をかけるのが楽だった。
 寝室には彼の楽器が置かれているので慎重になる。触るなとは云われていないが、ベースとギターは弄らなかった。彼がちゃんと手入れしているので、きれいなものである。
 午前中にやる家事はこれで終わって仕舞う。世の中の主婦は何をして閑を潰しているのだろうか。生憎、わたしには結婚している友人が居ない。二十三才で結婚するのは早いのだろうか。友人たちは皆、口を揃えて「九つも離れたひとと話が合うの?」と云っていた。
 彼と話が合わなかったことは一度もない。
 しかし、それは棠野さんがわたしに気を遣っているからだろう。バンドのこともバイクのことも、専門的なことは何も云わなかった。わたしが話す他愛もないことをいちいち聞いてくれる。年下の人間の云ったりしたりすることが興味深いのだろうか。
 別に彼がおじさんくさいという訳ではないのだけれど。
 わたしのすること、選ぶもの、すべてを受け入れてくれる。両親にはじめて会った時、母が彼のことを落ち着いた良いひとね、と云った意味が今になって身に沁みて感じられる。
「良いひとと巡り会えてよかったわね」
 棠野さんが親に結婚を前提に同居しますと報告した時に、思わず涙を流したわたしに母がそう云った。
 テレビをつけて面白くもない情報番組を見る。皆こんなものを眺めているのだろうか。何か趣味を作らなければならない。閑な時間に押し潰されそうだ。棠野さんには音楽とバイクという趣味がある。わたしにはこれといって好きなものがない。それにわたしの分、収入が減ったのだから、お金の掛かることは出来ないだろう。
 液晶画面に料理を作っている番組が映し出されていた。
 そうか、これなら生活に役立つし、お金も無駄にならない。これまで適当に作っていたが、彼はなんでも美味しいと云って食べてくれていた。けれど、本当は何が好きなのか知らないのだ。あれこれ作って反応を見れば、好むものが判ってくるのではないだろうか。
 料理番組は前半の方をちゃんと見ていなかったのでスイッチを切り、棚からノート型コンピューターを取り出した。インターネットで調べれば様々な調理法が判るだろう。しかし、どんなキーワードで検索すればいいのか判らなかった。漠然と「料理」と打ち込んで、望む情報が得られるものだろうか。
 ものは試しなのでやってみた。
 さすが文明の利器。料理の意味から基本、レシピまで出てきた。料理とは「食物を拵えることで、同時に拵えた料理のこと。調理ともいう。食材や調味料を組み合わせて加工すること、及び、それを行ったものの総称である」とのことである。こんなことまで調べるひとが居るのだろうか。
 棠野さんは好き嫌いが殆どない。甘いものは好んで食べないが、男性は概ねそうなのだろう。父は割と好きだったが。
 今は冬なので、温かいものがいいだろう。彼は鍋料理が得意だが、あれは技術など要らない。帰って来たらビールを飲むだろうから、つまみになるものを作ればいいと思った。
 冬の食材といえば根菜類。大根、蓮根、里芋、山芋。あとは南瓜なんかも旬だ。魚なら季節があるけれど、肉はどうなのだろう。季節には関係ないような気がする。昼食のものを買いがてら、スーパーマーケットで見てみればいいか。
 戸締まりを確認して、ぶらぶらと歩いて行った。きりりと冷えた冬の空気は却って清々しく、柔らかな陽射しは暖かく感じられる。店まで二十分弱。午前のスーパーマーケットは年配の客が多かった。這入ってすぐに花屋、そこを過ぎると野菜売り場になる。やはり鍋の食材が多い。白菜、水菜、菊菜、蕪、大根。
 長芋や大和芋、里芋、薩摩芋と、芋類も多い。里芋の処に小さな紙に印刷されたレシピがあった。一枚取って見てみたら、おつまみにもなりそうな簡単な料理が載っていた。棠野さんは和食でも洋食でもいける。それは和洋折衷といったものだった。
 うちにはさほど調味料が揃っていないので、その売り場を見てみた。和食の調味料といえば塩と醤油と味噌が基本だが、西洋の調味料は実に多様である。見たこともないようなものはなかったが、こんなに使って果たして味はどうなるだろうと思える。
 しかし、実践してみなくては判らない。取り敢えずミルつきの瓶に入った粒胡椒と、利用範囲が広そうなガーリックパウダーを籠に入れた。和風調味料はチューブ入りの粗挽き山葵と生七味が珍しかったので、これも買うことにした。
 アパートに戻り、買ってきた里芋を早速茹でた。味見程度に作るので小さいものを四個だけ選んだ。根菜類は水から茹でるのだと母に教えてもらった。こうしたごく基本的なことは、覚えておくと便利である。
 カードに書いてあるのは料理など出来なくても作れるもので、きぬかつぎを作る要領で里芋を茹で、熱いうちに皮を手で全部剝いてマヨネーズと唐辛子で和えるだけというものである。生七味を買ってきたのでそれを入れようと思った。取り敢えず、自分で食べてみないと美味しいかどうか判らない。こんな簡単なものは不味くなりようがなさそうだけれど。
 茹でた里芋をキッチンペーパーでくるんで少し力を入れると皮に裂け目が出来、つるっと剝ける。鉢に入れて、マヨネーズと七味で和えてそのまま食卓に置き、一緒に火にかけてあった今朝の残りの味噌汁とご飯で昼食にした。
 簡単な調理で作った里芋は美味しかった。ねっとりした食感に酸味のあるマヨネーズと、複雑な辛みの七味がよく合っている。これなら棠野さんに出しても大丈夫だろう。まあいえば、これは口取りである。メインディッシュはシチューを作ろうと思っている。ドミグラスソースの缶を買ってきたので、そこに書かれた説明書き通り食材を選んだから間違いはないだろう。それに、シチューは何度も作ったことがある。

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 棠野さんは八時近くに帰って来た。配達に手間取ったから少し遅くなるとメールがあった。定時だと仕事は六時に終わるのだが、車で配達していると時間はばらばらになる。特に疲れた様子もなく、さっさと着替えると冷蔵庫からビールを出して食卓についた。
「お、里芋だ。なんだ? ぬたみたいになってる」
「マヨネーズです」
「里芋にマヨネーズって合うのか?」
「味見したら美味しかったですよ」
 ちょっと感心したように、へえ、と云ってひとつ頬張った。いけるじゃない、とわたしの方を見遣る。少し得意な気分になった。
 用意してあったクスクスにシチューをかけて出すと、「なんか珍しいもん作ったな」と、また感心したように云う。クスクスは好みが分かれるパスタだが、棠野さんは変わってるけど美味しいよ、と云ってくれた。お世辞でも嬉しい。
 お風呂で、今日はやけに凝った料理を出してくれたけど、どうしたんだと訊ねられ、やることが少なくて閑だったので何か趣味を作った方がいいと思い、恰度テレビで料理番組をやっていたからそれを趣味にすることにした、と説明した。
「変わった趣味の選択をするんだなあ。普通、なんかに興味を持って、それが嵩じて趣味になるんじゃないのか」
「でも、これといって何かに興味がなくて、お金が無駄にならないから料理が一番いいかな、と思ったんです」
「なるほどね。秋子もそんな大人の考え方が出来るんだ」
 そう云うと棠野さんはわたしの濡れた頭に手を置いて、ぽんぽんと軽く叩いた。なかなか子供扱いからは脱却出来ないようである。

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